2015年9月23日水曜日

無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2014年11月

糞尿を薬にしていた朝鮮人

糞尿で病気を治す朝鮮人
koreans 50   朝鮮人は日本統治を残酷な植民地時代と思っているが、事実は全く正反対であった。日本人が支配した時期は朝鮮史の黄金時代だった。どうしようもないアカ ンタレであった朝鮮人の陰惨な歴史に、突然日本人が降誕して暗い半島に燦然たる太陽が昇ったのである。近代学問が理解できない朝鮮人には説明しても無駄だ ろう。しかし、民度の高い日本人は今まで秘密にされてきた朝鮮の真実を知るべきだ。特に朝鮮人には異次元の学問たる自然科学が日本人によってもたらされた のである。この恩恵たるや支那儒教の100乗くらいでは済まない。10億分の1(One in a billion)くらいの奇蹟的幸運であった。朝鮮人に謝っている日本人は朝鮮人の肛門を舐めて死ね。

  日本人によって西洋医学がもた らされる以前の李朝時代では、日本人には驚愕の迷信医療が横行していたのである。こんな恥部を日本人に暴露されたら、現在の在日朝鮮人は赤面して激怒する だろうが、日本人は真実を語る民族なので捏造歴史を信じるわけにはいかない。儒教のような空理空論の虚学と違い、医学は人間の利益になる実学である。これ ばかりは空威張りの朝鮮人も認めざるを得ない。日本人にはショッキングな迷信だらけで、とても信じられないが本当の話をしてみたい。もともと日本人は生真 面目な国民性を持ってるが、戦前の日本人は実によく朝鮮の文化・風習を調べていたのである。朝鮮総督府から調査を依頼された村山智順の報告書を基にして述 べてみたい。(調査資料第二十五輯 『民間信仰 第一部 朝鮮の鬼神』 朝鮮総督府 昭和四年 pp.441-463参照)

  衛生観念が無かった朝鮮人には、糞尿に対して抵抗がなかったのであろう。大便や小便は精霊としての感力と刺戟としての臭気を兼ね備えている。それらは病鬼を退治する効果があるのだろう。たとえば、

  腸チフスには乾かした犬の糞を粉にし水に溶かして服用する。また人糞を布袋に入れ煎じて飲めば完治する。

   豚の糞を水に溶かして飲む。小便器に鶏卵を入れて煮沸かしたものを服用する。また、人糞にネギを混ぜて煮たものを食べる。馬の糞を煎じて食べる。白犬の 糞を紙に包んだものを黒焼きにして食す。腐敗した藁(わら)に発生した白い虫を油で揚げて食べる。人糞か女の月経水を飲む。

「犬・豚・馬 の糞」だって? ウジ虫が混ざったキムチを食べているのは知っていたが、朝鮮人は動物の糞まで食べていたなんて。糞混じりのワカメを日本に輸出していたの は南鮮人の善意からかな? 家の内外に糞尿が散乱していた朝鮮では、病人が尿を飲むことにも抵抗がないのだろう。

  淋病は処女の尿に硫黄を混ぜて、一夜おいてこれを日光に晒して乾燥させた粉を食後に服用する。また、豚の糞を食べれば即効。

  梅毒には動物、とくに人間の陰茎(ペニス)を煎じて飲む。淋病には自分の尿か水銀を飲む。
黴毒(梅毒と同じ性病)は人脳を食する。屍体に涌く虫を食べる。
喘息(ぜんそく)には尿を飲む。

チョッ ト待て。人間のペニスをどこで入手するんだ?薬局に行って「ちんちん」下さいと言ったら、医師が棚から松茸でも出すようにペニスを渡してくれるのか。人間 の脳味噌は朝鮮の商店で売っていたのか?人の頭蓋骨をかち割って中身を食べるのか。クルミやココナッツじゃないぞ。気持ち悪くないのか。たぶん他人を殺し て食っていたに違いない。普段から頭のおかしい朝鮮人は、昔から狂牛病に冒されていたんちゃないか。それにつけても、水銀なんか飲んだら淋病が治っても脳 がいかれるだろう。気違い鮮人の理由が分かった。

  熱病には処女の初月経および豚の糞を煎じて、お湯に入れて患者に知られぬよう飲ませれば治る。

  消化不良には豚の糞を食べればすぐに消化する。


  河豚(フグ)中毒・腸チフス・打撲には白色犬の糞および人糞を水に溶かして飲む。

豚のクソを食べる方がよほど胃袋に悪いんじゃないか。フグの毒より犬の糞の方が嫌だろう。でも、何で白い犬なんだ?黒い犬だとダメなのか?

  胸の痛みには白馬の尿を煮沸かして服用する。または、人糞を食べる。腰痛には濁り酒に人糞を混ぜて飲む。腹痛には牛糞を乾燥させた粉末を灰に混ぜて飲む。

  猖江熱(しょうこうねつ/ 喉が痛み発熱し発疹ができる伝染病)には、馬と犬の糞を煎じたる汁を飲む。野ウサギの糞か豚の糞を水に溶かして飲む。

ブレンド・コーヒーやカクテルなら分かるが、馬と豚の糞をブレンドして効果があるとは思えない。馬の尿を沸かしたら薫り高いシロップでも出来るのか。大正製薬の「パブロン」の方がいいな。

  毎日自分の小便を一合飲めば身体の健康を保って無病。犬の眼球を生食すれば万病に効く。常に幼児の尿を飲めば胃痛に冒されないですむ。性に目覚めていない者の尿は如何なる難病にも効果がある。

自 分が出した尿をまた口の中にいれるなんて、朝鮮人は昔からリサイクル精神が旺盛だったんだ。知らなかった、スバラシイ。でも犬の目玉をくりぬくのは残酷だ なぁ。日本人には出来ないし、眼球を生で食べるなんてゾッとする。子供の尿は大人の尿よりきれいなのか? 朝鮮人にとったら、一番絞りのビールみたいなの かも知れない。まあ、オッサンの小便は泡立ちが多いし、濁っているから子供の尿の方が少しはマシなのだろう。

  皮膚が冒される癩病はどこでも忌み嫌われたから、いろいろな迷信的治療が行われたのは理解できる。でも、あまりにもグロテスクで吐き気がする。癩病を治すために朝鮮人は、殺人を犯して人肉や臓器を食べていたのである。当時の新聞に殺人事件が掲載されていたのだ。

   慶尚北道の崔在圭の妻・南晴東はかねてより癩病に苦しんでいた。家人が留守の時を狙って、隣人の少女金未順を餅で誘い出し、物置部屋に連れ込み、草履作 りの台で少女を圧殺した。夜になって包丁で屍体の腹部を割き、その内臓を取り出して食べた。また、遺体の左足を関節部分より切断してその肉をも食べたとい う。後に逮捕された。(大正元年12月14日 京城日報)

  忠清北道の鄭錫崇は癩病を患い、それを治そうと同じ村に住む朴孤得という少年を襲い、草刈り鎌で後頭部を殴打して殺害した。即死した少年の大腿部から肉をそぎ取って食べた。(大正2年3月16日 京城日報)

