無敵の太陽
主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。
2014年11月
支那経済を絶賛するペテン師
経済を扱う雑誌でよく登場する大前研一は、私利私欲でよどんだ政治家や失敗続きの経済政策を批判することで、もやもやしている一般人に人気がある。マサ チューセッツ工科大学(MIT)で博士号をとり、マッキンゼー・アンド・カンパニーの日本支社長という経歴で、もう一般読者は尊敬してしまうのだ。大前氏 は独自の情報や人脈を披露して読者を驚かせたり、わかりやすい政策提言を発表するから好評を得るのだろう。しかし、彼の政治思想や国家観、歴史観といった ら「とんでもない」劣悪品なのである。
まづ大前氏の得意分野である経済評論を取り上げてみたい。大前氏は、とにかく支那が好きで、立 て続けに支那経済本を出している。『チャイナ・インパクト』『中国シフト』『中華連邦』の三部作は有名だ。支那の経済発展に注目し、アジアの繁栄は支那を 中心に拡大するといった宣伝を行っていたのである。鄧小平の改革開放が嬉しくてたまらないのだろう。大前氏曰く、
中国は今、まったく 新しいタイプの国家に生まれ変わろうとしている。それは、経済的には並はずれた競争力を備え、政治的にも安定し、社会的不穏に直面しても揺らぐことのない 国である。そして将来は、政治・経済の両面で、アメリカ以外のどの国よりも優位に立つ国家になるはずだ。 (『チャイナ・インパクト』 講談社 2002 年 pp. 19-20)
大前氏の支那評価は半分当たっているが、注意が必要である。13ないし16億の人口が銭儲けに邁進するのだ から、支那経済のパイが大きくなるのは当然だろう。しかも、長年に亘る日本からの資金贈与と技術援助という朝貢を受けてきたのだから、支那人が働くための 基盤ができていたのである。支那共産党が「政治的に安定」しているのは、人民解放軍という「人民弾圧部隊」を所有しているからだ。反抗する者は銃殺か戦車 で轢き殺してしまえばよい。支那の伝統的治安維持はすごい。日本人にはとてもできない荒技である。支那が大国になるのは、歴史上何度もあり、珍しいことで はない。ただ、核兵器を持ったマフィア国家だから困るのだ。
支那経済に魅せられた大前氏は、朱鎔基の経済改革に惚れ込んだ。国有企業や金融システムの改革や行政のスリム化を行うと発言したから、この経済官僚を好 きになったのであろう。朱鎔基が支那を中央集権国家から地方分権国家へ、さらには連邦制への移行まで視野に入れて改革したからだ。(p.31) 大前氏はよっぽど中華連邦制が好きなんだろう。日本で地方分権やら道州制国家を提唱しても、愚鈍な日本国民が大前節に乗って踊らないことが腹立たしいので はないか。そして大前氏の朱鎔基礼賛は続く。
国有企業改革と外資の導入、この二つが主なきっかけとなり、朱鎔基の三大改革開始から僅 か三年で分権化が一気に進んだ。中国は、表向き北京による中央集権国家なのだが、実質的には地方が自治権を確立した、アメリカに似た連邦制の国へと変容を 遂げたのである。 ( p.37)
へぇー、そうなんだ。でも、どうして巨額の銭をため込んだ支那人がアメリカへ逃亡するんだ? 女房子供に米国籍を取得させて、巨万の富は秘密口座に隠し、裸一貫になった支那共産党員はいつでも祖国から遁走できるよう準備している。アメリカみたいな 連邦制に移行して豊かになった支那から、なぜ次々と共産党高官がアメリカへ逃げるのか大前氏は説明せよ。「やがて支那の崩壊が始まる」と言って喜んでいる 者を、大前氏は「頭が三年古い」と言い放つ。たしかに、支那は崩壊しなかったし、今後も存続するだろう。しかし、その存続が問題なのだ。北京政府は勢力拡 大や経済発展のためなら何でもする。そのため周辺国がどんなに迷惑しようとも気にしない。日本へ汚染物質が飛来しても平気である。日本人が支那国内をきれ いにしてくれた上に、経済援助のお金をくれるから、もっと公害を垂れ流したくなる。厄介で困り者の支那国民は、日本へ輸出すれば問題解決。よって支那は崩 壊せず、これからも安泰。大前氏は支那について楽観的だ。
朱鎔基革命で地方の自立化が進んだため、今の中国に中央集権という概念は当 たらない。共産党一党支配も当たらない。・・・・腐敗はまだそこらじゅうに存在している。しかし、その腐敗が国全体を覆い尽くしたり、あるいはアヘン戦争 の時のように麻薬が蔓延したり、危険視された法輪功が中国全体をゆるがしたり、ということはもはやありえない。なぜなら繁栄している沿岸部は、われわれが お思っているほど抑圧されていないからだ。皆自由に、どんどん前向きに事業に取り組んでいる。 (p.38)
支那は共産党独裁国家で はなかったんだ。また、金権腐敗が蔓延するような酷い国ではなかったんだ。偉い人の言うことは違うねぇー。反対や抗議のデモを行うチベット人やウィグル人 は問題ないのか。抗議のために焼身自殺を図るチベット人僧侶や、政治犯として刑務所で拷問されるウィグル人を、大前氏は無視するのか。貧乏な少数民族はど うでもいいのだろう。支那経済の自由化・市場経済に移行したことに大はしゃぎする大前氏は、北京政府が共産主義の看板を外す日が来ることを信じていた。
朱鎔基革命のあとの中国は、もう共産主義とは言えない。・・・(江沢民が引退する) タイミングに合わせて、江沢民が「共産主義の終焉」を発表するとい うシナリオだ。・・・この江沢民に対し、朱鎔基は間違いなく100年に一人の政治家だ。(『チャイナ・インパクト』 pp. 194-195)
そもそも支那人は共産主義を勉強したり信仰していたのか? 毛沢東だってマルクスの『資本論』や『レーニン全集』を読んだのか怪しい。毛沢東にとっては『三国志』の方がよっぽど身に付いていた。権力を握るための方 便として共産主義を掲げたのであって、無産階級のために支那皇帝となったのではない。だから、鄧小平は頃合いを見計らって、市場経済の資本制社会に支那を 戻しただけ。博打好きの支那人には、株式投資が似合っているし、銭のためなら寝る暇惜しむ支那人だ。毛沢東が死んだから昔の姿に戻ったのだろう。大前氏 は、朱鎔基がよほどお気に入りらしい。
江沢民についても期待を膨らます大前氏。台湾に対して支那側が持ちかける香港合併方式を、「第 三次国共合作」と称して勧めている。この台湾・支那合併が実現したら、江沢民はノーベル平和賞も充分狙える、と大前氏は意気込む。(p.201) 台湾と支那の雪解けが進み、台湾が北京を盟主とする「中華連邦」に取り込まれることを夢見た大前氏は、北京オリンピック開催前の2005年前後ではない か、と予測していた。( 『中華連邦』 PHP研究所 2002年 p.13) はずれて残念だったねえ。江沢民は日本人に憎まれながら引退していったのである。ノーベル賞を逃した江沢民には、大前研一反日勲章とか河野洋平特別賞でも くれてやったらどうか。
大前氏は北京政府の合併話を、支那が“美人娘”の台湾に結婚を求めているようなもの、と表現している。( 『中華連邦』p.113) これはヤクザが生娘(きむすめ)をたらし込んで廓(くるわ)に売り飛ばすようなものだろう。甘い言葉に釣られて支那大陸に投資 した台湾人は、身ぐるみ剥がされ悔し涙を堪えて台湾に戻ってきた。大損して破産した台湾人ビジネスマンが聞いたら、大前研一の藁人形でも作って特大の釘を 打ち付けるんじゃないか。日本人ビジネスマンも支那投資で大失敗したが、恥ずかしくて何も言えずに泣き寝入りしているのだ。それでも帰国できた日本人はま だ良かった。支那官憲に拘束されて、刑務所送りにされそうな日本人は大前氏の言論をどう思うのか。ぜひ聞きたい。
支那経済の大躍進に 目がくらんだ大前氏は、ぐずぐすしていると日本はやがて支那の周辺国に成り下がるぞ、と脅しをかけている。(p.223) 日本は中央集権国家だから、早く地方分権制に移行して、大支那経済圏に参加しろとせかす。中華連邦に入れば海外投資が呼び込める、地域が活性化するから日 本経済が成長すると言いたいのだ。支那の周辺国にならない道は、日本が11の道州制に変貌して支那のメガリージョンと、それぞれ抜き差しならぬ関係をもつ ようになることだ、と主張する。(p.241) また、EUを見習って日本や支那は「AU=エイジアン・ユニオン」とか「EUA=イースト・エイジアン・ユニオン」というものを構築せよ、とのたまう。核 武装した巨大な暴力団たる支那共産党と合併しろと提唱する大前氏は正気か? あんな不潔で邪悪な最低のゴロツキ集団と一緒になったら、日本人は幸せなの か? ばあぁーか。冷凍庫に入って凍死しろ。
国境無視のグローバリスト大前氏は、支那人の高い能力を褒めちぎる。「もともと中国人は 優秀だ」と評し、アジア諸国の中でTOEFLの平均得点を見れば、英語圏であるフィリピン、インドに次いで高得点を上げている。日本人の得点はインドネシ ア、韓国、タイの後塵を拝しているくらいだから支那人には遠く及ばない、と日本を貶している。数学オリンピックの成績も支那はロシアと共に世界一の座にあ る。日本は13位だから、いかに支那人学生が優れているかを宣伝するのだ。( 『チャイナ・インパクト』 pp.62-63) でも、支那人で大学入試用英語試験TOEFLを受けるのは、選抜された支那学生がほとんどで、欧米大学に 留学できない学生は受験しないから、平均点が高くなるのは当然である。アジア人で英米に留学するような若者は、最初から平民とは違っているのだ。
この優秀な支那人と朝鮮人は、米国大学へ進学するための試験(SAT) で不正を犯し、試験実施当局から非難されている。試験用紙が事前に漏洩していた、という容疑がかかったのである。いかにも支那人がやりそうな不正行為であ る。( Valerie Strauss, Allegations of cheating on SAT in Korea, China being probed, The Washington Post, October 29, 2014) 倫理観や公共精神など微塵もない支那人は、自分の利益となると天才的能力を発揮する。学者や犯罪者になる奴は熱心に努力する。書物の中に銭が隠れている、 というのが支那人の学問に対する姿勢である。
その優秀な支那人がリニア・モーターカーを開発すべく、計画を立てていたのを大前氏は危惧していたという。結果はどうなったか。はっきり言って無理だろ う。2011年7月23日に起きた温州市高速鉄道衝突事件を覚えているだろう。日本から盗んだ技術で新幹線もどきの列車「和諧号」を運行させたら、脱線事 故で40名が死亡し172名が負傷した。上海鉄道局の王峰副局長は脱線した列車を、生存者もろとも地中に埋めてしまった。「優秀な支那人」がやることは違 うねぇ。え、大前の旦那。我々の想像を超えた発想ができるじゃないか。すごい! 独創的だ! 大胆だ!
支那の環境汚染はしかたない?
