2015年9月23日水曜日

無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2014年11月

ルパン三世 (2) 殺し屋はブルースを歌う

過去の男と現在の男

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  過 去の名作アニメを台無しにする実写化映画は後を絶たない。以前にも述べたが、ルパン三世もゼニゲバの映画資本に狙われてしまった。アイデアに困ったら昔の 名作を手直しして二匹目のドジョウを得ようとする。宇宙戦艦ヤマトや機動戦士ガンダムと同じ運命をたどるだろう。演技も弁えぬ若造が芸能事務所の巨大な力 で主役にしてもらったのであろう。観客が押しかけてヒットしたからとて、駄作に違いない。観ていないから批判は出来ないが、金を払って銀幕を観る気がしな いのだ。大人の観客を嘗めきっている映画など誰が見に行くのか。それが居るんだなぁ。悲しいくらい。平成の日本は昭和の我が国と違っている。外国みたい。
  こんな気持ち悪い映画はゴミ箱に捨てて、第9話『殺し屋はブルースを歌う』を論じてみたい。 殺 し屋プーンは三年前まで不二子と一緒に暗黒街でコンビを組んでいた。しかし、ある時組織の命令で不二子を射殺するよう命じられしまう。海岸の岸壁に立つ不 二子に銃を向けるプーンには、どうしても彼女を殺す決断が下せない。組織の掟に逆らえないから引き金に指をかけるが、不二子の心臓を狙うことが出来ず、片 を撃つしかなかった。撃たれた不二子は海に落ちてしまった。
  月 日が経って不二子はルパンと組んで仕事をするようになったことが分かる。だが、プーンは彼女を忘れられず、ついに不二子を見つけるが、彼女は重傷を負って 瀕死の状態に堕ちいる。山小屋に立てこもるプーンはルパンに不二子を帰さない。仕方なく、ルパンは竹の矢に医療道具を詰め込んで小屋に打ち込む。それを 使って彼女を治療せとプーンに頼んだ。最期に石を投げつけてプーンの手下を倒したルパンは、うまく小屋に侵入できた。
  瀕 死の不二子は、シーツを纏っただけの裸姿でルパンに抱きかかえられている。そこをプーンが見つけて銃を向ける。不二子を抱いたルパンに反撃は出来ない。し かし、みすみす不二子を置いて立ち去るわけにはいかない。プーンがルパンを殺そうとしたそのとき、不二子は自分の手にした拳銃でプーンを撃ってしまう。元 恋人の不二子に撃たれたプーンの表情が意外性を物語っている。まさか自分を愛しているはずの不二子に撃たれるとは思っていなかった。崩れ堕ちるプーンを観 ると、哀れに思えてくる。裏切られはしたが、死に際に納得した男の気持ちが伝わってくるのだ。
  そ の後、ルパンと不二子はディスコで踊って楽しい時間を分かつのだが、最後はルパンが彼女にロープで縛られ、ロッカーに押し込められてしまう。港でひとり佇 みながら、遠くの海を見つめる不二子。無言の彼女は何を思っていたのか。何も考えないことが心を癒す秘訣かもしれない。
  し かし、不二子がプーンを撃ったときの心理と行動は興味深い。頭ではなく体がとっさにルパンを助けることを選んでしまったのである。プーンに対する気持ちが 払拭されていなかったのに、彼を殺しルパンを救ってしまった。昔の男と今の男の間で心が揺れ動き判断が出来なかったのに、体がルパンにほんのわずかだけ傾 いていたのである。「不二子」とつぶやいて死んでゆくプーンに、慚愧の念と悲しみがうねりを立てて不二子の全身を駆けめぐる。つくづく制作者の大隅氏は憎 いほど上手い演出をしたなと思う。不二子の心と体が別の行動をとったのだ。いい仕事してるな大隅氏。こんなアニメ今じゃどこにもない。セル画の絵も幼稚な ものになって、ストーリーも退屈で凡庸なものになってしまった現在のアニメ作品。これじゃ進化じゃなくて退化だ。筆者が古い人間とは思わないのだが、世間 はいかに。

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無敵の太陽

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2014年11月

雅子妃を憎む西尾幹二 皇室廃止だ!

雅子妃を貶す自称保守言論人

nishio 1   平成26年10月29日にネーデルラント国王ウィリアム・アレクサンダー国王陛下を迎えて宮中晩餐会が開かれ、久々に皇太子殿下と妃殿下を拝見できて嬉 しかった。雅子妃殿下は国民の一部やマスコミからさんざん叩かれ「国民の嫌悪の的」にされたことがある。保守的雑誌『WiLL』やチャンネル桜などに登場 する西尾幹二には、もういい加減うんざりする。GHQ焚書書籍のデタラメは中川八洋先生がぐうの音も出ないほど批判しているから、ここでは触れない。

   西尾氏はかつて『WiLL』誌で雅子妃殿下への批判と皇太子殿下への諫言を述べる文章を書いた。( 『WiLL』 2008年 5月号、6月号、8月号を参照)  筆者は当時、西尾氏の一連の批判文を読んでバカらしく思ったし、非常識だと感じたものだ。一言で感想を述べれば、「西尾氏は雅子妃殿下が気にくわないのだ ろう」という結論になる。皇室を尊敬している振りをアピ-ルしている西尾氏だが、その本心は自分が作った「皇太子妃像」に当てはまらないから、雅子妃を貶 (けな)していたのだ。

  西尾氏は雅子妃がご公務をサボってレストランで食事をしたり、ご友人とパーティーを開いたり、あるいは、愛子 内親王殿下と遊び回ったりしたことに不満を漏らす。雅子妃が「環境適応障害」の鬱病(うつびょう)を理由にして、宮中行事を欠席なされたことを非難する。 西尾氏は雅子妃が、反皇室勢力の「格好のターゲットとして利用され、予想以上に天皇制度の廃止論の危険水域」が上がっていると危惧を示す。( 「皇太子さ まに敢えて御忠告申し上げます」 『WiLL』 2008年5月号 p. 42) そして西尾氏は妃殿下が病状を抱えたまま、126代の天皇陛下に寄り添う皇后陛下になることに言及している。西尾氏は続けて言う、

  皇后陛下がご病気の名において皇室は何をしてもいいし何をしなくてもいい、という勝手な薄明に閉ざされた異様な事態が出現することを私はひたすら恐怖している。

  こんな状態になれば、国内や支那の反日勢力が蠢動(しゅんどう)して皇室撲滅の反伝統主義者に乗っ取られるかもしれぬ、と西尾氏は言い出す。「皇族に人権を」という朝日新聞やNHKの声が高まり、国民が動揺するらしい。そこで西尾氏は仰天の言葉を発する。

  皇室がそうなった暁には、この私も中核から崩れ始めた国家の危険を取り除くために天皇制度の廃止に賛成するかもしれない。(p.43)

    ご公務を欠席なされる皇后陛下が誕生すれば、反日勢力と一緒になって皇室打倒に参加するぞ、と脅しをかけている西尾氏。へぇー。本音を明かしたのかな?