こうした事件の背後には恐ろしい迷信があったのである。

  癩病は人肉、幼児の生き血、死人の陰茎(ペニス)、胎盤を食すれば完治する。
屍 体に涌いた蛆(ウジ)を乾燥して服用する。小児の尿を飲む。犬糞と牛糞を麦粉に混ぜて大豆くらいの大きさに練り、1回7粒を服用し、1日に3回で1ヶ月間 飲み続ける。産後の猫あるいは男の陰茎(ペニス)を食べる。女の乳房を切り取って食する。子供の陰茎(ペニス)を食べると根治する。幼児の脳髄、または肺 および胆は効果あり。
埋葬屍体を人に知られず掘り出して食べる。人の精液を飲む。

  癩癇(らいかん/突然けいれんを起こして口から泡を吹く)には親の精液を飲む。男は女の陰部を、女は男の陰茎を食べれば完治する。また、五、六歳で死亡した子供の陰茎も効果あり。

再 度思うのだが、男や女の性器はどこで手に入れるのか。誰かを殺さなければ入手できないだろう。道端や繁華街で「ちんちん余っている方いませんか?」と通行 人に尋ねたって、ひとつ余っているから売ってあげよう、とは誰も言うまい。いくら死んだ他人の子供だって、そのペニスを削ぎ落として食べることに罪悪感を もたないなんて。朝鮮人はそれでも人間か? 憐憫の情が無い民族は下等動物並である。それにさぁ、親の精液を飲むなんて、考えただけでも身震いしないのか。ポルノ映画だってそんなシーンないだろう。 でも朝鮮人ならアリかな?

  百日咳(ひゃくにちせき)には騾馬(ラバ)の分を服用する。また驢馬(ロバ)の鼻血を飲む。また、豚の尻尾から血をとって飲む。

  流産したときはその胎児を食べれば、産後の経過は良好になる。

  内腫病には人肉を食せば完治する。

   肺病は妊娠6ヶ月を経た流産の男児(初めての子)の屍体を釜で蒸して服用すれば、完治して再発することはない。黄色の蛇か男児の胎盤を服用する。また は、自分の嫡男(2から7歳)の尿を飲む。胃病には人糞を水に溶かして飲む。尿を朝夕2回飲む。または、豚の糞をあめ玉くらいにして時々服用する。

お い!! チョーセン人。胎児を食べるなんて正気か。流産した胎児を蒸すなんて、肉まんぢゃないんだぞ。支那人なら遺体はシュウマイみたいして食べるかも知れない が、日本人なら恐ろしくて手足が震えてしまうだろう。猫を殺したって祟りが怖い日本人に、胎児の蒸し焼きなんて絶対無理だ。


  麻疹(はしか)には嬰児のへその緒を黒焼きにして服用する。鶏卵を尿で煮て食べる。また、患者の母親の実家に言って鶏卵一個を持ち帰り、尿壺の中に入れ2日目に取り出して食べる。白犬の足裏から血をとって飲む。

  人間の腸に規制する蛔虫(かいちゅう)は、人の屍体が腐敗したる汚水を飲む。ミミズを生食するか煎じて飲む。

えぇー!! 屍体の汁を飲むのか? 屍体愛好者(necrophilia)みたいな変態じやないか。女の尿を飲むのも変態と同じだが、腐乱した遺体の死臭は強烈だそ。死後数日した自殺屍体を 運ぶ警察官ならよく分かるだろう。こんな汁を飲むなら、蛔虫が腸に寄生したままでもいい。ミミズを生のまま口に運ぶのは相当勇気が要るぞ。口の中にいつま でも生臭さが残ってのたうち回るのではないか。

  脚気(かっけ)にはトカゲを生食する。

  肺ジストマ(Distoma/肺や肝臓に寄生する生物)には虎肉か雀の赤子、毛の生えていないネズミを食べる。カエルの卵を毎日食事の前に食べる。川ウナギかシマヘビを生食する。猫を三匹以上屠殺して食べる。

  マラリアはナツメを便所で食べたり、便所の踏み板を舐(な)める。牛の陰部(性器)を洗った水を飲む。人糞を葉たばこに包んで飲み込む。婦女の月経を煎じてを飲む。

  夫婦一方の肺病には他方の心臓肝臓を食べれば治る。長年の肺病は人の睾丸を食べれば完治する。

も う解説するのが嫌になる。トカゲを生で食べる朝鮮人には勇気がある、と認めよう。日本人では無理だ。トカゲが口の中を駆けずり回ったら、歯で噛み砕くの か? 朝鮮人は歯ごたえのある爬虫類が怖くないのだろう。カエルの卵って、ぬるぬるして臭いぞ。納豆やイクラとは別物だ。朝鮮人の味覚ってどうなっているのだ? それにしても、便所の踏み板って汚いだろう。でも糞尿を飲めるのだから平気か。それよりも、亭主が肺病になって女房の心臓を食べたら、死んじゃうだろう。 自分の命が助かるなら女房のを殺すのか。夫と別れたい妻なら亭主を殺すかも知れない。こんなことを本当に実行していたのだろうか。いや朝鮮人ならやりかね ない。

  朝鮮人なんて、ああ嫌だ。なんでこんな民族と付き合わねばならぬのか。若い在日朝鮮人は祖父母からこうしたトンデモ迷信を聞い たことはないだろう。だから彼らは日本人が嫌いになるのだ。朝鮮に住んでいたら、都合の悪い書物は燃やせばいい。みんなで図書館や蔵に放火して恥ずかしい 歴史を闇に葬ってしまうことが出来る。しかし、日本ではそうもいかない。図書館は警戒厳重だし、仮に放火できても個人の蔵書や各地に古本屋が存在してい る。学校で秘密にして教えなくても、インターネットで暴露されてしまう。じつに忌々しい。日本では恥ずかしい朝鮮の歴史を書いた本が、いつでも繙(ひも と)かれるのだ。だから朝鮮人の怨みは根深い。日本人が朝鮮の恥部を暴露したらいつも朝鮮人は唾を飛ばして火病を起こす。「アイゴー、アイゴー、日帝三十 五年だ!◯△XXYYスミだぁー。 謝れ、ぎゃああぁぁぁ!」 まったく、困った鮮人だ。はやく朝鮮に帰れ!


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「フィリピンを誇りに思う」だって! 馬鹿言うな

東南アジア人とセックスする日本人男

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   バブル景気から平成時代になってアジア系の子供が学校に増えだしてきた。以前なら日本人と言えば日本人の両親から生まれた子を意味していたのに、今では 日本国籍を所有する人間になってしまった。つまり、国籍がスポーツ・クラブの会員証程度になってしまい、どんな容貌・遺伝子を持つにせよ、未来永劫日本国 民として我が国に住み続けることが出来るのだ。在日外国人では支那人・朝鮮人に次いでフィリピン人やタイ人が多い。不法滞在外国人だと、法務省の統計によ けば、フィリピン人が5,117人でタイ人が4,391人である。(平成26年1月1日現在) おおかた不法滞在者の男は単純労働者で、女は水商売従事者 だろう、と誰でも推測できる。中流階級家庭の高度技術社は不法滞在者にならないだろう。街を歩けば分かるが、日本のアジア化が水面下で着実に進んでいるの に、その恐ろしさを一般国民は黙認して無関心なままである。