日本で支那の環境汚染や有毒食品が報道されて、世間が震えて動揺したり眉をひそめると、支那人のために火消し役が現れる。こうした支那消防士のひとりが 大前氏だ。日本のマスコミが大騒ぎになると、「あまりにもエキセントリックで過剰な反応をしている」と大前氏は思う。( 「ビジネス新大陸の歩き方」 第 131回 週刊ポスト 2007年8月31日号 p.68) 支那が現在抱えている環境問題は、かつて先進国が経済発展の代償として経験してきた道と同じ、と言う。この言い回し(フレーズ) はワイドショー番組の評 論家がよく使っていたから、一般国民も耳にしたはずだ。そうだ東京オリンピックの頃と似ている。昭和40年代の光化学スモッグを思い出せば、支那人を責め られないじゃないか、といった論調である。水俣病、四日市喘息、イタイタイ病などの公害や環境汚染を日本も経験したじゃないか。現在の支那の河川と同じよ うに隅田川も水質汚染が酷かった。だから、「歴史を振り返れば、現在の中国が抱える問題について、中国だけを批判しても意味がない」と思う大前氏。 (p.69) まあ、支那人に寛大だこと。支那人と日本人が同じレベルの道徳心をもつのか?
支那の河川は美しい。化学物質で七色に輝いている。リン酸とチッソが川に流れて藻類が大増殖して「水の華」が発生して水中の生物が死滅。(レコードチャイ ナ 2013年4月29日) 河南省新郷市では西孟姜河が真っ赤な「血の川」に変化したという。(レコードチャイナ 2013年5月4日) いいねぇ。支 那の河川は赤や緑でカラフルだ。水質汚染で風呂に入ろうとしたら、お湯が茶色く濁っているそうだ。水道水は魚の腐ったような臭いがする。洗濯すれば、白い シャツが黄色くなる。(「ヘドロに生きる中国人民」 週刊新潮 2013年6月20日号) 支那はサービス精神旺盛な国だ。水道の蛇口をひねるとタダで豚 骨スープが飲めるのだ。工場排水と生活排水がシェイクされて飲料水に様変わりする。スバラシイ!
水質汚染なんか気にするな、日本人よ。ガン患者が増えて医療費がかさめば、病院や医者が儲かり、景気が良くなる。支那では癌による死亡者が、年間250 万人に膨れあがっているそうだ。(レコードチャイナ 2013年4月8日) しかも、発ガン性のある地溝油を食用油と偽って、揚げ物を提供する支那の食堂 は人口抑制に貢献している。毎年350万トンの発ガン性物質が食卓に上がっているらしい。(レコードチャイナ 2013年3月10日) いやぁ、喰わせね ばならぬ支那大衆が減って良かったじゃないか。金属不足の支那では、支那人の血管に金属が貯まっていたらしい。ドイチェ・ヴェレによれば、支那移民は他の アジア人より、体内に高濃度の重金属を含んでいるという。鉛の含有量が44%も高いことが明らかになった。カドミュウム汚染米や鉛入りの魚を食べて重症に なる支那人が多いというわけだ。本当に支那の環境汚染や偽装食品を挙げだしたらきりがない。
大前氏は、支那人の環境意識を甘く見てい る。昔の日本で環境汚染対策の技術があれば、とっくに導入していたはずである。公害対策の科学技術が未発達だった1960年代と第21世紀の現在とでは雲 泥の差がある。しかも、支那は巨額の軍事費を投入できるほど国費が豊かで、いくらでも欧米や日本から技術を購入することができる。都合のいいときだけ発展 途上国を装う支那をなぜ大前氏は許すのか。そんなに支那を擁護するなら、家族そろって有毒ガスが充満する北京に住んだらどうだ? 平和で退屈な日本より、殺人や犯罪、暴動で荒れ狂う支那の方が刺戟的であるはずだ。大国の支那に住んだら、地方分権理論を多くの支那人が聞いてくれるだろ う。中央集権にしがみつく日本人より進歩的なのでは。大前氏は今度『みんなで支那へ住もう』といった本を出したら売れるかもよ。つづく。
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経済を扱う雑誌でよく登場する大前研一は、私利私欲でよどんだ政治家や失敗続きの経済政策を批判することで、もやもやしている一般人に人気がある。マサ チューセッツ工科大学(MIT)で博士号をとり、マッキンゼー・アンド・カンパニーの日本支社長という経歴で、もう一般読者は尊敬してしまうのだ。大前氏 は独自の情報や人脈を披露して読者を驚かせたり、わかりやすい政策提言を発表するから好評を得るのだろう。しかし、彼の政治思想や国家観、歴史観といった ら「とんでもない」劣悪品なのである。
まづ大前氏の得意分野である経済評論を取り上げてみたい。大前氏は、とにかく支那が好きで、立 て続けに支那経済本を出している。『チャイナ・インパクト』『中国シフト』『中華連邦』の三部作は有名だ。支那の経済発展に注目し、アジアの繁栄は支那を 中心に拡大するといった宣伝を行っていたのである。鄧小平の改革開放が嬉しくてたまらないのだろう。大前氏曰く、
中国は今、まったく 新しいタイプの国家に生まれ変わろうとしている。それは、経済的には並はずれた競争力を備え、政治的にも安定し、社会的不穏に直面しても揺らぐことのない 国である。そして将来は、政治・経済の両面で、アメリカ以外のどの国よりも優位に立つ国家になるはずだ。 (『チャイナ・インパクト』 講談社 2002 年 pp. 19-20)
大前氏の支那評価は半分当たっているが、注意が必要である。13ないし16億の人口が銭儲けに邁進するのだ から、支那経済のパイが大きくなるのは当然だろう。しかも、長年に亘る日本からの資金贈与と技術援助という朝貢を受けてきたのだから、支那人が働くための 基盤ができていたのである。支那共産党が「政治的に安定」しているのは、人民解放軍という「人民弾圧部隊」を所有しているからだ。反抗する者は銃殺か戦車 で轢き殺してしまえばよい。支那の伝統的治安維持はすごい。日本人にはとてもできない荒技である。支那が大国になるのは、歴史上何度もあり、珍しいことで はない。ただ、核兵器を持ったマフィア国家だから困るのだ。
支那経済に魅せられた大前氏は、朱鎔基の経済改革に惚れ込んだ。国有企業や金融システムの改革や行政のスリム化を行うと発言したから、この経済官僚を好 きになったのであろう。朱鎔基が支那を中央集権国家から地方分権国家へ、さらには連邦制への移行まで視野に入れて改革したからだ。(p.31) 大前氏はよっぽど中華連邦制が好きなんだろう。日本で地方分権やら道州制国家を提唱しても、愚鈍な日本国民が大前節に乗って踊らないことが腹立たしいので はないか。そして大前氏の朱鎔基礼賛は続く。
国有企業改革と外資の導入、この二つが主なきっかけとなり、朱鎔基の三大改革開始から僅 か三年で分権化が一気に進んだ。中国は、表向き北京による中央集権国家なのだが、実質的には地方が自治権を確立した、アメリカに似た連邦制の国へと変容を 遂げたのである。 ( p.37)
へぇー、そうなんだ。でも、どうして巨額の銭をため込んだ支那人がアメリカへ逃亡するんだ? 女房子供に米国籍を取得させて、巨万の富は秘密口座に隠し、裸一貫になった支那共産党員はいつでも祖国から遁走できるよう準備している。アメリカみたいな 連邦制に移行して豊かになった支那から、なぜ次々と共産党高官がアメリカへ逃げるのか大前氏は説明せよ。「やがて支那の崩壊が始まる」と言って喜んでいる 者を、大前氏は「頭が三年古い」と言い放つ。たしかに、支那は崩壊しなかったし、今後も存続するだろう。しかし、その存続が問題なのだ。北京政府は勢力拡 大や経済発展のためなら何でもする。そのため周辺国がどんなに迷惑しようとも気にしない。日本へ汚染物質が飛来しても平気である。日本人が支那国内をきれ いにしてくれた上に、経済援助のお金をくれるから、もっと公害を垂れ流したくなる。厄介で困り者の支那国民は、日本へ輸出すれば問題解決。よって支那は崩 壊せず、これからも安泰。大前氏は支那について楽観的だ。
朱鎔基革命で地方の自立化が進んだため、今の中国に中央集権という概念は当 たらない。共産党一党支配も当たらない。・・・・腐敗はまだそこらじゅうに存在している。しかし、その腐敗が国全体を覆い尽くしたり、あるいはアヘン戦争 の時のように麻薬が蔓延したり、危険視された法輪功が中国全体をゆるがしたり、ということはもはやありえない。なぜなら繁栄している沿岸部は、われわれが お思っているほど抑圧されていないからだ。皆自由に、どんどん前向きに事業に取り組んでいる。 (p.38)
支那は共産党独裁国家で はなかったんだ。また、金権腐敗が蔓延するような酷い国ではなかったんだ。偉い人の言うことは違うねぇー。反対や抗議のデモを行うチベット人やウィグル人 は問題ないのか。抗議のために焼身自殺を図るチベット人僧侶や、政治犯として刑務所で拷問されるウィグル人を、大前氏は無視するのか。貧乏な少数民族はど うでもいいのだろう。支那経済の自由化・市場経済に移行したことに大はしゃぎする大前氏は、北京政府が共産主義の看板を外す日が来ることを信じていた。
朱鎔基革命のあとの中国は、もう共産主義とは言えない。・・・(江沢民が引退する) タイミングに合わせて、江沢民が「共産主義の終焉」を発表するとい うシナリオだ。・・・この江沢民に対し、朱鎔基は間違いなく100年に一人の政治家だ。(『チャイナ・インパクト』 pp. 194-195)
そもそも支那人は共産主義を勉強したり信仰していたのか? 毛沢東だってマルクスの『資本論』や『レーニン全集』を読んだのか怪しい。毛沢東にとっては『三国志』の方がよっぽど身に付いていた。権力を握るための方 便として共産主義を掲げたのであって、無産階級のために支那皇帝となったのではない。だから、鄧小平は頃合いを見計らって、市場経済の資本制社会に支那を 戻しただけ。博打好きの支那人には、株式投資が似合っているし、銭のためなら寝る暇惜しむ支那人だ。毛沢東が死んだから昔の姿に戻ったのだろう。大前氏 は、朱鎔基がよほどお気に入りらしい。
江沢民についても期待を膨らます大前氏。台湾に対して支那側が持ちかける香港合併方式を、「第 三次国共合作」と称して勧めている。この台湾・支那合併が実現したら、江沢民はノーベル平和賞も充分狙える、と大前氏は意気込む。(p.201) 台湾と支那の雪解けが進み、台湾が北京を盟主とする「中華連邦」に取り込まれることを夢見た大前氏は、北京オリンピック開催前の2005年前後ではない か、と予測していた。( 『中華連邦』 PHP研究所 2002年 p.13) はずれて残念だったねえ。江沢民は日本人に憎まれながら引退していったのである。ノーベル賞を逃した江沢民には、大前研一反日勲章とか河野洋平特別賞でも くれてやったらどうか。
大前氏は北京政府の合併話を、支那が“美人娘”の台湾に結婚を求めているようなもの、と表現している。( 『中華連邦』p.113) これはヤクザが生娘(きむすめ)をたらし込んで廓(くるわ)に売り飛ばすようなものだろう。甘い言葉に釣られて支那大陸に投資 した台湾人は、身ぐるみ剥がされ悔し涙を堪えて台湾に戻ってきた。大損して破産した台湾人ビジネスマンが聞いたら、大前研一の藁人形でも作って特大の釘を 打ち付けるんじゃないか。日本人ビジネスマンも支那投資で大失敗したが、恥ずかしくて何も言えずに泣き寝入りしているのだ。それでも帰国できた日本人はま だ良かった。支那官憲に拘束されて、刑務所送りにされそうな日本人は大前氏の言論をどう思うのか。ぜひ聞きたい。
支那経済の大躍進に 目がくらんだ大前氏は、ぐずぐすしていると日本はやがて支那の周辺国に成り下がるぞ、と脅しをかけている。(p.223) 日本は中央集権国家だから、早く地方分権制に移行して、大支那経済圏に参加しろとせかす。中華連邦に入れば海外投資が呼び込める、地域が活性化するから日 本経済が成長すると言いたいのだ。支那の周辺国にならない道は、日本が11の道州制に変貌して支那のメガリージョンと、それぞれ抜き差しならぬ関係をもつ ようになることだ、と主張する。(p.241) また、EUを見習って日本や支那は「AU=エイジアン・ユニオン」とか「EUA=イースト・エイジアン・ユニオン」というものを構築せよ、とのたまう。核 武装した巨大な暴力団たる支那共産党と合併しろと提唱する大前氏は正気か? あんな不潔で邪悪な最低のゴロツキ集団と一緒になったら、日本人は幸せなの か? ばあぁーか。冷凍庫に入って凍死しろ。
国境無視のグローバリスト大前氏は、支那人の高い能力を褒めちぎる。「もともと中国人は 優秀だ」と評し、アジア諸国の中でTOEFLの平均得点を見れば、英語圏であるフィリピン、インドに次いで高得点を上げている。日本人の得点はインドネシ ア、韓国、タイの後塵を拝しているくらいだから支那人には遠く及ばない、と日本を貶している。数学オリンピックの成績も支那はロシアと共に世界一の座にあ る。日本は13位だから、いかに支那人学生が優れているかを宣伝するのだ。( 『チャイナ・インパクト』 pp.62-63) でも、支那人で大学入試用英語試験TOEFLを受けるのは、選抜された支那学生がほとんどで、欧米大学に 留学できない学生は受験しないから、平均点が高くなるのは当然である。アジア人で英米に留学するような若者は、最初から平民とは違っているのだ。
この優秀な支那人と朝鮮人は、米国大学へ進学するための試験(SAT) で不正を犯し、試験実施当局から非難されている。試験用紙が事前に漏洩していた、という容疑がかかったのである。いかにも支那人がやりそうな不正行為であ る。( Valerie Strauss, Allegations of cheating on SAT in Korea, China being probed, The Washington Post, October 29, 2014) 倫理観や公共精神など微塵もない支那人は、自分の利益となると天才的能力を発揮する。学者や犯罪者になる奴は熱心に努力する。書物の中に銭が隠れている、 というのが支那人の学問に対する姿勢である。
その優秀な支那人がリニア・モーターカーを開発すべく、計画を立てていたのを大前氏は危惧していたという。結果はどうなったか。はっきり言って無理だろ う。2011年7月23日に起きた温州市高速鉄道衝突事件を覚えているだろう。日本から盗んだ技術で新幹線もどきの列車「和諧号」を運行させたら、脱線事 故で40名が死亡し172名が負傷した。上海鉄道局の王峰副局長は脱線した列車を、生存者もろとも地中に埋めてしまった。「優秀な支那人」がやることは違 うねぇ。え、大前の旦那。我々の想像を超えた発想ができるじゃないか。すごい! 独創的だ! 大胆だ!