   たんに雅子妃の悪口を陳列するだけでは、一般国民に対してインパクトが弱い。そこで、国民に絶大な人気を誇る美智子皇后陛下を引っ張り出してきて、ぐうたらな雅子妃と比較する戦術をとった。西尾氏は皇后陛下を賞賛して書く。

   正田美智子という御名は皇統譜に輝かしい一ページを開いた。昭和天皇亡き後、「第二の敗戦」とも言われてきた平成の御代に、何とかご皇室を、そしてこの 国を、ここまで持ちこたえさせてこられたのも、この方のおかげである。国の中心に魂のある存在がおられたからである。( 「皇太子さまへの御忠言 第2 弾!」 『WiLL』 2008年6月号 p. 76)

  皇后陛下が果たされた役割に西尾氏は読者の目を向けさせ、そのご活動は「筆舌 に尽くしがたい」と絶賛する。こうして皇后陛下を褒めちぎったうえで、それにつけても雅子妃は「ねぇーえ」と読者に思わせるよう誘導するのである。そし て、西尾氏は、皇太子妃の報道を聞いたある一般家庭の母親の意見を引用する。「東宮ご夫妻は今度もまたご自分の都合ばかりで行動しずぎると思い、イヤな気 がした」との感想である。( 『WiLL』 2008年8月号 p. 51)

  これは朝日新聞がよく使う手口で、自分に都合がいい、つ まり自分の思想に合致した者の見解を「読者の意見」として披露する。すると多くの一般国民は、同じ庶民の意見に賛同し始める。数ある意見からある特定の人 物を選出した動機を、読者は通常詮索しない。誰だか知らない読者の意見を一般化するのだ。西尾氏が雅子妃を嫌うのは、彼が勝手に妄想する妃殿下の性格や思 想である。

  雅子妃は私からみるなら、アメリカナイズされた民主主義にとっぷり浸った、自己主張の強いタイプで、それ以外では少し配慮 の足りない普通の女性、外国に憧れていて日本流儀を好きではないし、信じてもいない、やや軽佻浮薄な進歩的知識人傾斜の価値観の持ち主である。( 『WiLL』 8月号 p.42)

  宮中祭祀に参加されない妃殿下に腹を立てた西尾氏は、雅子妃の性質や思考を断罪するのだ。しかし、 西尾氏の雅子妃批判はおかしくないか。小和田雅子女史は上品な家庭に生まれたが、一般家庭の出身で皇室に嫁がれるために教育された女性ではない。少々思慮 が足りなくても「普通の女性」なのは当たり前だろう。一般人だったから、勉強して東京大学やハーバード大学に通って外交官になったのだ。皇太子殿下は進学 校に通われて、天皇になるために勉強なさるのか? アメリカ好きで民主主義賛成の女の子など世間にはいくらでもいるだろう。日本の流儀が嫌いと妃殿下は公 言なされたのか? これも西尾氏の推測である。

妃殿下に感謝すべき日本国民

Pricess Masako   そもそも雅子妃は皇室に嫁ぐ義務はなかったのである。皇太子殿下のプロポーズを簡単に断ることができたはず。民間人であったら、外交官を辞めてイギリリ ス人と結婚し、英国籍を取得して日本を去ることだってできただろう。あるいはアメリカに行って、歌手や女優、大学教授、親善大使など何にでもなれたのだ。 「自己主張の強いタイプ」と西尾氏が判断する小和田雅子嬢なら、はっきりと殿下の申し出を拒否したはず。それなのに雅子さまはご成婚を承諾なされた。皇太 子殿下や宮内庁の役人が銃を持って雅子さまに婚姻を強要したのはない。日本国民としては、妃殿下に感謝することはあっても、ケチをつけることはないだろ う。

  皇室に嫁ぐことなど一切想像していなかった小和田雅子嬢なのだから、宮中のしきたりや皇室の伝統行事に対して戸惑いや拒否感が あって当然だろう。正月には和歌を詠めと命令されたって、一般家庭の娘が家族そろって元旦に和歌を詠むのか? そんな伝統重視の家庭が全国でどれくらい存在しているのか、ぜひ西尾氏に教えて貰いたいものだ。一般家庭で普通に育った女の子なら、皇室の生活や公式行事 など3日こなしただけで音を上げてしまうだろう。周りの人間から一挙手一投足じっと見つめられ、失敗は許されない。緊張が続く公式行事を次々と押しつけら れるのだ。外務省官僚など、自分の権力を他人に見せびらかしたくって、天皇陛下や皇太子殿下を遠慮無しに引っ張ってくるのである。信じられないことを平気 でやってしまう役人が多いことを日本国民は知らないのだ。

  平成16年5月10日に皇太子殿下が記者会見で雅子妃の「キャリアと人格を 否定するような動きがあった」と語られたのは有名だ。雅子妃がその経歴を充分に活かし、新しい時代を反映した活動ができぬことから発生したお言葉であっ た。雅子妃が思い描いたのはヨーロッパの王族のように、外国へ行ってチャリティー活動やボランティア仕事をするイメージだろう。こんな事は雅子妃の経歴か らすれば、我々だって察しがつく。

  それに雅子妃が外国(なるべく欧米諸国)をご訪問されて、日本の外交官を装った諜報員が人脈を作り やすくする方が国益に沿う。アジアの貧乏国と違って欧米諸国は、日本にとって貴重な情報源となる。お金持ちで各界に顔がきく上流階級には上等で貴重な情報 が集まる。幅広い人脈をもつ貴族階級や新興中流階級の起業家は、我が国にとって旨味のある標的であろう。特に上流階級入りを渇望する起業家の奥方などは、 「ロイヤル」と名がついたパーティーに出席して貴婦人の気分を味わいたい。有力でお金持ちの中流奥方を日本の外交官がパーティーで籠絡(ろうらく)すれ ば、旦那にアクセスできるチャンスがでてくる。どうせ女盛りを過ぎた中年女房など高級ドレスを着たって誰も相手にしないから、日本の皇族に挨拶されたら舞 い上がってしまうだろう。貴族みたいに扱われたオバはん女房連中は、日本人を自宅に招いて旦那に会わせてくれるだろう。警戒心のない女房連中や、寂しがり 屋の高齢貴婦人らを最大限利用すべきだ。もちろん、殿下や妃殿下が「皇室外交」をすべし、と言っているのではない。両殿下はあくまでも親善訪問を目的とさ れ、随行する側近や武官が対外政略を行えばよい。雅子妃も嬉しいし、我々も貴重な人脈作りができるから満足である。

princess masako 1   皇太子殿下が雅子妃を「一生掛けて守る」と発言なされたことが問題になった。しかし、我々はご成婚前から雅子妃が困難にぶつかることは予測していた。多 くの日本国民は、美智子皇后陛下の例もあったから、民間の妃は苦労するだろうし、意地悪い側近連中が陰口をたたくだろう、と考えていた。だから、どうして も小和田女史と結婚を要望なさっていた殿下は、渋る雅子さまに対し、何があっても将来の皇太子妃の盾になる、と確約したのではないか。殿下も雅子妃が宮中 行事に不向きなことは、充分承知なさっていただろう。それに下品なマスコミが根掘り葉掘り嗅ぎ回ることも予測されていたはずだ。こんなの常識で分かるじゃ ないか。西尾氏は、殿下がそんな簡単な予測もできぬ間抜け皇太子と思っていたのか? 西尾氏は、自分が馬鹿皇太子より判断力と愛国心が優っていると自惚れ ていたから、殿下に諫言(かんげん)すると言いながら、実は叱りつけていたのだろう。