  東南アジア人が日本に住み着くことが出来るのは、国民意識と家系認識が無 い日本人男性が増えてきたことに原因がある。中流階級の日本人女性が結婚相手に求める要求が高くなったこともあって、不細工で魅力の乏しい男性が性欲を満 たそうとすれば、どうしても金で買えるアジアの若い女になってしまう。男の容姿や人格よりも、日本国籍と資産を第一に考慮する兼業売春婦がたくさんいて、 貧困から抜け出そうとぞくぞくと来日しているのである。フィリピンやタイは何をやっても明るい将来が期待できない永久後進国だ。そんな国で貧乏な家庭に生 まれたら売春婦か酌婦(しゃくふ)になるしかない。アジア諸国では政治腐敗が国家の隅々にはびこり、人種・階級・民族差別が普通になっている。こうなれば 日本への出稼ぎが出世の近道になっている。しかも、性欲でパンツが張り裂けそうな下郎な日本人男がいくらでもお金を払うのだ。恥も外聞もない彼らににとっ て、手っ取り早くて安上がりの相手できるのがアジア人女である。

philippines 20  日本人はコンドームを付けずにセックスすることで有名である。「やっぱり生がいい」というのが彼らの本音だ。そのためエイズに罹って死ぬ馬鹿が多い。そう いうのは天罰でしょうがないが、無事にセックスを終えて支払いを済ませた相手が妊娠したときが問題である。両親や友人に隠れて女を買ったり、バーで懇ろに なったフィリピン女と結婚するわけにもいかない。堂々と皆に披露するのはちと恥ずかしい。中には既婚者男性もいて、姦通の場合があり、札束で女をビンタす るか、大きくなった腹を蹴飛ばして流産させるケースが生じる。しかし、子供ができて観念する男も正式な結婚で籍を入れず、女に金だけ渡して逃げてしまう奴 もたくさんいる。日本の女房子供に外でつくった異母兄弟がいると知れれば、苦労して築いてきた家族が一瞬で崩壊するだろう。たとえ結婚しても数年で別れ て、フィリピン妻に養育費を払わないケースが少なくない。婚姻中に女房が亭主のお金を勝手に実家へ送金している場合がよくあるからだ。ポイ捨てした女房子 供は福祉手当(つまり税金)で生きていけるから、厄介な外人母子家庭の面倒は赤の他人である日本国民納税者がみることになる。

  もっと も正式に結婚して、フィリピン人妻と子供を引き取って養育している日本人男性もいるが、それでも問題が無くならない。その家庭が平穏でも学校や社会で迷惑 が生じるからだ。欧米系の混血児と違った境遇をもつ子供が学校に入ってくるのだ。そこで日本で暮らすフィリピン人娘の一例を紹介してみよう。(財団法人ア ジア・太平洋人権情報センター編 『外国にルーツをもつ子どもたち』 現代人文社  2011年 を参照)

フィリピン人少女の成れの果て

   ヘイゼリン・デ・ファン・パブロ(Hazellyn De Juan Pablo)はフィリピン生まれのフィリピン人娘である。事実婚のフィリピン人両親のもとに生まれたが、2歳の時母親が「エンターテイナー」として日本へ 出稼ぎに行ってしまった。(つまり水商売の母親)その後日本人の男と母親が結婚し、彼女は13歳(2002年)の時に来日し、大阪八尾市内の中学校に一年 生として通うこととなる。学校では英語が得意で、試験では90点以上とっていたが、その他の科目では無惨な結果に終わったらしい。漢字混じりの日本語が外 国語だったから、試験問題の質問自体が分からなかったのも当然である。理科のテストでは3点しかとれなかったので、泣いてしまったという。それでも英語は 得意科目だった。まあ、日本の英語試験など英語圏の子供なら100点を取っても自慢にならない。しかも彼女にとっては、国語の試験が外国語のテストになっ ているのだから。それでも熱心に勉強したのでヘイゼリンは成績が良かったという。(貧乏人のハングリー精神だな。) 家庭では義父が母親との会話で「フィ リピン語(土人語)」を禁止したそうである。

  日本人の級友に助けられて勉強したこともあってか、「外国人生徒枠」試験に合格し、府立 長吉高校に入学できた。(これは学力が低くても劣等民族ゆえに合格させる、という有色人種優遇制度<affirmative action>である。)高校時代彼女はとても忙しかったという。午後3時に授業が終わり、部活は5時まで。5時から8時まではアルバイトで、10 時に就寝。朝は3時半に起きて勉強してから、7時には登校する毎日を送ったのである。義父(日本人の父親)との間に生まれた妹2人と弟2人の7人兄弟を持 つヘイゼリンは、奨学金を貰いながらも、家族はフィリピンに住む実父や祖母らに送金していたという。家計が苦しかったにもかかわらず、同志社大学に進学で きたが、家庭のいざこざと学費を払えぬ状態になったことで、大学を中退する羽目になった。

  大学を辞めてからは、難波の「フィリピン・ ラウンジ」に勤めだし、約20万円の月給を貰うようになるが、フィリピンへの送金は続けたという。郷里への仕送りは多いときで7から8万円で、少ないとき でも5万円であったそうだ。母親が以前やっていた仕事だし、酔っぱらい客の相手も、フィリピン人同僚の助けもあって馴れたらしい。以前は日本語だけの生活 状況だったが、その飲み屋ではフィリピン人酌婦(しゃくふ)らとフィイリピン語(タガログ語?)で会話をしているので、母国語が上達したそうである。フィ リピン人に誇りを持つ彼女は日本国籍を取らず、「永住者」資格で滞在することを選んだという。フィリピン人であり続けたいそうだ。そんなこと言っても、日 本人男と結婚したら日本国籍を取るに違いない。

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日本人になれない体を持つフィリピン人

   帰化したフィリピン人や日比混血児は本当の日本人にはなれず、どうしてもフィリピン人の軛(くびき)を背負ったまま生き続けることになる。フィリピン人 の肉体を持つヘイゼリンは高校で「多文化研究会」に入り、外国人(主にアジア人)の家系を持つ生徒と交流を深めたり、外人スピーチ・コンテストに参加した りしていた。彼女はフィリピンに戻らず日本に居ついて、「フィリピンと日本との架け橋になること」を目指すという。(p.40) そんな架け橋でまたしても多くのフィリピン人がやって来たら迷惑だ。「類は友を呼ぶ」事態は恐ろしい。 こういうアジア系住民は日本にとって必ずや有害人 物となる。本人に自覚がなくても、その行動や熱意が日本社会にとって禍(わざわい)となるであろう。

  たとえば、アジア系大学生が国際 関係学科を専攻して、フィリピンや東南アジア研究者になって、政府の海外援助担当官に就任したりする。まともで優秀な日本人学生なら、欧米研究者になっ て、日本の国益を計る人物になるかもしれないし、将来有望な若者ならフィリピン文化など学ばず、西欧文明を専攻するだろう。実際、「朝鮮語」や「タガログ 語」の入試レベルは低い。したがって、アジア社会を学ぶのは「訳あり学生」がほとんどで、日本の税金を貧困地帯につぎ込む仲介者となるのが、アジア系混血 児である。自分の体に流れるアジアの血が、惨めな社会に暮らす同胞を助けようとする行動へと駆り立てるのだ。本来なら、ゴミの山を漁る貧乏人を救うのは フィリピン政府の努めであり、日本政府の役目ではない。しかし、日比混血児は日本人納税者よりも、同じ遺伝子を持つフィリピン貧民へ本能的同情を注いでし まうのだ。半分フィリピンの日本人は、日清・日露・大東亜戦争で祖国に尽くした将兵には感謝しない。これらの英雄的日本人は日比混血児にとって外人であ る。英霊は「フイリピーーン人」と馬鹿にしてイジメた子供らの祖先であるから、南方土人の子孫は胸に共感を持たないのである。