支那の環境汚染はしかたない?
日本で支那の環境汚染や有毒食品が報道されて、世間が震えて動揺したり眉をひそめると、支那人のために火消し役が現れる。こうした支那消防士のひとりが 大前氏だ。日本のマスコミが大騒ぎになると、「あまりにもエキセントリックで過剰な反応をしている」と大前氏は思う。( 「ビジネス新大陸の歩き方」 第 131回 週刊ポスト 2007年8月31日号 p.68) 支那が現在抱えている環境問題は、かつて先進国が経済発展の代償として経験してきた道と同じ、と言う。この言い回し(フレーズ) はワイドショー番組の評 論家がよく使っていたから、一般国民も耳にしたはずだ。そうだ東京オリンピックの頃と似ている。昭和40年代の光化学スモッグを思い出せば、支那人を責め られないじゃないか、といった論調である。水俣病、四日市喘息、イタイタイ病などの公害や環境汚染を日本も経験したじゃないか。現在の支那の河川と同じよ うに隅田川も水質汚染が酷かった。だから、「歴史を振り返れば、現在の中国が抱える問題について、中国だけを批判しても意味がない」と思う大前氏。 (p.69) まあ、支那人に寛大だこと。支那人と日本人が同じレベルの道徳心をもつのか?
支那の河川は美しい。化学物質で七色に輝いている。リン酸とチッソが川に流れて藻類が大増殖して「水の華」が発生して水中の生物が死滅。(レコードチャイ ナ 2013年4月29日) 河南省新郷市では西孟姜河が真っ赤な「血の川」に変化したという。(レコードチャイナ 2013年5月4日) いいねぇ。支 那の河川は赤や緑でカラフルだ。水質汚染で風呂に入ろうとしたら、お湯が茶色く濁っているそうだ。水道水は魚の腐ったような臭いがする。洗濯すれば、白い シャツが黄色くなる。(「ヘドロに生きる中国人民」 週刊新潮 2013年6月20日号) 支那はサービス精神旺盛な国だ。水道の蛇口をひねるとタダで豚 骨スープが飲めるのだ。工場排水と生活排水がシェイクされて飲料水に様変わりする。スバラシイ!
水質汚染なんか気にするな、日本人よ。ガン患者が増えて医療費がかさめば、病院や医者が儲かり、景気が良くなる。支那では癌による死亡者が、年間250 万人に膨れあがっているそうだ。(レコードチャイナ 2013年4月8日) しかも、発ガン性のある地溝油を食用油と偽って、揚げ物を提供する支那の食堂 は人口抑制に貢献している。毎年350万トンの発ガン性物質が食卓に上がっているらしい。(レコードチャイナ 2013年3月10日) いやぁ、喰わせね ばならぬ支那大衆が減って良かったじゃないか。金属不足の支那では、支那人の血管に金属が貯まっていたらしい。ドイチェ・ヴェレによれば、支那移民は他の アジア人より、体内に高濃度の重金属を含んでいるという。鉛の含有量が44%も高いことが明らかになった。カドミュウム汚染米や鉛入りの魚を食べて重症に なる支那人が多いというわけだ。本当に支那の環境汚染や偽装食品を挙げだしたらきりがない。
大前氏は、支那人の環境意識を甘く見てい る。昔の日本で環境汚染対策の技術があれば、とっくに導入していたはずである。公害対策の科学技術が未発達だった1960年代と第21世紀の現在とでは雲 泥の差がある。しかも、支那は巨額の軍事費を投入できるほど国費が豊かで、いくらでも欧米や日本から技術を購入することができる。都合のいいときだけ発展 途上国を装う支那をなぜ大前氏は許すのか。そんなに支那を擁護するなら、家族そろって有毒ガスが充満する北京に住んだらどうだ? 平和で退屈な日本より、殺人や犯罪、暴動で荒れ狂う支那の方が刺戟的であるはずだ。大国の支那に住んだら、地方分権理論を多くの支那人が聞いてくれるだろ う。中央集権にしがみつく日本人より進歩的なのでは。大前氏は今度『みんなで支那へ住もう』といった本を出したら売れるかもよ。つづく。
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アフロ・ヘアーは醜い感じる黒人
むかし日本でもアフロ・ヘアーが流行したことがあった。1970年代頃かと記憶している。落語家の笑福亭鶴瓶が若い頃の大きなアフロ・ヘアーは今でも有名 だ。歌手の桑名雅博や郷ひろみが縮れ髪をしていたのを覚えている日本人も多いだろう。現在では古いVTRでしか分からないが、来日したマイケル・ジャクソ ンやクインシー・ジョーンズのアフロ・ヘアーもテレビでよく見たものだ。(ついでに言えば、マイケルは整形でアフリカ鼻まで変わっていたし、病気で皮膚が 白くなっていた。) だが、いつ頃か黒人男性が坊主頭かスキン・ヘッドにし始めて、ぼうぼうの縮れ毛スタイルを見なくなった。ほとんど全てといって言いくらい、アメリカ黒人男 性は坊主刈りである。バスケット・ボール・スターであるマイケル・ジョーダンの影響かもしれない。黒人女性も多くが直毛の髪型にしている。縮れ毛がいかに もアフリカ黒人みたいで嫌なのだろう。
(左側: 若き日のミシェル・ロバーツ(オバマ)/ 右側: ミシェル・オバマ婦人)
「黒 人文化やアフリカ種族を誇りにしている」と公言するアメリカ黒人は沢山いるのだが、そのアフリカ人が持つ人種的特徴は恥ずかしいと思っている。たとえば、 日本人が大統領夫人のミッシェル・オバマや国務長官のコンドリーザ・ライスを見て、すぐに気がつくことがあった。彼女たちは直毛のヘアー・スタイルを選択 していたのである。わざわざ高い値段を払って頻繁に美容室に通うのだ。あれだけアメリカ黒人の同胞に対して「黒人文化」の素晴らしさを訴えていたのに、黒 人の容姿や体質を嫌っていたのだ。こういうのを常識人は偽善者と呼ぶ。
( コンドリーザ・ライス長官)
日本人は夏になれば、普通にスイミング・プールや海に出かけて、平気な顔して泳いでいる。だが、黒人女性は水泳を嫌がる。マンハッタンでヘアー・デザイ ン学校の指導員を務めるマイケル・ホーキンズ氏は、「いや、黒人女性は泳ぎませんよ・・・髪を濡らしたくないんです。そんなの有り得ないよねぇ」と語る。 何故かと言えば、黒人女性はせっかくパーマ液で直毛にした縮れ毛を、プールの塩素で元に戻ってしまうからである。 ( Jenna Flanagan, Chlorine and Curls : Why Many Black Women Won't Go Swiming, WNYC News, July 20, 2010) 元奴隷の悲しい歴史がある。直毛は何世紀もの間、ヨーロッパ人女性にとって美の基準であったから、黒人女性もその基準に憧れたのである。金髪 の黒人が現れると、一度目は笑ってしまうが、二度目は悲しみが込み上げてくる。いまさらアフリカに戻れないアメリカ黒人の辛さが滲み出ているからである。
世界のゴミ捨て場と化した多民族国家のアメリカでは、常に不可思議な犯罪が起こる。黒人女性の間で直毛のカツラやエクステンション(付け毛)が流行する と、カツラ専門店に泥棒が入る。レミー・ヘアーという人毛でつくった付け毛が上等品で、インド人の毛でつくった代物が最も人気があるという。ひとパック 200ドルもする付け毛なので泥棒に狙われるらしい。テキサス州ヒューストのある店では150,000ドル相当の商品が盗まれたし、60,000ドル相当 の付け毛がカルフォルニアで、ミシガンでは10,000ドルする商品が盗難にあったという。こうした盗難品は路上やインターネットで密売されいるらしい。 ミシガン州のディアボーンは黒人やヒスパニックが多い地域で、押し込み強盗による殺人事件まで起きてしまった。美容店の主人ジェイ・シンは、80袋の付け 毛を盗んだ二人組に拳銃で撃たれたのである。(Timothy Williams, Costly Hairstyle Is a Beauty TRend That Draws Thieves' Notice, The New York Times, May 16, 2011)
アフロ・ヘアーは黒人から敬遠されるだけでなく、白人からおちょくられる対象でもある。英国の製造業者パラドン(Paladone)社は、アフロ・ヘ アー人形の食器洗いスポンジを発売した。有名黒人歌手のダイアナ・ロスがシュプリームス時代にしていたアフロ・ヘアーを思い起こさせる形だ。黒人に対する ステレオタイプ化した商品だ、と非難がわき起こったのである。ファシズム反対聯合(The Unite Agaist Fascism)のウェイマン・ベネット氏は「次はどんな物が出てくるんだ。トイレ・ブラシか?」と怒りをあらわにした。(Tom Gardner, They're not exactly politicqlly correct, are they? Race row after Afro washing up sponges go on sale, Daily Mail, 26 April, 2012
フィリピン女が持ち込む黒人体質
(左側 フィリピン土人たち)
日本人でも在日米軍の黒人兵と結婚したら、アフリカ人顔で黒い肌の混血児が生まれてくることを知っている。だが、フィリピン人との結婚も黒人遺伝子の危 険性があることに気づいていない。たとえば、2013年に三鷹市で鈴木沙彩さんを、部屋で待ち伏せして殺した池永トーマス・チャールズがいた。交際してい た日本人の恋人を別れた後もつけ回し、恥ずかしい動画をインターネットに流したあげく、クローゼットに隠れて彼女を殺してしまったのである。凄惨な事件で あったが、池永チャールズ・トーマスの姿を見た一般日本人は気づいただろうか。彼の父親は日本人であるが、母親はフィリピン人で、日比混血児として生まれ た。彼は一見すると日本人らしいが、その顔の奥にフィリピン土人の形質が潜んでいる。顔つきはどことなくフィリピン人で、気質も突発的行動を起こしやすい 南洋土人の性格なのかもしれない。池永を眺めていると、アジア・アフリカの土人が時として見せる激情の発露、すなわち未開人が衝動的に爆発させる怒りを見 たような気がするのだ。
刺殺事件が報道されて彼の写真をたくさん見ると、その髪の毛が硬そうで濃いのである。なんとなく黒い肌のフィリピン土人の遺伝子が受け継がれているよう に思えてならない。戦前の日本は大東亜共栄圏や南洋進出を言い出す者が多かった。南方調査隊や民俗学者などの知識人が東南アジアに赴いて現地調査を行った ことがある。羽生操によれば、フィリピン人は43もの種族に別れており、87種の言語があるという。小島がたくさんあって、様々な部族が入り乱れて生活し ていたから当然なのかもしれない。 (羽生操 『南方の民族』 興風館 昭和19年 p.61)