民間人である実家の苦労


   普通の家庭に育った日本人女性なら、皇太子殿下に求婚されたら、戸惑うどころか萎縮して怯えてしまう。皇室という最高で神聖な家に嫁ぐなど、考えただけ でも重責過ぎるし、神経がもたない。平凡でも気楽で自由な生活を望むのが、我々日本の庶民である。殿下の求婚を当初断っていた小和田雅子嬢の勇気ある決断 に、我々平民は感謝すべきだろう。もし、小和田女史が拒否して、後には誰もお妃候補がいなかったら、殿下はどうするのか。殿下は男としての感情をもつこと 厳禁なのか。一目惚れや恋いこがれる女性を求めてはいけないのだろうか。皇室に頼りきっている我々が、殿下の恋愛にまで口を挟んで文句を言うのか。まとも な日本人なら恥ずかしくて沈黙するだろう。

  国民の中には美智子皇后陛下のご実家である正田家がいかに苦労したかを、知っている者がい るだろう。御尊父の正田英三郎・日清製粉名誉会長は、ご成婚後言葉遣いにまで警戒心をもたれたし、政治家のパーティーには出席しないようにしていた。それ ばかりか、バーや料亭にも足を運ばなくなり、夜の8時には帰宅するようにしていたという。昔はお酒が好きだったのに、クラブ通いを止めてしまったそうだ。 ご成婚後、美智子妃殿下はお里帰りを控えるようになり、23年間にたった5回ほど。正田夫妻は東宮様(現在の皇太子殿下)をしみじみと抱いたことがない。 御所を訪れるのは、お誕生日と正月くらい。あとは、正田富美子夫人が美智子妃に電話を掛けるくらいだった。美智子妃殿下のお気遣いも驚くほどであった。宮 内庁の侍従にモノを頼むときも、必ず、「お暇でしたら」とか「お仕事がなかったら」といったお言葉を挿入していらした。妃殿下に仕えるのが仕事の侍従たち にそれほど神経を使われていたのである。だから里帰りをしたいと申し出たときに、宮内庁がいい顔をしなければ、皇太子殿下に何かご迷惑を掛けるのではと危 惧していらした。( 「美智子妃のご実家正田家の「栄光のなかの孤独」 『週刊新潮』 昭和57年9月2日号 )

正田夫妻と美智子妃殿下 の神経はボロボロになりかけていたのではなてか。普通の日本人ならノイローゼに罹ってしまうだろう。こんな苦労をするくらいなら、一般家庭の親は娘を皇室 へと送ることはしない。小和田夫妻だって理解していたはず。だから、皇太子殿下のプロポーズを親子で喜ぶことは、どう考えてもまず無いといってよいだろ う。我々は悠仁親王殿下の将来が心配になる。お妃選びが困難を極めるであろうから。

  雅子妃が気に入らないなら、西尾氏が適当な女性を 捜して連れてくるのか? 仮に西尾氏や宮内庁の役人が連れてきた女性を殿下がお気に召さなかった場合、殿下は独身のままである。側室制度もダメとしながら 男子皇孫を望んだ我々がどうこう言えるのか。皇室の厳しい生活を知り、どの日本女性も敬遠して、殿下が60、70、80歳になっても独身のままだったら、 日本国民はどう思うのか。結婚できずに寂しい30、40、50、60、70代を過ごされる皇太子殿下のお気持ちはどうなるのか。自由にカラオケ・ゴルフ・ セックスを楽しんでいる一般国民に、殿下がお選びになった女性を、ああだ、こうだ、と批判する権利があるのか? 西尾氏は殿下のささやかな幸せをも嫌いら しい。

  私は皇太子殿下が愛子さまをあやして傍らでピョンピョン兎跳びをしているお姿をテレビで拝見し、見てはいけないものを見てしまった憂慮の年に捉らわれた。 ( 『WiLL』 2008年8月号 p. 36)

   「見てはいけないものを見た」なら、早く寝て忘れろ。そんなに嫌ならテレビを消せ! 殿下が新聞・テレビ局・マスコミを呼びつけて、カメラに映して放送 してくれと頼んだのではない。殿下は一人の父親として素直にお喜びになっただけであろう。愛子内親王殿下がお生まれになって本当に良かった。殿下のご尊顔 に笑みがこぼれるのがそんなに嫌か、西尾よ! 殿下がいつも厳めしい龍顔(りゅうがん)であれば満足なのか? 年中ご公務で忙殺される殿下が、ご家庭で平 凡な幸せを噛みしめたら不満なのか、西尾よ! お前なんかに生まれたときから運命が決まっている殿下のおこころが分かるのか? 日本の庶民なら殿下のお気持ちを察して反省するはずだ。お前みたいに皇室 を尊重しているかのように偽装して、殿下の内面までずけずけと踏み込む野郎を下種(ゲス)というのだ。自由に反論できない殿下をいたぶって楽しいのか? 

   反省すべきは我々日本国民である。雅子妃がご公務を欠席されたことを咎めているが、妃殿下が外部に現れないと皇室が衰退するのか? 皇太子殿下や天皇陛 下がご健在であるだけで我々は幸せだ。天皇陛下はマスコミが英霊を戦争犯罪人扱いしようとも、決して臣民を見捨てることはなさらない。支那人のために英霊 を切り捨てた中曽根康弘とは違うのだ。ひがみ根性の大衆が雅子妃を公務さぼりの常習犯としている一方で、国民は天皇陛下が靖国神社に御参拝できないように しているではないか。自衛隊の特殊部隊を慰問したり、退役将校を晩餐会に招いたりさせないようにしている国民は正常なのか。藝人を叙勲対象にしても、自衛 官はそれ以下の扱いにする国民は立派なのか。反日報道を繰り返すNHKに受信料を払ったり、朝日新聞を長年に亘り購読してきた国民に罪は無いのか。西尾幹 二に賛成して雅子妃を批判する国民はよく考えろ。 



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チャンコロ屋の加地伸行

支那人に跪くチャンコロ(中国)学者
kaji  takeuchi(左側 加地伸行/ 右側 竹内実)


  かつて『産経新聞』紙上で、渡部昇一・上智大学教授と加地伸行・大阪大学教授が「中国」「支那」論争を繰り広げた。一般国民は幼い頃から学校で、支那を 「中国」と呼ぶよう洗脳されているので、「支那」を侮蔑語と勝手に思いこんでいる者もいる。しかし、中学生くらいになって、英語を学ぶと「チャイナ」は 「支那」と同じ「秦」から由来することが分かる。英語教師は生徒から質問されると困るから、わざと触れないようにしている。厄介な問題には蓋をするのが教 師の習性だ。見ざる、聞かざる、言わざる、に「さようでござる」が事なかれ教師の鉄則。論争なんかしない。だが、もっと悪いのは、支那人の肛門まで拝む 「チャンコロ」屋である。