  フィリ ピン共和国などは売春婦が主要輸出品である劣等国であるのに、ヘイゼリンのようなフィリピン人は建前で「わたしは、自分がフィリピン人であることに誇りを もっています」と口にする。(p.41) そんなに誇りとする国なら、さっさと日本を去って祖国に尽くせばいいだろう。フィリピン・パブなど日本には要らない。フィリピン人女は母国で酌婦を勤め ろ。「エンターテイナー」と自称しているフィリピン女の実態は、安い金で雇われた「裸踊りの南方土人」だろう。鼻の下を伸ばした下劣な日本人男でも、平気 で股を開いて妊娠できる尻軽女だ。自分の子宮にどんなに汚い精子が注入されたって平気。こんなフィリピン酌婦の脳味噌は股間にあるのだろう。自分自身を 「性器から手足が生えた公衆便器」にしているのは、フィリピン人女である。日本人から馬鹿にされるような真似をしているのは、こうした愚かなフィリピン女 であり、それを咎めない郷里の家族である。イングランドやデンマークの淑女(レイディー)なら、簡単に日本の下種(ゲス)男とセックスはしないだろう。 フィリピン人の母親をもつ混血児は、友人に自分の親を紹介するのが恥ずかしい。お金でセックスした結果の子供であることが判明するからである。低所得者だ から売春していいという価値観をもつフィリピン女が異常なら、その娘に仕送りをせがむ両親兄弟も異常なのだ。

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   アジア移民や不法滞在者を支援する者は、日本人がアジア人に対して差別と偏見をもつことを非難し、何かと言えば日本政府に支援しろ、補助金を出せ、国籍 をよこせ、永住資格を与えろ、とわめきたてる。だが、支那・朝鮮・フィリピン・タイからの女や彼女らの本国政府を非難することはない。不思議だ。どう考え てもこれはおかしい。まづ異人種カップルの問題は本人たちの問題である。欧米の女性なら、離婚しても子供を連れて実家の国へ帰ってしまい、日本政府といざ こざを起こさないだろう。左翼分子は日本人がアジア人に対して差別をすると言うが、彼らの本国では凄まじい差別が横行しているのだ。フィリピンの上流階級 はスペインかアメリカ白人との混血人(メスティーソ)が占め、財界は華僑の子孫たる支那系国民が牛耳っている。タガログ族や黒人系のアタ族、マレー系の雑 種人が下層社会を形成している。ヨーロッパ系や支那系上層階級は、南方土人の茶色い住民を同等の国民とは見なしていない。彼らがどんなに貧乏で惨めな暮ら しをしていても気にならないのだ。日本人男と安易なセックスで生まれた日比混血児に、日本国籍が無いのはおかしいと騒いでいるマスコミや左翼学者は、まづ フィリピン政府に国籍付与を要求すべきであろう。フィリピン人母親の子供を保護するのはフィリピン政府の義務である。TBSやNHKは御用学者の田中宏や 近藤敦を番組に出演させて、日本を移民社会にしようと目論んでいるのだ。アジア人を国民にして我が国を非日本的国家にする、という陰謀は実に腹立たしい。

   日本人はアジア人ではないし、アジア人になりたいとも思わない。廉価なフィリピン人やタイ人の女を抱いて、その体に溺れる日本人男性は、日本国籍を捨て て現地人になって貰いたい。永久に帰ってくるな。日比混血児はフィリピンで育てて、同類の国民と一緒に人生を送らせた方が幸せである。高度文明で洗練され た異次元の日本にフィリピン人家族を住まわせても、日本人の父親は辛いだけである。望んで生まれたわけでもない混血児の子供だって、自らの遺伝子を汚点 (stigma)と思って育つから不幸である。日本人男性は女房子供を選択できる立場にあるのだから、予測できる不幸はみずから避けるべきである。迷惑を 被る日本社会を批判するのはお門違いだ。 




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大阪に乞食の朝鮮人がやって来た!

モグラのような朝鮮人

koreans 41   不名誉なことだが、大阪には在日朝鮮人が多い。地元を愛する大阪人にとって、朝鮮人は目障りで不快な下層民である。近づくのも嫌だし、隣に住まれたら迷 惑な存在だ。この朝鮮人はいつごろから、どうして大阪に住み着いたのか一般国民には分からない。一番の原因は日韓併合の悪弊によるものであろう。我々日本 人にとって災難・被害・疫病神をもたらす合邦だったが、朝鮮人にとっては宝くじに100回連続当選するほどの幸運であった。朝鮮半島が日本の領土となるこ とで、乞食よりみすぼらしい朝鮮人が我が国にやって来たのである。

  朝鮮人にとり日本はエル・ドラド(El Dorado)、つまり黄金郷であった。原始的貧困生活しか経験したことがない下層民にとって、高度文明国の日本に渡って住むことだけでも夢のような幸せ であった。電気が普及し、電車が街中を走り、百貨店で買い物をできて、カフェーでお茶を飲むことが出来たのである。まるでSF映画の世界であった。日韓併 合条約でゴキブリ程度の朝鮮人が、一流海軍を有する大日本帝國の国民に昇格したのである。しかし、現実は甘くなかった。黄金の国ジパングに渡ってきても、 これといった能力や技術がない鮮人労務者には筋肉労働や単純作業しか選択肢がなかった。

  来日鮮人が従事した職業は、日傭人夫、土方、 荷車挽き、野菜の行商人、左官、職工、配達夫などであった。朝鮮人といっても乞食や浮浪者ではなく、しかるべき職業をもっていたのである。一般に朝鮮人は 住宅や食物については不思議なほど無頓着だが、服装となれば荷物運びや日傭人夫までもがお洒落な格好をしたがる。少し気取った連中は、借金してまで良い服 をととのえるのだ。問題は、彼らの住み家である。

  大阪市社会部調査課によると、合邦後間もない頃、大阪市に流入してきた朝鮮人は大正 元年で、男が264人女が248人しかいなかった。ところが昭和5年になると男が33,775人、女が11,358人で計45,133人にまで急増したの である。(『なぜ朝鮮人は渡来するか』 昭和5年 p.36) 大阪市に下層朝鮮人が激増し、朝鮮人が住める住宅が間に合わない事態が生じたのである。そうなれば貧民のゲットーが出現するのは当然であった。

   朝鮮には土幕(どばく)または土窟(どくつ)と呼ばれている簡易な穴ぐら小屋があった。長方形の土地一坪半ばかりを数尺ばかり掘り下げて一方を出入り口 にする。上部は古い蓆(むしろ)や炭などを入れる古い袋、亜鉛トタンなどで屋根を覆い、内部は茣蓙(ござ)を敷いた居間と炊事場しかない原始的造りであ る。建築材料はその辺に落ちている廃物か建設現場から盗んできた物を利用しているのだ。朝鮮人はガラス板の破片や油紙があれば天窓を作ってしまう。至極簡 単なつくりなので、せいぜい五六時間もあれば建てられる掘立小屋である。