羽生氏によれば、フィリピンには主に 三種の部族に分類できる。ネグリトオ族、インドネシア族、マライ族である。ネグリオト族は黒褐色の皮膚をもち、髪の毛が縮れて小柄である。一番文化程度が 低く、狩猟をしながら放浪生活をしている。インドネシア族はンドシナ半島からの移住者で、首狩りをやっているのはこの種族だ。マライ族は平地で水田耕作に 従事していて、文化が高く、指導階級を形成していた。大雑把に分類してみたが、各種族が複雑に混血したうえに、支那人や欧米人とも混血したのがフィリピン 人である。43もの種族が存在していたが、主たる要素はマライ族、インドネシア族になっている。( p. 62)
現在日本でよく見か けるのはフィリピン土人とスペイン系の血が多少混じったメスティーソ(mestizo) かタガログ族の末裔であろう。タガログというのは、「暴風の後で湿地になる所」という意味から転じて、「水田耕作に適する平地に住む人々」という意味らし い。フィリピン人の酌婦(しゃくふ/水商売女)や裸踊りが英語らしからぬ妙な言葉を喋っているとき、それがタガログ語であったりする。だが、こんな原始的 未開人の言語では、近代西歐の学問はこなせないから、英語を使用するしかないのである。
ちょっとした見た目は、支那人とマレー人の混 血みたいなフィリピン人女には、黒褐色の南洋土人の劣勢遺伝子が潜んでいる場合がある。フィリピン人を語るとき、鼻がつぶれてペチャンコのフィリピン顔ば かりを日本人は口にするが、南洋黒人の血統が脈打っていることに言及しない。オーストラリアで見かける黒いアボリジニと同じ種類の未開人がヒィリピン土人 なのである。こうしたことを認識しない日本人男性は、酒場で交際したフィリピン女と結婚して、生まれた子供を見て眉をひそめてしまうことがある。実家の両 親も気持ちが沈んでしまうのだ。肌が何となく暗い黄土色で鼻がつぶれて、髪の毛がやや縮れているからである。つい可愛い子供の将来を案じてしまうのだ。
生まれた子が女の子なら年頃になると、直毛の長い髪に憧れるかもしれない。櫛で髪をすくのが大変で、洗髪をしたら乾かすのにひと苦労となる。ジャマイカ の小さなレゲエ・ミュージシャンみたいな姿を、友人からからかわれるかもしれない。渾名も単に「フィリピン」君とか、「クロ」ちゃんとかになりそうだ。男 なら坊主頭でも良かろうが、女の子だと丸刈りとはいくまい。フィリピン人の女と簡単にセックスする日本人男はよく考えろ。世間の子供は容赦なく残酷だぞ。 親は日比混血児を一生面倒みるわけにはいかぬのだ。子供が怒りと怨みを無責任な親ではなく、イジメる日本社会に向けたら、誰が責任を取るのか。予見でき回 避できる危険性は避けるべし。
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むかし日本でもアフロ・ヘアーが流行したことがあった。1970年代頃かと記憶している。落語家の笑福亭鶴瓶が若い頃の大きなアフロ・ヘアーは今でも有名 だ。歌手の桑名雅博や郷ひろみが縮れ髪をしていたのを覚えている日本人も多いだろう。現在では古いVTRでしか分からないが、来日したマイケル・ジャクソ ンやクインシー・ジョーンズのアフロ・ヘアーもテレビでよく見たものだ。(ついでに言えば、マイケルは整形でアフリカ鼻まで変わっていたし、病気で皮膚が 白くなっていた。) だが、いつ頃か黒人男性が坊主頭かスキン・ヘッドにし始めて、ぼうぼうの縮れ毛スタイルを見なくなった。ほとんど全てといって言いくらい、アメリカ黒人男 性は坊主刈りである。バスケット・ボール・スターであるマイケル・ジョーダンの影響かもしれない。黒人女性も多くが直毛の髪型にしている。縮れ毛がいかに もアフリカ黒人みたいで嫌なのだろう。
(左側: 若き日のミシェル・ロバーツ(オバマ)/ 右側: ミシェル・オバマ婦人)
「黒 人文化やアフリカ種族を誇りにしている」と公言するアメリカ黒人は沢山いるのだが、そのアフリカ人が持つ人種的特徴は恥ずかしいと思っている。たとえば、 日本人が大統領夫人のミッシェル・オバマや国務長官のコンドリーザ・ライスを見て、すぐに気がつくことがあった。彼女たちは直毛のヘアー・スタイルを選択 していたのである。わざわざ高い値段を払って頻繁に美容室に通うのだ。あれだけアメリカ黒人の同胞に対して「黒人文化」の素晴らしさを訴えていたのに、黒 人の容姿や体質を嫌っていたのだ。こういうのを常識人は偽善者と呼ぶ。
( コンドリーザ・ライス長官)
日本人は夏になれば、普通にスイミング・プールや海に出かけて、平気な顔して泳いでいる。だが、黒人女性は水泳を嫌がる。マンハッタンでヘアー・デザイ ン学校の指導員を務めるマイケル・ホーキンズ氏は、「いや、黒人女性は泳ぎませんよ・・・髪を濡らしたくないんです。そんなの有り得ないよねぇ」と語る。 何故かと言えば、黒人女性はせっかくパーマ液で直毛にした縮れ毛を、プールの塩素で元に戻ってしまうからである。 ( Jenna Flanagan, Chlorine and Curls : Why Many Black Women Won't Go Swiming, WNYC News, July 20, 2010) 元奴隷の悲しい歴史がある。直毛は何世紀もの間、ヨーロッパ人女性にとって美の基準であったから、黒人女性もその基準に憧れたのである。金髪 の黒人が現れると、一度目は笑ってしまうが、二度目は悲しみが込み上げてくる。いまさらアフリカに戻れないアメリカ黒人の辛さが滲み出ているからである。
世界のゴミ捨て場と化した多民族国家のアメリカでは、常に不可思議な犯罪が起こる。黒人女性の間で直毛のカツラやエクステンション(付け毛)が流行する と、カツラ専門店に泥棒が入る。レミー・ヘアーという人毛でつくった付け毛が上等品で、インド人の毛でつくった代物が最も人気があるという。ひとパック 200ドルもする付け毛なので泥棒に狙われるらしい。テキサス州ヒューストのある店では150,000ドル相当の商品が盗まれたし、60,000ドル相当 の付け毛がカルフォルニアで、ミシガンでは10,000ドルする商品が盗難にあったという。こうした盗難品は路上やインターネットで密売されいるらしい。 ミシガン州のディアボーンは黒人やヒスパニックが多い地域で、押し込み強盗による殺人事件まで起きてしまった。美容店の主人ジェイ・シンは、80袋の付け 毛を盗んだ二人組に拳銃で撃たれたのである。(Timothy Williams, Costly Hairstyle Is a Beauty TRend That Draws Thieves' Notice, The New York Times, May 16, 2011)
アフロ・ヘアーは黒人から敬遠されるだけでなく、白人からおちょくられる対象でもある。英国の製造業者パラドン(Paladone)社は、アフロ・ヘ アー人形の食器洗いスポンジを発売した。有名黒人歌手のダイアナ・ロスがシュプリームス時代にしていたアフロ・ヘアーを思い起こさせる形だ。黒人に対する ステレオタイプ化した商品だ、と非難がわき起こったのである。ファシズム反対聯合(The Unite Agaist Fascism)のウェイマン・ベネット氏は「次はどんな物が出てくるんだ。トイレ・ブラシか?」と怒りをあらわにした。(Tom Gardner, They're not exactly politicqlly correct, are they? Race row after Afro washing up sponges go on sale, Daily Mail, 26 April, 2012
フィリピン女が持ち込む黒人体質
(左側 フィリピン土人たち)
日本人でも在日米軍の黒人兵と結婚したら、アフリカ人顔で黒い肌の混血児が生まれてくることを知っている。だが、フィリピン人との結婚も黒人遺伝子の危 険性があることに気づいていない。たとえば、2013年に三鷹市で鈴木沙彩さんを、部屋で待ち伏せして殺した池永トーマス・チャールズがいた。交際してい た日本人の恋人を別れた後もつけ回し、恥ずかしい動画をインターネットに流したあげく、クローゼットに隠れて彼女を殺してしまったのである。凄惨な事件で あったが、池永チャールズ・トーマスの姿を見た一般日本人は気づいただろうか。彼の父親は日本人であるが、母親はフィリピン人で、日比混血児として生まれ た。彼は一見すると日本人らしいが、その顔の奥にフィリピン土人の形質が潜んでいる。顔つきはどことなくフィリピン人で、気質も突発的行動を起こしやすい 南洋土人の性格なのかもしれない。池永を眺めていると、アジア・アフリカの土人が時として見せる激情の発露、すなわち未開人が衝動的に爆発させる怒りを見 たような気がするのだ。
刺殺事件が報道されて彼の写真をたくさん見ると、その髪の毛が硬そうで濃いのである。なんとなく黒い肌のフィリピン土人の遺伝子が受け継がれているよう に思えてならない。戦前の日本は大東亜共栄圏や南洋進出を言い出す者が多かった。南方調査隊や民俗学者などの知識人が東南アジアに赴いて現地調査を行った ことがある。羽生操によれば、フィリピン人は43もの種族に別れており、87種の言語があるという。小島がたくさんあって、様々な部族が入り乱れて生活し ていたから当然なのかもしれない。 (羽生操 『南方の民族』 興風館 昭和19年 p.61)
羽生氏によれば、フィリピンには主に 三種の部族に分類できる。ネグリトオ族、インドネシア族、マライ族である。ネグリオト族は黒褐色の皮膚をもち、髪の毛が縮れて小柄である。一番文化程度が 低く、狩猟をしながら放浪生活をしている。インドネシア族はンドシナ半島からの移住者で、首狩りをやっているのはこの種族だ。マライ族は平地で水田耕作に 従事していて、文化が高く、指導階級を形成していた。大雑把に分類してみたが、各種族が複雑に混血したうえに、支那人や欧米人とも混血したのがフィリピン 人である。43もの種族が存在していたが、主たる要素はマライ族、インドネシア族になっている。( p. 62)
現在日本でよく見か けるのはフィリピン土人とスペイン系の血が多少混じったメスティーソ(mestizo) かタガログ族の末裔であろう。タガログというのは、「暴風の後で湿地になる所」という意味から転じて、「水田耕作に適する平地に住む人々」という意味らし い。フィリピン人の酌婦(しゃくふ/水商売女)や裸踊りが英語らしからぬ妙な言葉を喋っているとき、それがタガログ語であったりする。だが、こんな原始的 未開人の言語では、近代西歐の学問はこなせないから、英語を使用するしかないのである。
ちょっとした見た目は、支那人とマレー人の混 血みたいなフィリピン人女には、黒褐色の南洋土人の劣勢遺伝子が潜んでいる場合がある。フィリピン人を語るとき、鼻がつぶれてペチャンコのフィリピン顔ば かりを日本人は口にするが、南洋黒人の血統が脈打っていることに言及しない。オーストラリアで見かける黒いアボリジニと同じ種類の未開人がヒィリピン土人 なのである。こうしたことを認識しない日本人男性は、酒場で交際したフィリピン女と結婚して、生まれた子供を見て眉をひそめてしまうことがある。実家の両 親も気持ちが沈んでしまうのだ。肌が何となく暗い黄土色で鼻がつぶれて、髪の毛がやや縮れているからである。つい可愛い子供の将来を案じてしまうのだ。