  「チャンコロ」が侮蔑語だと思っている日本人の良い子も多いか、これは「中国人(チャンコーロー)」を日本 語風に発音しただけ。日本人がなまったら悪いのか? 薩摩弁を話す者が、津軽弁や名古屋弁を「耳障りの悪い方言」と批判できないのと同じ理屈だ。支那人が何と言おうが日本人の勝手だ。支那人がキャンキャン 言ってきたら、英語で「Get Lost, Chinky(うせろ、シナ野郎)」と言ってあげればよい。もし、日本人で「中国」という呼称が好きな者には「チャンコロ屋」と呼びなさい。鼻っ柱を叩か れた犬のようにおとなしくなるだろう。

  犬よりも始末に悪いのが、大学教授や文化人といった暇を持て余すお喋り藝人。象牙の塔の住人は 変な人が多い。特にアジア人の文化や政治を研究している輩に、ねちねちした性格の根暗型老人が多い。月刊誌の『正論』や『WiLL』に文章を書いている加 地伸行が、こうした有害老人の一人だ。

  論争の発端は、渡部先生が「中国」は学問的にみてもおかしな呼称であると指摘したことであっ た。昔から我が国では「中国」は我が日本であって、「中朝(ちゅうちょう)」といえば日本を意味した。もちろん、支那人が「中朝」と言えば、自国シナのこ とである。よく外務省官僚が、外国から日本に帰ってくるとき、「帰朝(きちょう)」と言う。「本朝(ほんちょう、つまり日本)」に帰ってくるからである。 ちなみに、北朝鮮に首相が訪問するときは、「訪鮮(ほうせん)」と言うべきである。「訪朝」では紛らわしい。

  渡部先生は「おかしい 例」として、宮崎市定博士の名著『科擧』を取り上げた。この著書は昭和21年に秋田屋から出版されたもので、それを昭和61年に平凡社が復刻したのであ る。(産経新聞 平成元年8月21日)ところが、旧版で「支那」と記述されているのが、ことごとく「中国」に書き換えられている。「歴史的假名遣い」を 「現代かな遣い」にするのは分かるが、「支那」を削除する必要はない。たとえば、宮崎博士はこう述べている。

  「何となれば科擧は清朝 二百数十年の制度たるに止まらず、實に支那社會に千年三百年餘年の歴史を有する制度であり、従つてその崩壊は千三百年継続したる制度の崩壊である。・・・ 抑も科擧は支那的なると同時に儒教的なるものである。」 ( 宮崎市定 『科擧』 秋田屋 昭和21年 pp. 278-279)

  これと同じ箇所が平凡社版では、

   「なんとなれば科挙は清朝二百数十年の制度に止まらず、実に中国社会に千三百年余年の歴史を有するせいどであり、したがってその崩壊は千三百年継続した る制度の崩壊である。・・・・そもそも科挙は中国的なものなると同時に儒教的なものである。」 (宮崎市定 『科挙史』 平凡社 東洋文庫 1987年  p.311)


宮崎博士はこの『科擧』が古書業界で需要があるため、法外な高値が付いたことに驚かれた。そこで原本を補訂復刻版と して平凡社から出したのである。補訂のためとはいえ、「支那」を「中国」にする必要はないだろう。原本の薫り高い文体が台無しだ。筆者は秋田屋版の方が絶 対いいと思う。宮崎博士は『論語の新研究』(岩波書店1974年)も出版されていて、「支那」を使っている。何も問題はなかった。

  件の論争に戻る。加地はこう述べる、

「中国人自信は国体を中国としているのである」から「学問上、国体表現をもってその国の歴史をろんずるのが、かえって客観的なのである」。 (産経新聞 平成元年9月2日)

支 那大陸には複数の政権が存在したりする複雑な環境があるから、「中国研究者は、その客観性のために国体として中国と記すのが妥当なのである」とぬかしてい る。つまり、加地氏が言いたいのは、支那大陸では何人も皇帝が現れて、それぞれ王朝を建てたり、打倒したりで、国号が色々変わるから、一貫した「中国」と いう名称を使うと混乱しない、と言いたいのだろう。日清戦争後、清国留学生が我が国に来て、日本人に「君の国の名称は?」と尋ねられて、彼らは困ったので ある。国名がなんだか分からなかったし、気にも掛けていなかったのである。支那という広大な土地で、腕力の強い豪族が王朝を建てれば、民衆はただ服従すれ ばよかった。「唐」や「元」「宋」「清」とかの異民族王朝がどうなろうと、一般支那人はお構いなし。だから、支那人が日本人に「国の体質が中華」と言い 張っても、我々日本人は「ふーん。そうかい」と言って無視すればいい。

  支那人が「世界の中心」とか「中華」、「夏」と自称しようと も、我々にはどうでもよい。「支那」でいいのだ。そのあと、論争が数回続き、加地氏が山鹿素行の『中朝史実』や山片蟠桃の『夢ノ代』を引き出して、語源や 用語の蘊蓄披露となる。渡部先生は支那人が自国を「中国」と呼ぶとき、中華意識ないし華夷秩序が根底にある、と論じているのだ。至極まっとうな見解であ る。さすが渡部先生、碩学である。しかし、加地氏は「中国という語に対してなんの美称感覚もない」と応える。加地氏がどう感じようと、自己中心的「夜郎自 大」の支那人は、日本人を「東の夷狄(貉/むじな)」としか考えていない。だから、支那を「中華の国」と尊ぶよう外務省の岡崎勝男に命じたのである。

   論争の中で、渡部先生が加地氏に日本は自らを「中国」と称してきたし、日本には「中国地方」があるのだから、「漢字の知識があるなら」これが正しいと分 かるはずだ、と丁寧に指摘してあげた。(「産経新聞}」 平成元年年9月23日) 加地氏は、「漢字の知識がない」と指摘されて、「京都大学で支那哲学史 講座選専攻の卒業生」ですよ、と自慢している。(「産経新聞」 平成元年10月5日) 大卒の馬鹿なんていくらでもいるのが、分からないのか。アホんだ ら。卒業したから思考能力がついたと勘違いするな。京都大卒でも漫才師になれたらたいしたものである。敗戦後、それまで「支那文學史」と呼んでいたのに、 「中国文学史」に変えたりした大学の教授連中は恥を知れ。京都大学には内藤湖南や狩野直善ら高名な支那学者がいたのである。変節漢の吉川幸次郎はさっさと 「中国学者」に鞍替えした。津田左右吉は「支那思想と日本」を岩波から出版していたが、戦後も変節しなかった。

Watanabe Shouichi  (渡部昇一・上智大学名誉教授)








   この論争で我々が注目すべき点は他にもある。出版社が「支那」という呼称を抹殺したことである。学問や言論・出版の自由を高々と掲げて誇りにしている文 化の砦なのに、裏で陰湿な圧力を著者に掛けていたのである。渡部先生はご自身の経験から、この「支那」使用禁止の風潮を語っている。また、論争の評論を依 頼された宇野精一・東京大学名誉教授は、おおむね渡部先生に賛成している。宇野氏は論語や孟子などの研究で有名な学者であるから、評論と判定の資格があ る。宇野氏も出版社から「支那」に対する圧力を経験していた。例として講談社を挙げている。宇野氏は論争への感想として述べている。