  一般の後進国より発展が遅れている朝鮮では、所有の概念がな い。朝鮮では穴蔵住宅の土幕民が、他人の所有地または市街地近郊に、無断で住み家を建てても黙認する習慣があった。日本に来ても空き地があれば、所有者に はお構いなしで、勝手に家を建ててしまう。簡単に造れる土幕であったから、大阪市でも急激に増加したのである。気づいたら朝鮮人が勝手に市有地や民有地を 使用していて、罪悪感もなく平然と暮らしていたのである。(p.39) 現在でも密入国者の子孫は日本に滞在資格がないのに、社会保障を受けたり、学校に通えたり、快適で安全な文明生活を送れるが、その違法性については一切疚 (やま)しさを感じない。「恥」という観念がないのだ。どうにかして貧乏から抜け出そうとした朝鮮人のなかには、元の住居を売却して、土幕部落に住み家を 建てて、余った資金で商売を始める者もいたのである。また、事業に失敗して故郷に帰れず、京城(ソウル)付近に住み着き土幕民になった奴もいたのだ。要す るに、土幕部落とは下人が群がるドヤ街である。

  路上乞食でもない朝鮮人がなぜ土幕民になるのか。この原因は朝鮮人の借家人が総じて家 賃を滞納したり踏み倒したりすることにあった。京城府において日本人の為には貸家を経営する者が相当いたが、朝鮮人向けの借家を建てたり、長屋を貸したり する者はほとんどいなかった。朝鮮人が申し合わせたかのように家賃を払わず、家主は一様に苦い経験をしたからである。一方、大阪市では元鶏(にわとり)小 屋であった生野国分町のバラックはいずれも3円ないし8、9円の家賃で朝鮮人らに賃貸されていたが、その家賃を完納した者はほとんどなく、大部分は滞納に 滞納を重ねていたのである。また、鶴橋木野町の朝鮮人が住む借家20戸中、家賃を完納したのはたったの2戸だけで、残りの者は二ヶ月乃至一年の滞納者で あった。(p.44)

  家主にとって家賃滞納だけが頭痛の種ではなかった。朝鮮人は貸家に入居したが最後、大勢の仲間を呼びいれては酒 を飲んだり、しばしば喧嘩・口論をし始める。がんらい不潔な鮮人は部屋に南京虫をわかすし、畳を破るわ、戸や障子を持ち出したり、さらには床板を剥がして 薪代わりにして燃やしてしまう。まったく油断も隙もない、手の付けられぬ不心得者が多い。だから朝鮮人の借家申し込みとくれば、どの大家も渋い顔をして警 戒するのが大阪市の実情であった。

  正規に賃貸できぬなら、不正な手段を用いるのが朝鮮人である。大阪に住む全羅南道生まれの朝鮮人二 名、金學奉(通名/青木幸一)と林基成(通名/杉本松太郎)は、失業で困っている日本人二人を雇って、紳士風の身なりをさせ賃貸契約を結ばせた。かれらは 「某社員が借りる」との口実をもって家主を騙したのだが、ある時家主が貸家を訪ねてみた。すると日本人に貸したはずの家に、朝鮮人が27,8人もゴロゴロ していたのである。家主があわてて「出てくれ」と命じると、朝鮮人は「立ち退き料を出せ」と言い張った。根負けした家主は早く出て行って貰いたいので、立 ち退き料を払い泣き寝入りするしかなかった。これに味をしめた朝鮮人らは、住吉区、北区、東成区で同様の強請(ゆすり)を8件行ったところ、警察に逮捕さ れたのである。この不逞鮮人どもは総額数百円の立ち退き料をせしめたという。日本人家主が朝鮮人を嫌うことを逆手に取った犯罪であった。昔から、朝鮮人は 犯罪となると頭が回り実行力を発揮するんだから始末に悪い。

  それにつけても、土幕に住む朝鮮人とはどんな輩(やから)だったのか。土 幕民の多くは各地から流れてきた寄合所帯で、その土地に馴染みがないし、お互い見知らぬ他人で付き合いがない。ちょっと油断すればお互いにコソ泥をはたら くし、野合密談が行われる。朝鮮人特有の癇(かん)高い声で口喧嘩がが繰り返されるのだ。日本人はこうした朝鮮人の癖が嫌いである。不潔な土幕でも朝鮮人 はそれを8,9円で売買するので、人の出入りも激しかった。朝鮮人の気性は荒く激昂しやすい。ちょっとした言葉の行き違いや感情のもつれで直ぐさま竹槍隊 や棍棒隊を組織する。賭博や酒や女を原因として物凄い血の雨が降る。とにかく朝鮮人労務者は物騒であった。(p.46)

  歴史的に弾 圧・抑圧されてきた朝鮮人は心が荒んで、僻み根性が抜けないのだろう。内地(日本)に来ると、粗野で下品な風習を馬鹿にされて粗暴・残忍性を増大させるの かもしれない。これに加えて、朝鮮人の生活自体が異常に酷い。衛生観念がないから、野糞野小便を所構わず行い、金蝿が飛び交うし、酸っぱくなった残飯も平 気だ。むさ苦しい鮮人が数人転がって穴蔵生活をする光景には、日本人なら背筋が寒くなるし、顔を背けたくなる。こんな不潔な生活をして病気にならないのか 不思議ある。仮に病気になっても土幕民はいつの間にか死んでいるのであろう。雨が降れば下水が床下に流れ込んで、土幕民はびしょぬれになったのだから、よ く伝染病が蔓延しなかったものである。あったかもしれないが、行政が気づかなかっただけかもしれぬ。

  朝鮮を併合して日本に良いことは ほとんど無かった。朝鮮人が「強制連行による移住」といった捏造話を聴いて、謝罪している馬鹿な日本人がいるが、彼らは日鮮の歴史を何も教えられていない のであろう。日本統治で朝鮮人が苦しんだというのは、真っ赤な嘘。真実は、日本人が朝鮮合邦で大損をした上に苦しんだのである。もし、日本人の税金で貧乏 鮮人が五星ホテルのスウィート・ルームに泊まれて、苦痛だったと感想を述べたら、いったい何人の日本人がそれを信じるのか。朝鮮人に同情する振りをしてい る日本人でも、朝鮮人が隣に住んだり、同居し始めたら嫌でたまらない。大阪がどんどん朝鮮人のメッカになることは嘆かわしいかぎりだ。大阪を愛する大阪人 は一刻も早く「朝鮮人駆除」運動に参加して貰いたい。 



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ヴァイキングの民衆政(デモクラシー)