生まれた子が女の子なら年頃になると、直毛の長い髪に憧れるかもしれない。櫛で髪をすくのが大変で、洗髪をしたら乾かすのにひと苦労となる。ジャマイカ の小さなレゲエ・ミュージシャンみたいな姿を、友人からからかわれるかもしれない。渾名も単に「フィリピン」君とか、「クロ」ちゃんとかになりそうだ。男 なら坊主頭でも良かろうが、女の子だと丸刈りとはいくまい。フィリピン人の女と簡単にセックスする日本人男はよく考えろ。世間の子供は容赦なく残酷だぞ。 親は日比混血児を一生面倒みるわけにはいかぬのだ。子供が怒りと怨みを無責任な親ではなく、イジメる日本社会に向けたら、誰が責任を取るのか。予見でき回 避できる危険性は避けるべし。
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インド人は雇いたくない
最近の日本は驚くほどアジア移民が増えた。支那人・朝鮮人はもちろんのこと、ビルマ人・タイ人・パキスタン人・インド人などの浅黒い移民が目立つのだ。 特に経済発展を遂げたインドには、日本人の注目が集まる。IT企業なども優秀な人材をインドで求めているから、何となくインドに対するイメージが良い。イ ンドは人口が多いし核武装もしているから、大国になる可能性(potential)をもっているのかもしれない。日本にとっては共産支那を背後から攻撃す る戦略的同盟国にすべきだろう。
しかし、インド人が日本に移住して国籍を取るのは邪魔したくなる。インド人はあまりにも異質だし、そ ばに近寄りたくない。繊細で上品な日本人から見れば、インド人は異次元の隙間からはみ出た動物みたいだ。多民族・多文化主義を簡単に受け入れようとする日 本人には反省を促したい。
なぜ、こんなことを提言するかと言えば、外国の慣習や風習を日本人は軽く考えすぎるからだ。来日したアジア 人に警戒心がなく、異文化との摩擦を予測しないからである。インドの慣習にはどうしても嫌悪を覚えてしまうことがある。左手は不浄であり、手づかみでライ スを食べるとき、右手だけでつまむことはよく知られていよう。インド人は排便したときに左手で肛門を洗うからだ。これを非難しているのではない。彼らが長 年してきた慣習を止めるべし、というのではなく、我々日本人はインド人の文化を尊重しながら共存はできぬ、と言いたいのである。大学で多民族・多文化主義 を吹聴されて、外国人を温かく迎え入れましょう、といった授業を鵜呑みにしている若者がよく居るからだ。暇つぶしの学校で習ったことが、世間で通用すると 考える低能学生が意外と多い。民族・人種を基にした差別はいけません、と言われて自己検閲を行う「うぶな」大学生が存在するのである。日本に害を及ぼす外 国人は排除すべきである。
たとえば、インド人が日本に留学してきたりして、帰化して日本国民になったとしよう。日本が気に入ったイン ド人が寿司職人になりたいと思い、銀座や赤坂の高級寿司店に弟子入りしたいと申し出たらどうなるのか。日本人なら、我が国の文化を高く評価してくれるイン ド人に悪い感情を持たないだろう。しかし、寿司屋の主人は困ってしまうだろう。そのインド人が大便ごとに肛門を左手で洗っていることが問題となる。止め ろ、と命令することは簡単である。だが、それはインド人の伝統的風習・文化を否定することになる。多文化主義では外国の文化を尊重せねばならない。日本人 の基準で外国人の慣習や価値観を否定してはならないからだ。
でも、寿司屋の主人だって本音では断りたい。いくら毎回便所で左手を洗っ ているからといっても、お客さんは嫌がる。インド人観光客ならインド人寿司職人を見て、「あいつの握った寿司は絶対に食わない」とか「あいつは下層階級出 身者じゃないか。しかも、左手でシャリを握っているじゃないか。不浄だ」と言って寿司屋の主人に文句が言える。怒って店を出て行っても何ら非はない、イン ド人なら。しかし、同じ言葉を日本人客が吐いたら大問題である。日本文化では左手は不浄ではないし、インドのカースト制と同じ身分差別はない。したがっ て、日本人客は、うんこを拭いた手で握る寿司を我慢して食べるか、黙って店を去るかのどちらかしかない。不快な思いをした客は、二度とその店に来ないから 店主は得意客を失ってしまうだろう。
民族差別をしないでインド人を雇ったら、店が傾いて潰れてしまう危険性が生じる。政府や学者は異 民族差別をせぬよう一般人に警告するが、現実にそぐわない行政指導は迷惑である。店で赤字が出たら誰も補填してくれないし、倒産したら誰も助けてくれない だろう。役所は個人責任です、といって冷たくあしらうことは目に見えている。いくらインド人が水できれいに手を洗っていると主張しても日本人の感覚が許さ ない。たとえば、犬の糞を毎回すくうスプーンを、カレー店で出したら客は激怒するだろう。いくら洗ったスプーンだと言ってもダメ。それと同じである。こん な話は非現実的でバカらしいと多くの者が笑うだろう。しかし、学校で子供に教えている多文化主義とは、そういった問題をぜんぜん想定していないのだ。現実 を記す教科書ではなく、書物に現実を無理矢理はめ込んでいるのである。
インド人看護婦の衛生観念
筆者がインド人への警戒感を表示したのは、インド人やその他のアジア人が簡単に彼らの慣習・文化を改めて日本に同化するなど有り得ないからである。歴史 書を繙(ひもと)けば分かるが、インド人は数千年も同じ暮らしを続けてきたのに、日本人が注意したくらいで自己の行動様式(ethos) を変えるはずがない。国が豊かになれば外国人も日本人と同じくなる、とった考えは幻想である。こんなことを言うのも、1970年代後半にインドの支店に駐 在したことのある中村研二著『住んでみたインド』(サイマル出版会 1982年)を思い出したからである。
日本航空の社員だった中村 氏は、インドのデリー支社に派遣され、3年間かの地で最高責任者として駐在することになった。インドという国は日本人にとっては辛い場所で、夏に冷房をつ けても暑くて眠れないし、街は汚くて臭い。国全体が病原菌の保管庫みたいな所である。中村氏も街中に出ると生暖かい風と共に渡ってくる独特な「インドの臭 い」には参ったという。インドの路上を貧しい下層階級の女が水牛の後にくっついて、その脱糞を丸平鍋で掬ったり拾ったりするのを見かけたのだ。このように して集めた牛糞を、手のひらで器用に捏ねて、丸い餅状にする。こうして作ったウンコ・ケーキ(dung cake) に自分の印を押捺して、日向に並べて乾燥させるのである。これが一番廉価な燃料である。(p.8)
この便利な固形燃料を使って庶民 は、チャパティ(フライパンで焼いたパンのような食べ物)を焼くのである。この乾かした牛糞の臭いが、インド独特の空気となって町中を駆けめぐるのであ る。ヒンドゥー教徒は畏敬をもって飼育する、神聖な牛が落とした糞は、神様からの贈り物みたいな物である。汚いなんて思わない。だが、日本人はこの牛糞の 「香り」を鼻腔に入れながら、チャパティを食べることには抵抗がある。
ここでちょっとインド人の性質に触れる。支那人や朝鮮人と違っ て日本人には几帳面で真面目な人物が多い。中村氏のように支店長に抜擢される人は、責任感を人一倍強く感じるだろう。しかし、インドの庶民ときたら、仕事 がいいかげんで雑なのだ。ある時、中村氏はトイレのフラッシュ・タンクか壊れたので修理工を頼んだが、その職人は一向に来ない。業を煮やして再三催促して やっと来たら、今度は部品が必要だが取り寄せるのに日にちを要すると言う。「2、3日かかります」と言えば最低一週間はかかるし、「約一週間かかるでしょ う」と答えるときは最低二週間は覚悟が必要になる。修理の手際も悪いし、技術が低い。雑な仕事に思えた、と中村氏は語る。修理完了と言われて使ってみる と、タンクから僅かな水漏れが生じる。中村氏が、インド人を呼びつけてその欠陥修理を見せると、「このくらいの水漏れなら、あふれ出す実害がないから、 ノー・プロブレム」だとぬかす。中村氏は言う「インド人がよく使うこの“ノー・プロブレム”という言葉ほどプロブレム(問題)の多いことはないのだ。」 (p.21) 怒った中村氏が、この漏れた水の料金を肩代わりしてくれるのなら、そのまま直さずともよい、と言うと、そのインド人はどうにかして直したら しい。これが給料を貰って働く熟練工だったのだから呆れてしまったのである。
話を元に戻そう。インド人と日本人の衛生観念はまるっき り違うのだ。彼らは「清潔」であるよりも「清浄」であればよいのかもしれぬ。インド人は用便の後始末を手と水で行い、サリーの端で拭いてしまえばよい。人 間の屍体や動物の死骸と共にゴミが浮いている「母なるガンジス河」で水浴して、体を清潔に保つことしか知らない「衛生観念」の持ち主と、バス・クリンを湯 船に入れて半身浴したり、高級シャンプーで入念に髪を洗う日本人とでは雲泥の差がある。中村氏はインド人の衛生観念についてあるエピソードを紹介してい る。
中村氏と同じアパートに住む日本大使館の参事官が扁桃腺を腫らしたので、インド人医師のもとを訪れた。インド人医師は注射やル ゴールの塗布などはしないものらしく、看護婦にその作業を命じた。言いつけられた看護婦は綿棒にルゴールを含ませ、参事官に口を開けるよう求めた。その看 護婦が彼の口の中に綿棒を入れようとしたとき、彼は突然大声で「やめてくれ!」と叫び、右手で看護婦の持っていた綿棒を押し戻した。看護婦が綿棒を持った 手の爪のなかに、真っ黒な「爪垢」を目にしたからである。(p.42) 浅黒い肌の看護婦が見せた爪垢は、さぞかしその日本人参事官を震え上がらせたことであろう。
予防注射の際、列をなして並んでいる人々 に注射するのだが、一本の注射針で50人を刺すのである。しかも、その注射針をアルコールで拭くわけだが、そのれを含ませたガーゼの色がなんとも汚い。そ の参事官は不潔なガーゼを観て卒倒しそうだったという。この話を聞いた中村氏はただ愕然とするのみであった。普通のインド人より遙かに衛生観念が強いはず の医師や看護婦が、あんな不潔な診療状態で平気だったのだ。インド人は英国式の教育で医学を学んでいるはずである。それなのに、こんな杜撰な治療だとは。 彼らがインド人患者を軽視していたのではないか。西欧人なら違った対応をしたのかもしれない。
インドのカウ・ピス
日本ではカルピスが子供に好評である。英米人がこの商標を耳にすると「牛の小便(cow piss)」と勘違いするらしい。そんな馬鹿なことはないだろう、と日本人なら笑ってすませるだろう。しかし、インドでは冗談ではないのだ。インドではフ レッシュな牛の小便を飲むのである。嘘みたいな本当の話である。神聖な牛が放出する小便には何か御利益がありそうだ。ジャイラム・シグハル(Jairam Singhal) 氏は10年間も牛の小便を飲んできた。彼が語る。