 「私は漢籍の古典を学ぶ者として、中国といえば天下の中央の国、即ちわが国という感じがどうしても拭へないから、日本人として彼の国を賞するのは適当ではないと考へる」 (産経新聞 平成元年1月11日)

宇野氏の見解は古典学者としても日本人としても健全である。もう一人の評者、竹内実・立命館大学教授は有名な「チャンコロ」屋である。竹内氏は「なにをいまさらシナを引っ張りだそうとしているのか」、という感想を述べた。

  「中国」の呼称を使う研究者にレッテル貼りをするのは、いかがなものか。そのいたけだかな態度は、かつての「暴支譍懲(ぼうしようちょう)」、「暴戻なる支那を譍懲せよ、と叫んだ帝国軍人の口吻(こうふん)そのものである。 (「産経新聞」 平成元年11月2日)

   竹内は「支那」という言葉は、「すでに死語である」し、それは未だに消えていない「いやな思い出」と述べている。「支那」と聞いて帝国軍人を思い出す支 那学者とは、どういう頭の構造をしているのか。では「米国」と耳にしたら「原爆攻撃」を思い出だす米国史研究者とか、「アフリカ」ときいたら「奴隷狩り」 をつい連想してしまう文化人類学者など異常である。広島と聞いて「もみじまんじゅう」を連想しする庶民はいるが、暴力団を思い浮かべる学者はかなり重症だ し、川崎と聞いて売春宿が浮かんでくる教師は変態だ。敗戦後、すぐさま思想転向を行った「チャンコロ屋」は、進歩文化人同様、胡散臭く、品性が卑しい

  産経新聞の『正論』メンバーでもある加地氏は、自らを「伝統保守」と公言している。日本の伝統を守る漢学者が、先輩学者の使っていた「支那學」を弊履(へ いり)の如く捨て去り、支那人どもの命令を聞いているのだ。どこが伝統重視なんだ? 加地、答えてみろ! この手の「チャンコロ屋」に日本人はよく騙され る。特に、引退まぎわの中高年で、仕事の合間に教養を深めたいと願う読者層である。孔子や孟子の漢籍を学ぶと、いかにも教養人になった気がする。見慣れぬ 難しい漢字を並べただけで、中身の無い文章を有り難がる。古代ギリシアやローマの古典の方が、尚武の国日本にとっては有益だが、なにせ歳をとってからの外 国語習得は辛い。よってすぐに分かる漢文の方に惹かれしまう。僅かにある加地の人気は、こうした教養追求老人のニーズに応えたものである。やれ『論語』 だ、『日本の伝統文化』だと言えば、保守的読者層が靡(なび)くのである。

 我が国の歴史を振り返ってみると、日本人は支那人を観念的に 考えてきた。実際に接触する生身の支那人ではなく、書物の中に現れる透明な支那人を空想してきたのだ。ゆえに、支那人の鼻糞や有毒煤煙だって「君子の国」 から飛来した有り難い舶来品と考えるのが、チャンコロ屋の性(さが)である。こうした大学に棲息する文学匪賊が世間に撒き散らした害悪は相当なものであ る。紀州に江沢民の銅像を建てようとした二階俊博みたいなのが発生してくる土壌をつくったのは、こうした支那崇拝の学者であった。支那製急行列車に載せ て、あの世へ送りたいものである。

  

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家族をつぶせ! 福島みずほの日本人憎悪

白人が消滅する西歐世界

beautiful kid 5   戦争でもないのに西歐世界でゲルマン系やケルト系白人の数が減少しており、その勢いが止まらない。原因は明白だ。若い男女が結婚しないとか、所帯をもって 子供を産まない、あるいは一人しか持たぬよう決めているからだ。若者に性欲が無くなったり、生殖機能に異常が生じたわけでもなかろう。巷のメディアでは セックス関連の記事や映像、流行などで溢れている。ファッション業界だって男女が恋愛をしているから、異性の気を引くような服が売れるのだ。先進国の少子 化は、結婚の意味が不明確になったことや、出産より仕事の経歴と所得の方が重要視されたことが原因だろう。結婚が神聖で人生の一大事だった昔と違い、婚姻 が男女間の共同生活契約みたいになっている。いつでも別れられる同棲生活の方が気楽でいいが、結婚した方が税制上、有利で得だから結婚しようとするカップ ルが多い。結婚生活が経済上の問題なら、生まれる子供は同棲上の「おまけ」程度だ。

  我が国のマスコミは真実を隠して嘘を撒き散らしな がら、日本国民を不幸にしたい意図を持つ。なぜか? 全共闘世代が共産主義革命を起こして支配者になる夢があったが、日本の庶民が健全だったため、彼らに 従わなかった。共産主義革命は日本人の生活をメチャクチャにして、貧乏にし、家庭を不幸にして、自暴自棄的人生にすることが重要である。平常心と良識を無 くした日本人を大量生産することで、革命戦士軍団ができる。しかし、1970年代も末になると革命熱は消滅。元左翼学生は日本を共産主義国にできぬと悟っ ても、昔の癖が抜けないから、反日行動をついとってしまうのだ。テレビ局に潜む左翼スタッフがいつまでも左翼踊りを止めぬ理由がここにある。フランスのだ らしない同棲婚や北欧の冷え切った家庭を理想とするのだ。少子化対策はヨーロッパに見習えと国民に説教垂れる評論家は、脳幹の中まで真っ赤に染まっている のだ。

  先進国の女性が出産・子育てよりもキャリア(career)を重要視するあまり、晩婚化が進み、出産したいと思ったら、卵子が 減少し子宮が老化していた、てなことになっている。運良く妊娠できたって、40歳前後の女性では一人産んだら子宮はもうヘトヘトだ。肉体的にも辛い。彼女 らが悔やんでも手遅れ。「後悔先に立たず」を噛みしめて晩年を送るのだ。有名なピュー・ヒスパニック・センターの調査報告書を覗いてみればよく分かる。 (The New Demography of American Motherhood, Pew Research Center August 19, 2010)

  アメリカ人女性1000人あたりの子供の数か減少しているのである。1990年に10代の母親が533名だったの に2008年には441名になった。これが35歳以上の女性で母親になった者は、1990年に368名だったのが2008年には603名に増えている。つ まり、若い母親が減って高齢の母親が増えていることになる。晩婚化が進んだのである。そこで、出生率を人種別で見てみることにする。( 1000人あたりの出生率)
             1990年        2008年
  白人        22                        14
  黒人               62                        33
    ヒスパニック     53                        38
    アジア人              14                        9

米 国では白人女性の晩婚化と出生率減少が確実に進んでいるのだ。その反対にヒスパニック人口が増えている。白人の出生数は、1990年で2,713,000 人なのに2008年には2,273,000に減っている。一方、ヒスパニックは1990年に595,000人だったのが2008年には1,039,000 人に増えている。