デモクラシーは最悪の統治形態
  日本人は「民主主義」 という民衆参加型の政治形態を喜んでいるのに、いつまで経っても政治不満が高い。投票権があるのに、「天気が悪い」とか「遊園地へ出かける」、「デートが あるから」といった理由で棄権する人が意外と多いのだ。この原因を政治学者や評論家がいろいろ解説しているが、どれも我々の頭にしっくりこない。我々庶民 にとって一番わかりやすい理由とは、ずばり「日本人の体質(constitution)に合わない」ということである。たとえば、小麦や卵、牛乳で作った 料理が栄養になるといっても、人によってはアレルギー反応を起こしたり、お腹を下したりするだろう。つまり、人はそれぞれ体の特別な性質をもっている。国 家や民族も同様で、それぞれ体質が違うのだ。「憲法」と訳されているコンスティテューションは、元々「性質」とか「体質」を意味する。イングランド王国に は、成文化されない国の性質(Constitution)があり、それを先祖代々継承しているのだ。だから未だに憲法典を持たないし、持つ必要がない。我 が国も同じで、マッカーサー憲法は日本の国体(constitution)に合わないから、不具合が生じるし、アメリカ流民主主義も肌に合わない。肌に合 わない化粧品を使ったことがある女性なら分かるであろう。

Aristotle   ちなみに、筆者が「民主主義」ではなく、「民衆政治」という用語を使う理由を述べたい。漢字で「民主」とは「民衆の主人またはお頭(かしら)」を指し 「君主」意味するので、ややこしくなるからデモス(民衆)の「支配(クラティア)」の方を訳語として採用する。小学校中学校では漢字の授業があるが、教師 は漢和辞書を生徒に引かせても、漢字の意味を教えぬ場合がある。支那人にとって「民(デモス)」は「針で目を突かれた者」則ち「盲(めくら)の奴隷」を意 味する。だから、日本人が「民主主義」を使うのはおかしい。もっと、小沢一郎や菅直人の「民主党」にとって、日本国民は「一票乞食」であるから、盲の奴隷 とたいして変わらないのであろう。事実、小沢は南鮮に渡り、朝鮮人の前で日本人を間抜けで自分で物事を決められないどうしようもない国民だ、と貶してい た。小沢が「国民」と「天皇」の主人気取りであったのを国民は覚えているだろう。宮澤喜一が江沢民に天皇陛下を売り飛ばしたとき、自民党を裏で支配してい たは田中派の小沢だし、この老いぼれ喜一を首相にしてやったのも小沢である。

  簡単に殺される命が安い支那人と違って、日本人は天皇陛 下の奴隷ではなく、「赤子(せきし)」または「大み宝(おおみたから)」である。大名にとっても「民」は大切にすべき藩の礎(いしずえ)であった。五箇条 の御誓文で一般国民を信頼したのは、武士も農民もみな平等な日本人だからである。支那では民衆とは皇帝の私有物、搾取してよい家畜、殺したって構わない虫 けらなのだ。古代ギリシア人なら、日本人を自由な市民とみなし、支那人を奴隷のバルバロイ(野蛮人)と考えるであろう。

  敗戦後の日本 では岩波書店や朝日新聞に飼われた進歩的文化人が、しきりに「民主主義」(デモクラシー)を賛美して、その陰で平等主義を推し進めていた。平等思想で共産 主義革命を実行したかったのである。また、エリート気取りの大学生は教養課程で「政治学原論」をとって、政治が分かったような気分に浸っていたのだ。しか し、彼らは古代ギリシアの偉大な哲学者アリストテレスを真剣に学んでいなかった。この万能の哲人は「デモクラシー」を堕落した政治形態と見なしていたので ある。アリストテレスは『政治学(Aristotelis Politica)』で基本的「國制」の種類、つまり一人による、少数による、多数による政体を述べて考察を加えている。そして、これらの「國制」から逸 脱したものを挙げている。

  僭主制が王制のそれであり、寡頭制が貴族制のそれであり、民主制が「國制」のそれである。というのは僭主制 は独裁者の利益を目標とする独裁制であり、寡頭制は富裕者の利益を目標とするものであり、民主制は貧困者の利益を目標とするものである。(アリストテレス  『政治学』第三巻第七章40 山本光雄訳 岩波文庫 1279b)

  アリストテレスは「民主制 (δημοκρατια/dhmokratia)」を「多数の貧民による支配」と考えていたのである。日本人が礼賛していた「民主主義」など古代ギリシア の知識人からすれば、「欲の皮が張った愚民」による代議政体としか思えない。では、アリストテレスが考えていた「正しい」多数者による政体とは何だったの か。日本語では何の事やら分からぬ「國制」と和訳されているギリシア語は、原文では「ポリティア(πολιτεια/politeia)」である。つまり 立憲民衆政治(constitutional democracy)と訳してみた方がいいかもしれない。民衆の欲望または意思ではなく、「法の支配」による多数者の政治を意味している。アリストテレス は人間の意見や要望は気まぐれで恣意的なので、「法」によって支配されねばならないと考えていた。日本ではマスコミの御用学者や無責任な評論家が、「民 意」だ「庶民の感覚」だとか言って「輿論(よろん)」をしばしば煽るのは国民のためではない。左翼思考のマスコミは、一般国民など中学生並みの頭しか持た ない「愚民」とみなしているから、いいように操れると考えている。彼らにとって皇室がある立憲君主制を破壊するには、さもしい根性を持つ民衆政体の方が便 利だからであろう。いまでは信じられないだろうが、赤いマスコミ人は、民衆革命を実現してソ連軍が日本に侵攻してくれるのを、心待ちにしていたのである。

北欧でしか機能しないデモクラシー

Vikings












   民衆政治とはイングランド、ドイツ、オランダ、デンマーク、スウェーデンなど北欧諸国でしか機能しない。これらに共通しているのは、ゲルマン民族または ノルマン民族のヴァイキングといった戦士が作った国家であることだ。王国の政治(まつりごと)は支配者に委託したまま、その政策に盲従することはしない。 国王は存在するが、それは高貴な血統を誇る総大将であり、戦争において最高司令官を務めることが主要な役目となる。もし、平時に王が独裁権をふるって専制 君主になるならば、腕力に訴えても戦士たる部下が謀反を起こす。ドイツ人のように北方民族は、自分たちの国家と実感できる独立小国を好む。戦士国民から遠 ざかった皇帝による大帝国よりも、国王は貴族戦士のなかまから推戴された棟梁といった存在で、将兵からの人気者であることが望ましい。グスタフ・フーバー (Gustav Faber)によると、

  我が強く、自由な考え方をするノルマン人は服従しようとしなかった。彼らはみな、現代では 「指導性」と呼ばれるものに対する特許をもっていると信じていた。誰もが自分の王であった。(グスタフ・ファーバー 『ノルマン民族の秘密』 岡淳・戸叶 勝也 訳 佑学社 1977年 p.44)
 
  民衆政をとる民族が王国の命運を決めるときは、祖国に義務と権利を有する将兵がその意思 を公の場で表明できる。戦場では皆平等に恐怖と直面し、流血の惨事を顧みず命懸けで戦うからである。自由のためなら命を賭ける覚悟がそれぞれの戦士にあ る。王国の将来は自分やその家族、氏族の運命と直結しているのだ。それゆえノルマン人は独立不羈の精神が旺盛にも拘わらず、厳格な部隊を編成できたし、勇 猛果敢に戦えたのである。自分が家族と王国の為に闘っている事を実感できたので、君主制であってもデモクラシーを自慢できたのであろう。