俺は糖尿病を患っていたが、牛の小便を飲み出してから糖尿のレ ベルが下がったんだ。誰かが牛の小便は体にいいんだと教えてくれたのさ。俺は今じゃ、12年も牛を飼ってきたんだ。朝起きて最初にすることは牛の小便を飲 むことさ。 (Ben Burrows, Indian Hindu worshipers drink cow URINE in India to help prevent cancer, Mirror, January 13, 2014)
いまでは彼の元に多くの人々がやって来て牛の尿を飲むという。なかにはガンを患った人もいて、その御利益をもらいにくるそうだ。噂を聞きつけた人々は癌患者だけでなく、腫瘍をもった人、肺結核患者、胃弱体質の人などがいる。
こんな信仰が生まれたのも無理はない。インドではある団体がガウ・ジャル(Gau Jal) という牛の水を販売していたのである。ペプシやコカ・コーラよりヘルシーな飲料水といったところだ。牛の尿をベースにした飲料水が食料品店で公 然と販売されていたのである。( Dean Nelson, India makes cola from cow urine, UK Telegraph, 11th Februray 2009 ) 日本人ならエイプリル・フールの冗談記事と思ってしまうだろう。文化の違いを軽視する日本人には、多文化主義社会で生きてゆくことなどできない。日本人だ けで幸せに暮らせばいいのに、なぜアジア人との共存を受け入れねばならぬのだ? アジアの中のニッポンとNHKや朝日新聞は口にするが、自分たちは牛の小 便を毎朝飲むことができるのか? 彼らはインド文化は尊重するが、自分は日本文化で生活すると弁解するだろう。しかし、普通の日本人が、隣で牛の尿を飲まれたら不愉快だ。お昼に弁当を食べ ている日本人の隣でインド人が牛の尿をコップに注いだらどう思うのか。ビールとは思わないぞ。自分たちができぬ事を他の国民に宣伝するのは罪じゃないか? まづ彼らの重役が模範を示してから言って貰いたい。
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最近の日本は驚くほどアジア移民が増えた。支那人・朝鮮人はもちろんのこと、ビルマ人・タイ人・パキスタン人・インド人などの浅黒い移民が目立つのだ。 特に経済発展を遂げたインドには、日本人の注目が集まる。IT企業なども優秀な人材をインドで求めているから、何となくインドに対するイメージが良い。イ ンドは人口が多いし核武装もしているから、大国になる可能性(potential)をもっているのかもしれない。日本にとっては共産支那を背後から攻撃す る戦略的同盟国にすべきだろう。
しかし、インド人が日本に移住して国籍を取るのは邪魔したくなる。インド人はあまりにも異質だし、そ ばに近寄りたくない。繊細で上品な日本人から見れば、インド人は異次元の隙間からはみ出た動物みたいだ。多民族・多文化主義を簡単に受け入れようとする日 本人には反省を促したい。
なぜ、こんなことを提言するかと言えば、外国の慣習や風習を日本人は軽く考えすぎるからだ。来日したアジア 人に警戒心がなく、異文化との摩擦を予測しないからである。インドの慣習にはどうしても嫌悪を覚えてしまうことがある。左手は不浄であり、手づかみでライ スを食べるとき、右手だけでつまむことはよく知られていよう。インド人は排便したときに左手で肛門を洗うからだ。これを非難しているのではない。彼らが長 年してきた慣習を止めるべし、というのではなく、我々日本人はインド人の文化を尊重しながら共存はできぬ、と言いたいのである。大学で多民族・多文化主義 を吹聴されて、外国人を温かく迎え入れましょう、といった授業を鵜呑みにしている若者がよく居るからだ。暇つぶしの学校で習ったことが、世間で通用すると 考える低能学生が意外と多い。民族・人種を基にした差別はいけません、と言われて自己検閲を行う「うぶな」大学生が存在するのである。日本に害を及ぼす外 国人は排除すべきである。
たとえば、インド人が日本に留学してきたりして、帰化して日本国民になったとしよう。日本が気に入ったイン ド人が寿司職人になりたいと思い、銀座や赤坂の高級寿司店に弟子入りしたいと申し出たらどうなるのか。日本人なら、我が国の文化を高く評価してくれるイン ド人に悪い感情を持たないだろう。しかし、寿司屋の主人は困ってしまうだろう。そのインド人が大便ごとに肛門を左手で洗っていることが問題となる。止め ろ、と命令することは簡単である。だが、それはインド人の伝統的風習・文化を否定することになる。多文化主義では外国の文化を尊重せねばならない。日本人 の基準で外国人の慣習や価値観を否定してはならないからだ。
でも、寿司屋の主人だって本音では断りたい。いくら毎回便所で左手を洗っ ているからといっても、お客さんは嫌がる。インド人観光客ならインド人寿司職人を見て、「あいつの握った寿司は絶対に食わない」とか「あいつは下層階級出 身者じゃないか。しかも、左手でシャリを握っているじゃないか。不浄だ」と言って寿司屋の主人に文句が言える。怒って店を出て行っても何ら非はない、イン ド人なら。しかし、同じ言葉を日本人客が吐いたら大問題である。日本文化では左手は不浄ではないし、インドのカースト制と同じ身分差別はない。したがっ て、日本人客は、うんこを拭いた手で握る寿司を我慢して食べるか、黙って店を去るかのどちらかしかない。不快な思いをした客は、二度とその店に来ないから 店主は得意客を失ってしまうだろう。
民族差別をしないでインド人を雇ったら、店が傾いて潰れてしまう危険性が生じる。政府や学者は異 民族差別をせぬよう一般人に警告するが、現実にそぐわない行政指導は迷惑である。店で赤字が出たら誰も補填してくれないし、倒産したら誰も助けてくれない だろう。役所は個人責任です、といって冷たくあしらうことは目に見えている。いくらインド人が水できれいに手を洗っていると主張しても日本人の感覚が許さ ない。たとえば、犬の糞を毎回すくうスプーンを、カレー店で出したら客は激怒するだろう。いくら洗ったスプーンだと言ってもダメ。それと同じである。こん な話は非現実的でバカらしいと多くの者が笑うだろう。しかし、学校で子供に教えている多文化主義とは、そういった問題をぜんぜん想定していないのだ。現実 を記す教科書ではなく、書物に現実を無理矢理はめ込んでいるのである。
インド人看護婦の衛生観念
筆者がインド人への警戒感を表示したのは、インド人やその他のアジア人が簡単に彼らの慣習・文化を改めて日本に同化するなど有り得ないからである。歴史 書を繙(ひもと)けば分かるが、インド人は数千年も同じ暮らしを続けてきたのに、日本人が注意したくらいで自己の行動様式(ethos) を変えるはずがない。国が豊かになれば外国人も日本人と同じくなる、とった考えは幻想である。こんなことを言うのも、1970年代後半にインドの支店に駐 在したことのある中村研二著『住んでみたインド』(サイマル出版会 1982年)を思い出したからである。
日本航空の社員だった中村 氏は、インドのデリー支社に派遣され、3年間かの地で最高責任者として駐在することになった。インドという国は日本人にとっては辛い場所で、夏に冷房をつ けても暑くて眠れないし、街は汚くて臭い。国全体が病原菌の保管庫みたいな所である。中村氏も街中に出ると生暖かい風と共に渡ってくる独特な「インドの臭 い」には参ったという。インドの路上を貧しい下層階級の女が水牛の後にくっついて、その脱糞を丸平鍋で掬ったり拾ったりするのを見かけたのだ。このように して集めた牛糞を、手のひらで器用に捏ねて、丸い餅状にする。こうして作ったウンコ・ケーキ(dung cake) に自分の印を押捺して、日向に並べて乾燥させるのである。これが一番廉価な燃料である。(p.8)
この便利な固形燃料を使って庶民 は、チャパティ(フライパンで焼いたパンのような食べ物)を焼くのである。この乾かした牛糞の臭いが、インド独特の空気となって町中を駆けめぐるのであ る。ヒンドゥー教徒は畏敬をもって飼育する、神聖な牛が落とした糞は、神様からの贈り物みたいな物である。汚いなんて思わない。だが、日本人はこの牛糞の 「香り」を鼻腔に入れながら、チャパティを食べることには抵抗がある。
ここでちょっとインド人の性質に触れる。支那人や朝鮮人と違っ て日本人には几帳面で真面目な人物が多い。中村氏のように支店長に抜擢される人は、責任感を人一倍強く感じるだろう。しかし、インドの庶民ときたら、仕事 がいいかげんで雑なのだ。ある時、中村氏はトイレのフラッシュ・タンクか壊れたので修理工を頼んだが、その職人は一向に来ない。業を煮やして再三催促して やっと来たら、今度は部品が必要だが取り寄せるのに日にちを要すると言う。「2、3日かかります」と言えば最低一週間はかかるし、「約一週間かかるでしょ う」と答えるときは最低二週間は覚悟が必要になる。修理の手際も悪いし、技術が低い。雑な仕事に思えた、と中村氏は語る。修理完了と言われて使ってみる と、タンクから僅かな水漏れが生じる。中村氏が、インド人を呼びつけてその欠陥修理を見せると、「このくらいの水漏れなら、あふれ出す実害がないから、 ノー・プロブレム」だとぬかす。中村氏は言う「インド人がよく使うこの“ノー・プロブレム”という言葉ほどプロブレム(問題)の多いことはないのだ。」 (p.21) 怒った中村氏が、この漏れた水の料金を肩代わりしてくれるのなら、そのまま直さずともよい、と言うと、そのインド人はどうにかして直したら しい。これが給料を貰って働く熟練工だったのだから呆れてしまったのである。
話を元に戻そう。インド人と日本人の衛生観念はまるっき り違うのだ。彼らは「清潔」であるよりも「清浄」であればよいのかもしれぬ。インド人は用便の後始末を手と水で行い、サリーの端で拭いてしまえばよい。人 間の屍体や動物の死骸と共にゴミが浮いている「母なるガンジス河」で水浴して、体を清潔に保つことしか知らない「衛生観念」の持ち主と、バス・クリンを湯 船に入れて半身浴したり、高級シャンプーで入念に髪を洗う日本人とでは雲泥の差がある。中村氏はインド人の衛生観念についてあるエピソードを紹介してい る。
中村氏と同じアパートに住む日本大使館の参事官が扁桃腺を腫らしたので、インド人医師のもとを訪れた。インド人医師は注射やル ゴールの塗布などはしないものらしく、看護婦にその作業を命じた。言いつけられた看護婦は綿棒にルゴールを含ませ、参事官に口を開けるよう求めた。その看 護婦が彼の口の中に綿棒を入れようとしたとき、彼は突然大声で「やめてくれ!」と叫び、右手で看護婦の持っていた綿棒を押し戻した。看護婦が綿棒を持った 手の爪のなかに、真っ黒な「爪垢」を目にしたからである。(p.42) 浅黒い肌の看護婦が見せた爪垢は、さぞかしその日本人参事官を震え上がらせたことであろう。