  晩婚化と少子化の原因は、キャリア女性の考え方にもあった。人口や結婚について研究しているシルヴイア・ヒューレト (Sylvia Hewlett)は、企業で高い地位につく女性にインタヴュー調査を行った。ある女性(Polsky 44歳)は、地位が安定して次の出世ができた後に、子供をもてたらいい、と考えていたら、子供がもてる年齢を過ぎていた。別の女性で大学の医学研究者 (Kate 52歳)は、キャリアのために30代を無駄にしてしまった。「ただ単に注意していなかった」と後悔している。(Sylvia Ann Hewlett, Executive Women and the Myth of Having It All, Harvard Business Review, April 2002)

  さらに困ったことに、高収入で高学歴を持つキャリア職の女性には、適当な結婚相手が少なく なっているのだ。まさか、彼女らより低収入で低学歴の平社員や肉体労働者では釣り合いがとれないし、自分より若い男たちは振り向いてくれないのである。食 べ物に例えれば、賞味期限が切れた高級ハムは、見た目が良さそうでも誰も喰わない。ところが、同様の地位をもつ男たちは、結婚相手に高収入の地位が無くて も平気で、若くて魅力的な女性を見つけて、結婚してしまうのだ。彼らは歳をとったキャリア女性には感心がない。乳房が干し柿みたいになっても、キャリア女 性は桃尻娘みたいなロマンスを持ち続けているのだ。白馬にまたがった王子様ではなく、白衣の介護師が待っていることに気づかない。

   フェミニストが目指す「女性が輝く社会の実現」とは女性が晩婚化し子供をもたない社会を目指しているのだ。専業主婦はセックスしか能が無い低学歴の女がな るもので、高学歴の女性はその才能を企業で発揮して、輝く人生を歩むのだ、と洗脳する。自尊心をくすぐられた大卒女性は、キャリアを積むために貴重な20 代や30代を費やしてしまう。30代後半になって、あわてて結婚しても一人子供を産めるだけ。それでも、フェミニストは子育てはつまらないから、社会(職 場)復帰を勧めて、専業主婦を断念させようとする。そのために、配偶者控除を無くして夫婦共稼ぎにし、残された子供は託児所に預けろ、と主張する。これは 働く女性を助けるためではなく、仲間である社会党・共産党の役人・福祉関係者に職を与えるためである。税金を子育て支援機関に回せば、赤い反日分子が託児 所などで増殖するからだ。そして、既婚女性に経済力をつけさせ、離婚をしやすくし、家庭を崩壊させれば、グレた子供が増えて、革命戦士にしやすくなる。左 翼弁護士は「明るい離婚」を宣伝してひと儲け。左翼政治家や赤い官僚に騙された「輝く女性」は、しわくちゃになった顔を見つめて、冷たい一人暮らしの老後 と死を迎えるだけ。失った時間を返せ、と怒鳴ったって手遅れだ。

幸せな家庭を壊したい福島みずほ
fukushima mizuho 1   説明が長くなったが、こうした背景が頭に入っていないと、現在進行している「女性活用社会」の恐ろしい思想が分からないし、推進している人間の正体も曖 昧になってしまうのだ。フェミニズムは根が深く、こんな説明では不十分である。今は、簡単な例をひとつ挙げておく。それは男女同権や女性の人権を、長年言 い続けてきた社民党の福島瑞穂を取り上げてみる。
  福島瑞穂は極左弁護士であることは知られているが、その個人的過去は あまり知られていない。彼女は祖母、父、母、姉の五人家族に育った。あまり温かい家庭ではなかったのだろう。祖母は瑞穂の顔を覗いて、「おばあちゃんとお かあさんのどっちがすき? 」と聞くことがあった。その質問に瑞穂は答えなかったという。「おかあさん」と答えれば、祖母は不機嫌になるから、沈黙していたのである。父親は母親と妻 の間で、微妙な立場にあった。母親はいつも何か心配そうな顔をしていた。瑞穂は母親が何か言葉をため込んでいるようで、母が幸せであると思えなかった。そ こで瑞穂は、家制度に押しつぶされたくない、「嫁」とか「奥さん」とかいう役割は将来演じたくない、と決めたそうだ。( 福島瑞穂 「あなたも家から解放される? 」 『サンサーラ』 1991年2月号 p. 126)

  女を鋳型にはめる「家制度」はもう ご免だ、と瑞穂は考えていた。結婚式によくある、「XX家」と「YY家」とのスピーチには、ケーキをぶつけたくなるほど嫌いだという。墓でも、「OO家之 墓」というのを見れば、骨になってしまった夫と妻、兄弟姉妹、、嫁姑、親子などが来世でもケンカしているようで「ゾーッ」としてしまうらしい。でも、世間 には仲睦まじい夫婦だっているし、仲のいい兄弟だっているだろう。「家制度」が心底嫌いだそうで、日本の墓地は暗くて「家」のオバケが出てきそうだって。 なら、明るい霊園に墓を建てればいいだろう。

  政治家になる前、弁護士をしていた瑞穂は、離婚の相談を受けたときを回想する。離婚にな ると「家」の問題が出てくるから、話がややこしくなるのだ、と言う。離婚調停に双方の両親が出てくると話が難航するから厄介なんだって。また、瑞穂は「父 親のいない子と息子を結婚させると戸籍が汚れる」から結婚に反対する母親のケースを話す。子供の結婚に関心がある親の方がまともじゃないか。しかし、「家 意識」に縛られたことで生じる破談を一般化してしまう瑞穂は、やはり左に傾いている。

  終いには、「家」によって手足をしばられるの は、うっとうしいから「そろそろ終わりにしたいものだ」と語る。「あなたも家から解放される」という新興宗教の教祖に出もなって、金儲けをしようかな、と 思う日々を送っていたそうである。(p.127)  いやぁ、本音を語っていたんだね、瑞穂よ。社会主義とか女性解放運動といった洗脳活動を指導する教祖になれたじゃないか。しかも、2億円の個人資産をもて たのだから、庶民よりも裕福になった。結婚してない亭主の渡部彰悟と一緒にいくら稼いだのか言ってみろ。社会党の仲間がうらやむぞ。他人の家庭を不幸にし て喜ぶ奴に限って自分の生活は大切にするのだ。「社会に出て輝く女性」を謳っているが、本当は自分が社民党党首になれて輝いただけだろう。

   フェミニストは会社勤めの女性が出世に関して不満を持っていたり、夫婦生活に問題を抱えていることを承知している。そこで、家庭を離れて他人だらけの会 社の方が幸せだと囁く。子供が邪魔なら、社会主義者の保母が面倒を見ると提案する。自分の子供は怪しい共産主義者の元で成長し、外で働く女性は我が子を心 配しながら、職場で時間を磨りつぶす。家庭なんかつまらぬ場所と考えるようになった女性は、福島瑞穂の罠にかかったも同然。家庭は「拘束服」程度にしか考 えていない瑞穂に騙されたと気づいた頃には、子供も夫も離れているか、他人みたいになっているかだ。詐欺に気づいた被害者と変わらない。女性の人権を人一 倍叫んでいた瑞穂が、拉致被害者に対しては冷酷だったとを思い出すべきだ。女性の人権を瑞穂のような社会主義者が主張するときは、革命同志をつくるときだ けである。日本の女性にはいい加減「女性の権利」とか言ってる「悪徳政治家」を駆除するよう願いたい。女性の権利や幸福を擁護するのは「女性議員」という 幻想は捨てるべきだ。