   北欧民族の戦士はそれぞれが兵卒として王に従うし、場合によっては部下を率いる武将になる資質をもつ。軍隊の指揮官はしばしば自ら決断を下すが、場合に よっては部下の意見を聞き判断することもある。剣をもつ戦士国民はそれぞれが家族の主(あるじ)であるから、「親方日の丸」といった雇われ人根性で生きて いないのだ。イギリス人にとって自宅は城であり、国王陛下でさえもその家に入るときは、その主の許可を取らねばならぬ。民衆政の代表たるイングランドで は、独立する国民が服従しているのである。善き國制が機能するためには構成員の質が問題なのである。アリストテレスが述べているように、

「支 配された者でなければ善き支配者たることは出来ない」という言葉も実際真実である。善き国民は支配されることも支配することも知り、且つ出来なければなら ない。そうしてそれが国民の德である、すなわち、自由人の支配をその両面において知ることが。 (『政治学』第三巻 第四章 1277b 10)

   明治維新が成功したのは、武士が主導権を握って日本の独立を実現したからである。農民や商人が主体となって天下の政治(まつりごと)を行ったのではな い。庶民は武士を尊敬して新政府に従順であったし、明治天皇は維新の元勲を信頼して政治・軍事を任せていたのである。国家の命運を背負った武士は自ら責任 と義務を自覚し、国民の為に政治家として奔走したのである。日本は立憲君主(皇室)と士族と、庶民が協調して政治を行う、混淆政体(mixed constitution)の国家である。

  デモクラシーなどは日本人の体質に合わない。国家意識を持たない農民・商人がその代弁者を 入れ札で選んだところで、誰も信用しないし尊敬もないだろう。代議士だって世襲の武家から選出されたエリートではないから、国庫から税金を鷲づかみにする ことが目的である。国家の名誉などは士族の趣味であって、平民には何の値打ちもない。官僚は支那人ですらうんざりする「科挙」で登用された小役人だ。公共 心や道義心などは科目にない。官僚が公金横領したって、その子や孫に自分の生き恥が継承されるわけでもない。辞任すればお咎め無し。また、裁判官を国民審 査で選ぶなんて、月で兎を探すようなもので、実感が沸かないから日本人には無駄。遠山の金さんを江戸の庶民が選んだことがあったのか?

   何回選挙を繰り返したって、日本の政治は良くならないし、政界再編をしたって新聞が儲かるだけで、国民には損ばかり回ってくるだけだろう。かつて日本は 武士の国だったのに、敗戦で商人(あきんど)の国になってしまった。国防軍が無いのに国家の独立や毅然たる外交など無理な注文である。国家の名誉を刀で守 る気概のない町人に自由や矜持(きょうじ)が無いのは当然である。我々が唯一誇りに思えるのは皇室である。天皇陛下を民衆が人気投票で選んだのではないか らだ。民衆にとって大切なのは自分たちで選んだ制度ではなく、歴史の偶然から生まれた武家社会であり、記憶を超えた古来からの神聖な皇室伝統である。日本 の政治が良くなるのは、刀を持った国民が主体となる統治形態に変わったときであろう。
  


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別人になった乃木将軍 ドイツでの回心

派手な乃木さんから峻厳な乃木院長へ

Nogi 1   キリスト教徒のあいだでは、イエズスの福音を伝え弘めた功績をもつ聖パウロは、子供だって知っている有名な使徒である。聖パウロの名を掲げた礼拝堂や大 聖堂はよく見かけるだろう。使徒パウロなくして現在のキリスト教はない。しかし、この聖パウロはもともと熱心なユダヤ教徒で、サウルという名前であった。 敬虔なユダヤ教徒からすれば、イエズスなる預言者もどきを信ずる輩は、異端者で容赦してはならぬ。そこで彼はキリスト信徒らを脅迫したり、殺そうと意気込 んでいた。こうした迫害の旅を続けている途中、シリアのダマスコで「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」という天主の声を聞き、キリスト教徒へ 回心するに至ったのである。(使徒言行録 9 : 1-9)

  聖パウロの話をしたのは、乃木希典大将にとってのダマスコとはドイツであ ると言いたかったからである。我々が乃木大将と聞いたら、日露戦争で203高地の激戦を指揮した第三軍の司令官か、昭和天皇をご教育した学習院の院長閣下 といった姿を思い出すだろう。ところが、ドイツ留学前の乃木少将は我々のイメージとはかなり違うのだ。(宿利重一 『乃木希典』 昭和4年を参照)

   明治16年2月5日、歩兵第一聯隊長から東京鎮臺参謀長になった乃木大佐は、翌年陸軍少将に任ぜられた。かねてから洋行したいと熱望していた歩兵旅団長 乃木少将は、「ドイツ国留学」という辞令を受けた。この任務は実に重大で、陸軍の期待は尋常ではなかった。陸軍の軍隊編成改革や軍人教育を西洋に学び、軍 の近代化を図らねばならぬ状況にあったのである。乃木少将は約一年かん、歐洲、特にドイツで研鑽を積むことになったのだ。帝國陸軍の統括および教育を完備 するための訓令を受けたもう一人は、近衛歩兵第二旅団長の川上操六・陸軍少将であった。川上少将は薩摩藩の秀才で、後の日清戦争で参謀総長として大きな功 績を残した。当時の陸軍は「川上を参謀部に、乃木を教育部に」配属しようと考えていたのである。

  乃木、川上の両少将は明治20年にド イツへ渡ったのである。当時のプロイセンは普仏戦争でフランスを破り、ドイツ帝国建設という大業を成し遂げたところである。西歐諸国や我が国は、対デン マーク戦争、普奥戦争、普仏戦争に勝ち、沖天の勢いにあるドイツに刮目していたのである。新興の途にある日本人にはドイツの軍事的栄光は眩しかった。殊に 乃木少将が感銘する処は尋常ではなかったという。

Nogi 7   kawakami 1













(左側:乃木希典/右側:川上操六 )

   ベルリンでは乃木、川上両少将は参謀本部の老将軍ヘルムート・フォン・モルトケ総長(Helmut Karl Bernhard Graf von Moltke)を訪問したのである。モルトケ元帥は既に80歳を超えていたが、なお矍鑠(かくしゃく)として英雄としての威厳を備えていた。老将軍は日本 についての知識が乏しく、日本は支那に属する小国程度にしか思っていなかったのであろう。川上と乃木両少将が戦術の研究目的でドイツへ留学に来たと、と 言っても微笑せざるを得なかったのである。ドイツ語を充分に理解せぬ両名だったが、その真摯な態度と真剣な目的を聴いているうちに、モルトケ将軍は心を打 たれてしまった。そこで老将軍はれらの申し出を快く承諾し、フランス語が出来るデュフェー(Dufais)・参謀大尉を両少将の付属教官に付けてくれたの だ。日本側はフランス語を解する楠瀬幸彦(くすのせさちひこ)大尉がデュフェー大尉の通訳となった。

  デュフェー大尉を迎えて戦術の研 究をするこことなった両少将は、純然たる学生となり、ほとんど寝食を忘れて軍事の研究と新知識の咀嚼に励んだのである。明治21年に両少将は帰朝したが、 その一年間に吸収したものは陸軍に資するところが多かった。両少将が心血を傾けて起稿した意見書は敬服に値する。その中で、我々が注目したいのは乃木少将 が「軍人かくあるべし」と示したかった模範である。乃木少将はドイツの地方を巡り、人情と風俗を研究することで日本の前途に資するよう努力した。また、機 会ある事にドイツの名士や軍人に接し、その家庭を訪れて交遊することを怠らなかった。