予防注射の際、列をなして並んでいる人々 に注射するのだが、一本の注射針で50人を刺すのである。しかも、その注射針をアルコールで拭くわけだが、そのれを含ませたガーゼの色がなんとも汚い。そ の参事官は不潔なガーゼを観て卒倒しそうだったという。この話を聞いた中村氏はただ愕然とするのみであった。普通のインド人より遙かに衛生観念が強いはず の医師や看護婦が、あんな不潔な診療状態で平気だったのだ。インド人は英国式の教育で医学を学んでいるはずである。それなのに、こんな杜撰な治療だとは。 彼らがインド人患者を軽視していたのではないか。西欧人なら違った対応をしたのかもしれない。
インドのカウ・ピス
日本ではカルピスが子供に好評である。英米人がこの商標を耳にすると「牛の小便(cow piss)」と勘違いするらしい。そんな馬鹿なことはないだろう、と日本人なら笑ってすませるだろう。しかし、インドでは冗談ではないのだ。インドではフ レッシュな牛の小便を飲むのである。嘘みたいな本当の話である。神聖な牛が放出する小便には何か御利益がありそうだ。ジャイラム・シグハル(Jairam Singhal) 氏は10年間も牛の小便を飲んできた。彼が語る。
俺は糖尿病を患っていたが、牛の小便を飲み出してから糖尿のレ ベルが下がったんだ。誰かが牛の小便は体にいいんだと教えてくれたのさ。俺は今じゃ、12年も牛を飼ってきたんだ。朝起きて最初にすることは牛の小便を飲 むことさ。 (Ben Burrows, Indian Hindu worshipers drink cow URINE in India to help prevent cancer, Mirror, January 13, 2014)
いまでは彼の元に多くの人々がやって来て牛の尿を飲むという。なかにはガンを患った人もいて、その御利益をもらいにくるそうだ。噂を聞きつけた人々は癌患者だけでなく、腫瘍をもった人、肺結核患者、胃弱体質の人などがいる。
こんな信仰が生まれたのも無理はない。インドではある団体がガウ・ジャル(Gau Jal) という牛の水を販売していたのである。ペプシやコカ・コーラよりヘルシーな飲料水といったところだ。牛の尿をベースにした飲料水が食料品店で公 然と販売されていたのである。( Dean Nelson, India makes cola from cow urine, UK Telegraph, 11th Februray 2009 ) 日本人ならエイプリル・フールの冗談記事と思ってしまうだろう。文化の違いを軽視する日本人には、多文化主義社会で生きてゆくことなどできない。日本人だ けで幸せに暮らせばいいのに、なぜアジア人との共存を受け入れねばならぬのだ? アジアの中のニッポンとNHKや朝日新聞は口にするが、自分たちは牛の小 便を毎朝飲むことができるのか? 彼らはインド文化は尊重するが、自分は日本文化で生活すると弁解するだろう。しかし、普通の日本人が、隣で牛の尿を飲まれたら不愉快だ。お昼に弁当を食べ ている日本人の隣でインド人が牛の尿をコップに注いだらどう思うのか。ビールとは思わないぞ。自分たちができぬ事を他の国民に宣伝するのは罪じゃないか? まづ彼らの重役が模範を示してから言って貰いたい。
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お花畑でまどろむ日本人
日 本人は本当にプロパガンダに弱い。外国人が刀や鉄砲で襲ってくれば、敢然と立ち向かうのに、情報戦や謀略戦となると、てんでダメ。話にならない。人のいい 日本人は詐欺師にとって絶好の標的だ。鴨がネギ背負ってやって来るようなもの。昔は紙芝居で、今はテレビがプロパガンダの手段。大学では「国際関係学科」 だの「国際政治学部」などを設置して、世界で活躍できる国際人の育成を計ると謳っている。陰謀渦巻く熾烈な世界に、脳天気な学校秀才が飛び込んで、いった い何が出来るのか。欧米では軍事学や地政学が必須科目なのに、平和憲法を掲げる日本人には必要なしときている。パレスチナと違って、日本のキャンパスには ロケット弾が降ってこないから、リアリティーが沸かないのだろう。
小泉政権で少子化担当大臣に任命された猪口邦子を覚えているだろうか。あの工事現場のブルー・シートみたいなドレスを着て、内閣発足の記念写真におさまっ た、老けたお嬢さん大臣だ。彼女はかつて上智大学で教授を務め、専門は国際関係論だった。後に国連の軍縮会議で、日本代表の特認全権大使に就いていたので ある。イェール大学で論文を上手に書けてアメリカ人に褒めてもらったから、外国の軍人が自分のお願いを聞いてくれると思っていたのだ。核兵器を保有する大 国や通常兵器で血みどろの激闘をしている外国人が、丸腰の女の戯言を聞くわけないだろう。口が達者なだけのオバはんが、ドスの効いた軍人相手に何ができる のか。子犬みたいに「キャン」と吠える事しかできまい。少子化担当大臣になってした事は、お見合いコンパの提唱だった。あ~あ。試験秀才の考えることは違 うねぇ。座布団一枚あげたくなる。こんな年増の小娘、ドラえもんみたいなオバタリアン、猪口に給料が出ていたのである。まったく、税金の無駄遣いは各所で 行われているのだ。
話が逸れたから元にもどす。日本や欧米の先進国は民衆政体(democracy)をとる大衆社会である。国民がそ れぞれ一票を有し、政治家を選ぶ。ゆえに大衆の頭を支配すれば、権力が手に入る。烏合(うごう)の衆たる国民は自分たちが独自の意思で選択したと思い込ん でいるから、積極的に命令に服する。先進国の行政組織が能動的で、軍隊が強い所以である。支配層を形成する少数エリートは、国民の思考経路、つまり脳味噌 に手を突っ込んで神経を握るのだ。そうすると本人が知らぬ間に手足が動いている。操作していることに気づかれずに、他人を遠隔操作しているのである。
たが、大衆に難しい教義や思想を押しつけるわけには行かない。無理矢理は逆効果。子供に粉薬を飲ませようとしたって、苦いから子供は直ぐに吐きだしてし まう。「良薬口に苦し」と諭したってムダ。プリンかシロップに混ぜて、デザートとして食べさせる方が楽である。大衆なんか幼稚園児くらいの頭しかもたな い。だから、大衆にはミヤネ屋とか池上彰、関口宏、古舘伊知郎くらいが丁度いいと、テレビ局制作者は思っている。NHKで小学生相手にニュースを説明して いた池上が、民放で大人相手に同じ姿勢で解説しているのだ。まともな大人なら「馬鹿にするな」と怒鳴るだろう。
ちょっと教養のある国 民は「こんなこと分かり切った話だ」と言うだろうが、彼らが外国メディアの舞台裏を研究しているだろうか。日本のメディアは、アメリカから垂れ流される ニュースや解説を和訳しているのが現状だろう。ワシントン特派員だなんていっても、現地の新聞、テレビ討論番組を観たくらいで記事を書いているのだ。元 NHKの日高義樹どは、下手な英語を自慢したいだけで、テレビ東京で番組を持たせて貰ったのである。「ヘンリー・キッシンジャー博士に聞く」というレギュ ラー番組では、ただキッシンジャーの喋ることに頷いて聞くだけだった。「それはごもっとも」と応じるだけのインタヴューなら、若くて可愛い女子アナの方が よっぽどいい。英語の文法を間違えて喋るくらいなら、通訳をつけて厳しい質問のインタヴューをしたほうがよい。テレビ局に雇われているような日本人ジャー ナリストに優秀な奴はいないのだ。
毎日新聞やテレビを観ている日本人は、それらを誰がどんな意図で作っているのか、気にしないし学校 でも一切教えないのだ。支那産野菜で作った輸入漬け物など、重金属汚染がひどく、食べ続けると脳や内臓に障碍が出ることは、最近よく知られるようになっ た。しかし、マス・メディアについてはまだまだ。毎日観ているテレビ番組の解説が、精神や思考にどれだけ有害なのか、そのおぞましい裏側を気にしないので ある。
大衆を操作するときは、絵本で教えることが肝心。一般有権者は社会問題や外政方針を知るために、300ないし400ページの学 術書など読まない。せいぜい新聞か週刊誌から情報を得るくらいである。日本なら『東京スポーツ』か『フライデー』、『女性自身』といったところかな。裏世 界の権力者が大衆操作に用いるのは、やはりテレビ・ドラマや映画である。なぜか? 魅力的な映像作品は、大衆が積極的に、つまり自ら進んで銭を払って観る からだ。大衆は自主的に見たものに影響されるのである。金日成やスターリンのような独裁者が押しつける意見を、大衆は鵜呑みにしない。説得は強制できな い。嫌々ながら受け入れた思想は、すぐに捨てられてしまうからだ。
西歐世界では民衆政治が第18世紀のフランス革命により勃興したので、大衆に関する研究が進んでいた。たとえば、高名な心理学者のギュスターヴ・ル・ボン による大衆研究は日本でもよく知られている。彼の『群集心理』 ( Gustave Le Bon 櫻井成夫 訳 講談社学術文庫1993 )は、大衆心理を研究した名著である。
ル・ボン曰く、群衆は刺激に翻弄されやすく、いったん受けた衝撃の奴隷になってしまう。単独の 個人は刺戟(しげき)を受けても、不都合なことを理性で悟ることがある。しかし、群衆はこの制禦能力を欠いている。群衆は刺戟次第で寛大にも残酷にも、勇 壮にも臆病にもなる。(p. 41) 群衆はあらかじめ計画や思想をもって行動せず、刺戟に左右されて矛盾した行動をとる。群衆は昂奮しやすく、衝動的で動揺しやすい。(p.43) そして群衆は暗示を受けやすく、暗示の感染を受けて頭脳が反応し、感情の転換を起こしてしまう。理性的に考えることはないから、荒唐無稽な伝説や説話を飲 み込んで不思議に感じない。
ル・ボンの考察は卓越しているが、詳細を述べているとキリがないから、このくらいにしておく。
そろそろ本題に入る。アメリカ人の脳味噌を作り替えるにはTVドラマや映画がいい。アメリカの一般人など本当に無知である。日本についての知識なんか 「スシ、アニメ、ゲイシャ」止まり。ましてや、中東アジアの歴史とか勢力図など興味もないから、異星人の紛争くらいにしか思っていないのだ。
ひと昔前、第一次湾岸戦争の時、ジョージ・H.W.ブッシュ(「ポピー」という渾名がある)大統領には、ジョン・スヌヌ(John H. Sununu)という元ニュー・ハンプシャー州知事のホワイト・ハウス首席補佐官がいた。パレスチナ出身の家系でハバナ生まれのスヌヌは、大統領と執務室 で湾岸戦争の議論中に「バグダッドて、どこだ?」と真顔で質問したという。元ザパタ・オイルのビジネスマンだったブッシュはさぞかし驚いただろう。イラク のバグダッドをどこか知らない補佐官なんて。アメリカ人は一般的に地理が苦手で、知っている外国はカナダとメキシコである。日本は南半球か支那大陸のどこ かだと思っているくらいだ。普通のアメリカ人にとって、初めてのの外国旅行が、所属部隊での派遣先、中東紛争地帯という、笑えぬ話があるくらいだ。