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慰安婦の実態 今回は読まないで下さい

国産品を買え!

korean 6  朝鮮人慰安婦は「鮮ピー」と呼ばれていたことは以前このブログに書いた。しかし、読者には言えなかったことがある。鮮ピーについては、鈴木博雄の『体験的 慰安婦の生態』(全貌社 平成9年)が具体的に語っている。鈴木氏は当時の日本人が慰安所のことを「ピーヤ」と呼んでいたことを教えている。「P」は「プ ロスティトゥート(prostitute)」の訳の他に、支那語の「ぴー」から由来していることである。漢字はどうかと言えば、「尸(しかばねかんむ り)」に「穴」を組み合わせた漢字。つまり、女性の性器を指す。「ヤ」の方は、魚屋とか八百屋の「や」である。つまり、「女性自身屋」という日・支混ぜ語 である。(p.14) 
この語源を披露しなかったのは、中学生や高校生の可憐な少女が読むことを危惧していたからである。本当のことでも下品な事を言うのは、日本男子として躊躇(ためら)いが生じるのだ。 つくづく思うが、支那人という奴は実に卑猥な言葉を考えるものである。

   日韓併合で朝鮮人は日本国民なってしまったから、建前上は日本人と同格。朝鮮ピーも日本ピーも「国産品」売春婦であった。当時の軍隊では送金や貯金が強 く奨励され、外国でお金を使うときは日本商店で落とせと言われていた。「国産品を愛用せよ」がひとつの標語であった。よって我が軍の兵卒が性欲を満たそう とすれば、日本人か朝鮮人の慰安婦を買うよう奨励されたのである。民主党の連舫や辻元清美がキャンキャン吠えそうなモットーだが、戦前は公娼制度があった から女性でも金切り声を上げて非難しなかった。当時、娼婦は甲乙丙でランクがあり、甲は2円で十代の若い娘が一般的で、乙は1円でも二十代から三十代の増 女(としま)が混ざっている。他に丙があるが、このランクは不潔で病気持ちが多かったから、丙の娼婦がいるピーヤに日本兵は立ち入り禁止。料金もいくらか 分からない。

  支那大陸でのピーヤがどんな風なのか知りたい。山東省齊南に派遣された鈴木氏が支那ピーヤでのエピソードを語っている。 彼が支那ピーヤに入って支那ピーと契約が成立すると、彼女が「媽(マー)」と呼ぶ。郭(くるわ)の「お母さん」といったところか。すると、纏足(てんそ く)をしたやり手ババアが洗面器を持ちながら出てきて、客から料金を受け取る。すると、支那ピーは紐で結んだだけのズボンを降ろし、下着も着けていない裸 の下半身を露出する。各部屋に備え付けてある便器に小便をして、それからババアが持ってきた洗面器にまたがって、その中にあるお湯で「商売道具(性器)」 を洗うのだ。股を布で拭いたら準備完了。(p.208)

  鈴木氏はこの娼婦が字を知っていたのに驚いた。筆談で彼女が苦力(クーリー)の娘で、ピーヤが「地獄」と書いたという。鈴木氏は没落した家庭の子かと推測 したが、可哀想なので質問を遠慮したそうだ。鈴木氏がある時このピーヤに再訪してみると、あの娼婦は居らず、居合わせた女が「小孩カンホ」としきりに言う ので何かと思った。鈴木氏が、あの娼婦は何歳かを尋ねた。その女は「十三歳(シーサンスイ)」と答えた。(pp. 212-213) その支那人女は少女とセックスをする日本兵を非難していたのだろう。だが、支那では幼女売春など普通で、誰も気にしていなかった。人間の肉を食べる支那人 が外国人をどうこう言うのは滑稽である。

「朝鮮娘を奴隷狩り」の嘘

Korean school1   今頃になって吉田清治の捏造本と朝日新聞の共犯関係が暴露されたが、慰安婦の実態は1990年代には明らかになっていたのである。鈴木氏が、朝鮮人女性 の強制連行など馬鹿らしくて話にならぬ、と思っていたのには訳がある。戦前、内地(日本)の中学生が朝鮮女生徒の髪型か何かをからかったのが原因で、半島 全域で大騒ぎになり、1528名もの退校処分者を出したことがあった。朝鮮人生徒が大勢、いつものごとく激怒したのだろう。今の日本でも見られるあの激昂 しやすい朝鮮人が戦前にもいたのだ。

  また、光武帝葬儀の時、朝鮮人の泣く姿があまりにも酷かったので、ある日本人が軽蔑的言葉を発し てしまった。それを聞きつけた朝鮮人が「殺してしまえ」と叫び大騒動に発展したという。朝鮮人は葬儀の時、いかに悲しんでいるかを他人に誇示するために、 みっともないくらい号泣するのである。泣き女を雇ってまで悲しい葬儀を演出するのだ。日本人なら呆れて「ばっきゃじゃなかろうか」と言いたくなる。

   ある傷害事件が半島で起こった。在鮮日本人の中学生が些細なことで鮮人中学生と口論になって、その朝鮮人を短刀のような物で刺した。おそらく、その朝鮮 人生徒に負けそうになって、錯乱した日本人生徒が刺したのではなかろうか。鈴木氏は、負けそうになっての凶行と推測している。まさか謝った相手を日本人が 刺すわけないだろう。昔は道徳的教育や躾がしっかりしていて、子供だって卑怯なマネは嫌だった。朝鮮人生徒らが激怒し、194校から5,4000名の鮮人 が抗議デモに参加して大騒ぎになった。(p.31)

  こうした事件を知っていた戦前の世代は、朝日新聞の捏造報道に押さえきれない憤り を感じていたのである。若い母親から娘を奪ったり、父親・兄・近所の若い衆がいる前で少女等を無理矢理引っ張ってトラックに載せるなど妄想も甚だしい。娘 を守ろうとした朝鮮人の男どもを殴る蹴るの暴行を加えたり、木刀で殴打したなど馬鹿らしい。「朝鮮娘を拉致して護送車の中で輪姦した日本人」と言う左翼ど もの嘘を日本人の多くが信じてしまった。如何に「戦前の日本は下劣」という「日本人前科者」史観が浸透していたかが分かる。不思議なのは、朝日や吉田が朝 鮮の男は腑抜けだと宣言していたのに、なぜ在日南鮮・北鮮人の男らは黙っていたのか。在日鮮人が誰も朝日新聞に石を投げつけなかった。驚きだ。奇蹟だ。天 変地異が起こったのか? ちょっとしたことで、唾と鼻水を飛ばして怒り狂う朝鮮人が、戦後になってもおとなしく無口でいた、などと朝日記者は本気で信じるのか。

   朝鮮から引き揚げてきた日本人なら、朝日新聞のヨタ記事などアホらしくて読めない。ただ侮蔑と公憤を投げかけるだけだ。そうはいっても、高齢の日本人は 大新聞に対して個人的に抗議できるわけもなく、ただ新聞を破り捨てることしかできなかったのだ。子や孫から侮蔑されるのを耐えるしかなかったのである。で は、戦争で亡くなった英霊の怒りは誰が代弁するのか。英霊の魂と肉を受け継ぐ我々ではないのか。我々一般国民もできることがある。友人や知人、役所、銀行 などに朝日新聞購読を止めるよう訴えることである。英霊が戦場で流した涙を思えば、それくらいやったっていいじゃないか。
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おっぱい「モミモミ」なんて! 変態朝鮮オヤジ