  この点につき、今日の我々はドイツをはじめとす る西歐世界がどれほど立派かを再確認せねばならない。大東亜戦争の前後、我が国の知識人は執拗に白人国家敵視を煽り、日本国民が英米蘭仏を憎むよう仕向け ていた。共産主義者の軍人文人らがソ連を助けるため、白人植民地主義からのアジア解放戦争を宣伝して日本を対英米戦へと導いたのである。だが、我々が地球 上で一番大切なのは、祖国日本であり、アジア諸国ではない。栄光ある孤立が非現実的であるならば、日本人が交流すべき相手は西歐白人であり、陰険でおぞま しいアジア人ではないのだ。たとえば、支那の軍人などは匪賊やゴロツキであって、一切尊敬に値しない輩である。支那人の性格は根本的に猜疑心で固まってい るし、朝鮮人の民族性は暗い歴史を通して歪んでいるのだ。張作霖はアヘン中毒者だったし、毛沢東は支那大陸で殺戮の嵐を起こし、蒋介石は臺灣で住民虐殺を 行った。日本の軍人で支那軍将校に会って感動した者などいないだろう。現実を振り返れば、アジアの黄色人種には感銘を受ける人士が少なかったのに、西洋の 白色人種には尊敬する偉人が多かったのである。一流の教育を受けた乃木少将が、ドイツ留学で人生と人格が変わったことは特筆大書すべき事象である。

ハイカラ乃木からバンカラ乃木へ

  ドイツで立派な紳士や軍人と邂逅したことで、乃木少将は自分がまづ模範を示さねばならぬ、と痛感したのである。

  軍紀は軍人の精神なり、一事一物、一言一行も軍人名誉の制服を着する者は、軍紀の範囲を出るを許すべけんや。・・・軍紀、戦術の教育たるや、紙上の筆記、坐上の談論を以て検定し得るべき者にあらず。(p.329)

   だらしない軍人を批判した乃木少将も、昔の自分を思えば「汗顔(かんがん)に堪へず」と述べている。乃木少将は酒盃を離さないほどの酒豪であったし、料 亭の宴会では芋掘りの真似をして皆でどんちゃん騒ぎをしていたのだ。繁華街で「乃木の豪遊」は有名であった。当時は名だたる料亭で酒宴を開くことが当然で あったので、事あるごとに料亭で宴会を開き、進級、着任、転任、あるいは結婚披露の口実で飲み食いしていたのである。しかも、宴会費用の半額は藝妓の費用 であった。それゆえ、乃木少将は、こんな悪習は上流に位置する者が改悛して反省しなければ減らないであろう、と嘆いたのである。軍人の心得を強調する乃木 少将の反省は、立ち居振る舞いのみならず服装にまで及んだのである。

  独逸国軍人がよく自ら名誉を愛重するの一例を挙げれば、将校等が 居常必ずその制服を脱せざるにおいてもまた見るべし。軍人の制服はただ勤務、儀式の用のみにあらず。常に名誉の制服を着するを以てその挙止、動作、礼節の ごときも、一に軍紀の範囲を脱することなし、また脱するを得べからざるなり。・・・・将校の如きは終身の永き、常に制服着用するは、その不便に堪えざるな りと。軍人の制服は名誉の服なり。名誉を捨て、放恣を好むの心を懐て自らを省みざる者にして、軍人の上流に立ち、模範を示し、部下を教育するに、又軍紀の 現勢を望むを得るの理あらんや。唯に部下の模範となるべきのみならず、徳義、礼節一国社会の上流に立ちて、一般の標準とならざるべからざる将校にして、自 らを軍紀の範囲内に居るを苦しんで、寸暇もこれを遁るに汲々たるが如きは、そもそもまた何事ぞや。(pp.344-345)

  明治大帝に殉じて自害した軍神とは別人とも思えるほど、若き乃木大佐は派手な服装をしていたのだ。それゆえ「ハイカラであった乃木も、洋行したためにバンカラになった」と知人の間で評判になったくらいである。後の首相になる田中義一は回想して述べている。

   ・・・乃木将軍は、若い時代は陸軍きってのハイカラであった。着物でも紬(つむぎ)のひそろで、角帯を締め、ゾロリとした風をして「あれでも軍人か」と 云われたものだ。ところがドイツ留学から帰った来た将軍は、友人が心配したとは反対に、恐ろしく蛮カラになった、着物も、愛玩の煙草入れも、皆人にくれて しまって、内でも、外でも、軍服で押し通すという変わり方、それがあまりに酷いので、その理由を聞くと「感ずる処あり」と云うのみで、どうしても云わな かった。今も知人仲間の謎となっている。(p359)

  ドイツから戻ってからというもの、乃木さんが急に変わったので知人らが理由を質 せば、ただ「感ずる処あり」とのみ答えるだけであった。彼らはドイツでの衝撃を知らなかったのである。当初は、半年一年くらいすれば元の乃木に戻るであろ う、と冷笑する者もいたが、三年、五年、十年を経ても乃木将軍の生活は変わらなかったのである。むしろ、帰朝した頃よりも段々と厳格になったくらいであ る。

  乃木将軍の服装規則は厳格であった。たとえば、軍服を着ていなかったから訪問客に会わなかった、というエピソードすらあったので ある。将軍は普段から軍服を着用することを怠らなかった。臺灣総督に赴任するまでは、軍服一点張りではなく、洋服を着ていたが、和服を着ることはなかっ た。第11師団長として赴任する時、行李(こうり)の中に二枚の新しい浴衣が入っていたが、とうとうそれを一度も用いなかった。ある時、親戚の杉民治が乃 木将軍を畳の部屋に招いたときも、洋服姿であったので、不自由ではないか、と尋ねたことがある。すると将軍はもの柔らかに答えた。

  「不自由では御坐いませぬ。居常にかういふ習慣がついていますので・・・」(p.363)

   このように「乃木式生活」を実践していた乃木将軍は、常に天皇陛下の名誉ある軍人であることを肝に銘じていた。たとえば、汽車に乗るときは三等車の切符 を買わず、上流の高等武官である体面を汚さぬよう必ず一等車の切符を手にしたのである。近親者で軍籍にある者に対しては、「陛下の軍人であるから、体面を 汚さぬよう汽船なら一等室に、汽車でも一等か二等車に乗るよう心掛けよ。もし二等車にも乗れぬようなら旅行せぬが良かろう」と忠告した。乃木将軍は再度 ヨーロッパを旅行したときにも、一流のホテルに泊まり、高級自動車に常用したのである。しかし、乃木将軍は豪勢な生活を満喫したのではなく、その私生活は 質素であり、極めて倹約に努めた。学習院でも子供たちには質実剛健を教え、自らもそれを実践していたことはよく知られている通り。日露戦争で多くの将兵を 死なせてしまった悲劇の将軍は、ストア派の哲学者の如き生活を送り、国家への奉仕以外の生き甲斐を持たぬ生粋の軍人になっていたのである。殉死する前に迪 宮殿下(昭和天皇)がご覧になった乃木大将とは、まさに人格的回心を経た英雄であった。



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