乳房をもみ続けるおっさん
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   現代では女性の肩を叩くのはもちろん、チョットしたセックス・ジョークを口にしただけで「セクハラ」と騒がれるご時世である。美女ならともかく、ブスま でも「セクハラよ、訴えてやる!」と脅しにかかるのだから、世の男性は怯んでしまう。しかし、戦前の朝鮮は日本とは違っていた。朝鮮人と日本人は「違う」 という場合、大脳・小脳・シナプスが違う、つまり人間の質が根本的に異なる。まあ、別の惑星に住む異星人と考えた方がいい。玄界灘の先は天の川より遠いの だ。

  朝鮮統治時代には、多くの日本人が朝鮮半島に渡り、奇怪な風習や不潔な朝鮮人を目の当たりにして、驚くことが度々あった。そんな日本人の一人、野上豊一郎が執筆したエッセイ集がある。(野上豊一郎 「朝鮮の女  一つのクロッキ」 『草衣集』 相模書房 昭和13年)

   野上氏が朝鮮を訪れたときの出来事を随筆に書いている。朝鮮の女が短い胸衣(チョグリ)の下から二つの乳房を露出して歩いているのを見ると、初めのうち はその風習にたじろいてたいが、時間が経つと次第に見馴れてきたという。朝鮮人は一般に男女とも脚部を露出しない習慣を持っていたから、日本人が平気な顔 して足を見せることを野蛮だと考えていた。纏足の風習をもつ支那人が、浴衣姿の日本女性をみて性的に興奮したのだから、朝鮮人も日本の娘が下駄を履いて外 を歩くのを見て、さぞかし卑猥に思ったであろう。

  野上氏は、朝鮮女性がそれほど緊密に肉体を隠すのに、なぜ乳房だけは例外なのか、と 訝(いぶか) しく思っていた。他の部分は隠蔽するのに、乳頭の露出は何か特別な意味があるのか、と我々にだって不思議である。実際的に考えれば、子供に乳を飲ませると きに便利なようチョグリを短く裁断したものかと思えるし、民族的風習で何かの呪(まじな)いを意味するのかもしれない。そんなことを考えながら、野上氏は 扶餘から公州へ行くバスの中で驚きの光景を目撃した。(pp.161-168) 

 バスの中で出会った朝鮮女は若くて、日本ならまだ小 学校に通っているような年頃に見える。彼女が赤ん坊を尻に低く結びつけたから、母親なのだとようやく分かった。膨らんだ乳房を見なかったら、母親と分から ないくらい幼かったそうだ。その娘は白い服を着た老婆を連れてバスに乗っていた。バスがある村にさしかかったとき、とある停車場で「でっぷりした」大男が バスに乗ってきた。その太った朝鮮人は、ぴかぴかした朝鮮服に安いパナマ帽を被って赤い顔をしていた。するとその男は例の赤ん坊を抱いている娘の隣に坐っ たのである。

  この朝鮮男はとろんとした目つきで若い女の顔をしげしげと眺めていたが、やがてその手は赤ん坊の足や踵(かかと)をなぜ まわしていた。その若い娘はねらい寄ってくる男を避けようともせず、抵抗しようともしなかった。つぎに男の目は彼女の肌をなめ回すように動いた。この男は バスの運転手に話しかけて、乗車賃を値切ろうとしつこく交渉し始めた。

  朝鮮男     「公州まではいくらかね?」
  バス運転手  「1円20銭です。」
    朝鮮男       「1円20銭、高い。まけなさい。 1円でよろしい。」
  バス運転手  「だめです。」
  朝鮮男       「金がない。1円でよろしい。」
  バス運転手   「だめです。」

   せこい朝鮮男は、こうした値切り交渉を続けていたそうだ。両者とも朝鮮人なのだが、日本語での遣り取りが奇異に感じられる。運転手は金某というらしい が、日本語は流暢であった。一方、その朝鮮男は、日本語で充分なことが言えず、たどたどしい話し方であった。そんな押し問答を野上氏は興味を持って眺めて いた。

  ところが、ふと気がついてみると、さっきまで赤ん坊の足をいじっていたこの朝鮮男の手は、いつしかその若い母親の片一方の乳房 を掴んでいたのである。その手を弛めたり、握りしめたり、なぜまわしたりしながら、運転手と値段交渉をしていたのである。朝鮮男は運転手とやりとりをしな がら、時折彼女の横顔を見つめたりした。揉まれている娘は乳房を男にいじらせながら、無感覚のようにその顔をまっすぐ前に向けていた。隣に掛けている老婆 は気がつかぬ振りをしているのか、運転手台の後ろに寄りかかって目をつぶっている。他の乗客も気づいているのだが、何も言わず黙っている。その娘が何か恥 ずかしがっているとか憤慨しているなら、野上氏はその男を窘(たしな)めようと思っていた。しかし、彼女は平気な様子で、少しも迫害された意識を持ってい なかったのだ。

  野上氏が観察したところ、その女の身なりはかなり貧しそうで、朝鮮男の方は社会的地位が高そうだった。彼の社会的優越 性が傍若無人の振る舞いを通させているのでは、と推測した。貧しかったり身分が低い女は、男の横暴に対して堪え忍ばねばならぬ、との意識が根強いのではな いか。それを承知で男がつけあがっていたのではないか。野上氏がその朝鮮男に視線を向けても、こののスケベ鮮人は彼女の乳房から手を離さなかった。その男 は乗車賃の値切りを止めなかったので、途中でバスから追い出されてしまった。このいやらしい男が降りた後、野上氏があの娘を見ると、相変わらず無表情で 真っすぐ前を見ていたという。

  いゃあー、朝鮮ってのは不潔なだけではなく、民族性が下劣な国である。たぶん金日成や金正恩みたいなデ ブの朝鮮人が、立場の弱い娘を狙って乳を揉んでいたのであろう。日本人女性なら、胸を触ってきた朝鮮人を半殺しにするだろう。しかし、悲しくもあり情けな いほど破廉恥な朝鮮社会は、日本の一部になっていたのである。日韓併合をした明治人は、とんでもない失政・愚挙を行ったものである。朝鮮合邦を真剣に討論 せずに断行したのが間違いであった。

  それにしても、朝鮮人は強い立場の者は弱い立場の同胞に対して、何でもできると思ってやがる。日 本人を弟分だと勝手に決めつけて、傲慢な態度をとる朝鮮人を見れば理解できよう。まあ、朝鮮人なんか相手にしなければいいだけだ。それより、あんな卑猥で 卑劣な出来事を記した随筆を在日朝鮮人が聞いたら、またもや日本人によるヘイト・スピーチだとわめき立てるに違いない。朝鮮人が劣等民族なだけなのに、そ れを日本人が指摘したら、差別主義者と罵り始めるのだ。そうだ、支那人に朝鮮人の手首を切ってもらうよう頼めないかな? 胡錦濤なら笑顔で「OK」かもね。


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