知識人はあまり言いたがらないが、アメリカではイスラエルの政治力が絶大でてあることは、隠しようもない事実である。米国の政治・経済・文化・芸術・学 問はもちろん、テレビ・メディアや映画産業もユダヤ人に支配されている。まるで合衆国がイスラエルの衛星国になったみたいだ。ここのところが、日本人には よく理解されていない。外見でユダヤ系アメリカ人と西欧系アメリカ人の区別がつかないからだ。ちょうど、イギリス人やフランス人が日系日本人と在日朝鮮人 と帰化支那人の区別がつかないのと似ている。日本人は支那人や朝鮮人と一緒にされると怒るが、西欧人には皆同じに見えるし、日本語を話しているから同類と 考えてしまう。
このユダヤ人が支配するテレビ・映画界は、イスラエルとアメリカ・ユダヤ社会の利益を陰で支援しているのである。普段 なにげなく観ているテレビ・ドラマが実は洗脳番組であったりするのだ。日本の大学には「アメリカ政治学原論」ゼミや「アメリカ・メディア」講座があるが、 テレビ局の生々しい舞台裏やタブーを解説する授業はいない。筆者は学者が気づかぬ点を述べたい。
つづく。
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日 本人は本当にプロパガンダに弱い。外国人が刀や鉄砲で襲ってくれば、敢然と立ち向かうのに、情報戦や謀略戦となると、てんでダメ。話にならない。人のいい 日本人は詐欺師にとって絶好の標的だ。鴨がネギ背負ってやって来るようなもの。昔は紙芝居で、今はテレビがプロパガンダの手段。大学では「国際関係学科」 だの「国際政治学部」などを設置して、世界で活躍できる国際人の育成を計ると謳っている。陰謀渦巻く熾烈な世界に、脳天気な学校秀才が飛び込んで、いった い何が出来るのか。欧米では軍事学や地政学が必須科目なのに、平和憲法を掲げる日本人には必要なしときている。パレスチナと違って、日本のキャンパスには ロケット弾が降ってこないから、リアリティーが沸かないのだろう。
小泉政権で少子化担当大臣に任命された猪口邦子を覚えているだろうか。あの工事現場のブルー・シートみたいなドレスを着て、内閣発足の記念写真におさまっ た、老けたお嬢さん大臣だ。彼女はかつて上智大学で教授を務め、専門は国際関係論だった。後に国連の軍縮会議で、日本代表の特認全権大使に就いていたので ある。イェール大学で論文を上手に書けてアメリカ人に褒めてもらったから、外国の軍人が自分のお願いを聞いてくれると思っていたのだ。核兵器を保有する大 国や通常兵器で血みどろの激闘をしている外国人が、丸腰の女の戯言を聞くわけないだろう。口が達者なだけのオバはんが、ドスの効いた軍人相手に何ができる のか。子犬みたいに「キャン」と吠える事しかできまい。少子化担当大臣になってした事は、お見合いコンパの提唱だった。あ~あ。試験秀才の考えることは違 うねぇ。座布団一枚あげたくなる。こんな年増の小娘、ドラえもんみたいなオバタリアン、猪口に給料が出ていたのである。まったく、税金の無駄遣いは各所で 行われているのだ。
話が逸れたから元にもどす。日本や欧米の先進国は民衆政体(democracy)をとる大衆社会である。国民がそ れぞれ一票を有し、政治家を選ぶ。ゆえに大衆の頭を支配すれば、権力が手に入る。烏合(うごう)の衆たる国民は自分たちが独自の意思で選択したと思い込ん でいるから、積極的に命令に服する。先進国の行政組織が能動的で、軍隊が強い所以である。支配層を形成する少数エリートは、国民の思考経路、つまり脳味噌 に手を突っ込んで神経を握るのだ。そうすると本人が知らぬ間に手足が動いている。操作していることに気づかれずに、他人を遠隔操作しているのである。
たが、大衆に難しい教義や思想を押しつけるわけには行かない。無理矢理は逆効果。子供に粉薬を飲ませようとしたって、苦いから子供は直ぐに吐きだしてし まう。「良薬口に苦し」と諭したってムダ。プリンかシロップに混ぜて、デザートとして食べさせる方が楽である。大衆なんか幼稚園児くらいの頭しかもたな い。だから、大衆にはミヤネ屋とか池上彰、関口宏、古舘伊知郎くらいが丁度いいと、テレビ局制作者は思っている。NHKで小学生相手にニュースを説明して いた池上が、民放で大人相手に同じ姿勢で解説しているのだ。まともな大人なら「馬鹿にするな」と怒鳴るだろう。
ちょっと教養のある国 民は「こんなこと分かり切った話だ」と言うだろうが、彼らが外国メディアの舞台裏を研究しているだろうか。日本のメディアは、アメリカから垂れ流される ニュースや解説を和訳しているのが現状だろう。ワシントン特派員だなんていっても、現地の新聞、テレビ討論番組を観たくらいで記事を書いているのだ。元 NHKの日高義樹どは、下手な英語を自慢したいだけで、テレビ東京で番組を持たせて貰ったのである。「ヘンリー・キッシンジャー博士に聞く」というレギュ ラー番組では、ただキッシンジャーの喋ることに頷いて聞くだけだった。「それはごもっとも」と応じるだけのインタヴューなら、若くて可愛い女子アナの方が よっぽどいい。英語の文法を間違えて喋るくらいなら、通訳をつけて厳しい質問のインタヴューをしたほうがよい。テレビ局に雇われているような日本人ジャー ナリストに優秀な奴はいないのだ。
毎日新聞やテレビを観ている日本人は、それらを誰がどんな意図で作っているのか、気にしないし学校 でも一切教えないのだ。支那産野菜で作った輸入漬け物など、重金属汚染がひどく、食べ続けると脳や内臓に障碍が出ることは、最近よく知られるようになっ た。しかし、マス・メディアについてはまだまだ。毎日観ているテレビ番組の解説が、精神や思考にどれだけ有害なのか、そのおぞましい裏側を気にしないので ある。
大衆を操作するときは、絵本で教えることが肝心。一般有権者は社会問題や外政方針を知るために、300ないし400ページの学 術書など読まない。せいぜい新聞か週刊誌から情報を得るくらいである。日本なら『東京スポーツ』か『フライデー』、『女性自身』といったところかな。裏世 界の権力者が大衆操作に用いるのは、やはりテレビ・ドラマや映画である。なぜか? 魅力的な映像作品は、大衆が積極的に、つまり自ら進んで銭を払って観る からだ。大衆は自主的に見たものに影響されるのである。金日成やスターリンのような独裁者が押しつける意見を、大衆は鵜呑みにしない。説得は強制できな い。嫌々ながら受け入れた思想は、すぐに捨てられてしまうからだ。
西歐世界では民衆政治が第18世紀のフランス革命により勃興したので、大衆に関する研究が進んでいた。たとえば、高名な心理学者のギュスターヴ・ル・ボン による大衆研究は日本でもよく知られている。彼の『群集心理』 ( Gustave Le Bon 櫻井成夫 訳 講談社学術文庫1993 )は、大衆心理を研究した名著である。
ル・ボン曰く、群衆は刺激に翻弄されやすく、いったん受けた衝撃の奴隷になってしまう。単独の 個人は刺戟(しげき)を受けても、不都合なことを理性で悟ることがある。しかし、群衆はこの制禦能力を欠いている。群衆は刺戟次第で寛大にも残酷にも、勇 壮にも臆病にもなる。(p. 41) 群衆はあらかじめ計画や思想をもって行動せず、刺戟に左右されて矛盾した行動をとる。群衆は昂奮しやすく、衝動的で動揺しやすい。(p.43) そして群衆は暗示を受けやすく、暗示の感染を受けて頭脳が反応し、感情の転換を起こしてしまう。理性的に考えることはないから、荒唐無稽な伝説や説話を飲 み込んで不思議に感じない。
ル・ボンの考察は卓越しているが、詳細を述べているとキリがないから、このくらいにしておく。
そろそろ本題に入る。アメリカ人の脳味噌を作り替えるにはTVドラマや映画がいい。アメリカの一般人など本当に無知である。日本についての知識なんか 「スシ、アニメ、ゲイシャ」止まり。ましてや、中東アジアの歴史とか勢力図など興味もないから、異星人の紛争くらいにしか思っていないのだ。
ひと昔前、第一次湾岸戦争の時、ジョージ・H.W.ブッシュ(「ポピー」という渾名がある)大統領には、ジョン・スヌヌ(John H. Sununu)という元ニュー・ハンプシャー州知事のホワイト・ハウス首席補佐官がいた。パレスチナ出身の家系でハバナ生まれのスヌヌは、大統領と執務室 で湾岸戦争の議論中に「バグダッドて、どこだ?」と真顔で質問したという。元ザパタ・オイルのビジネスマンだったブッシュはさぞかし驚いただろう。イラク のバグダッドをどこか知らない補佐官なんて。アメリカ人は一般的に地理が苦手で、知っている外国はカナダとメキシコである。日本は南半球か支那大陸のどこ かだと思っているくらいだ。普通のアメリカ人にとって、初めてのの外国旅行が、所属部隊での派遣先、中東紛争地帯という、笑えぬ話があるくらいだ。
知識人はあまり言いたがらないが、アメリカではイスラエルの政治力が絶大でてあることは、隠しようもない事実である。米国の政治・経済・文化・芸術・学 問はもちろん、テレビ・メディアや映画産業もユダヤ人に支配されている。まるで合衆国がイスラエルの衛星国になったみたいだ。ここのところが、日本人には よく理解されていない。外見でユダヤ系アメリカ人と西欧系アメリカ人の区別がつかないからだ。ちょうど、イギリス人やフランス人が日系日本人と在日朝鮮人 と帰化支那人の区別がつかないのと似ている。日本人は支那人や朝鮮人と一緒にされると怒るが、西欧人には皆同じに見えるし、日本語を話しているから同類と 考えてしまう。
このユダヤ人が支配するテレビ・映画界は、イスラエルとアメリカ・ユダヤ社会の利益を陰で支援しているのである。普段 なにげなく観ているテレビ・ドラマが実は洗脳番組であったりするのだ。日本の大学には「アメリカ政治学原論」ゼミや「アメリカ・メディア」講座があるが、 テレビ局の生々しい舞台裏やタブーを解説する授業はいない。筆者は学者が気づかぬ点を述べたい。
つづく。
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暴力が暴力を生む蟻地獄
シー ズン6で愛する妻タラを殺されたジャックスは復讐の鬼となる。日本ではまだ放送されていないので、ストーリーを少し振り返ってみる。サム・クローの裏ビジ ネスでいつも危険と隣り合わせの生活に嫌気がさしたタラは二人の子供アベルとトーマスを連れてどこか遠くの州に逃げてしまおうと計画する。警察しにクラブ にとって都合の悪い証拠を渡す代わりに、保護を受ける取引であった。しかし、タラはジャックスに見つかる。二人は話し合い、理解して仲直りをした。だが、 ここで運命の悪戯が起こる。
ジャクスの母ジェマは二人の孫をタラに奪われると勘違いし、激情に駆られてつい刃物を手にしてタラを殺 してしまうのだ。タラは殺される前、ジャクスと和解してヨリを戻したので、アベルとトーマスの孫はどこにも行かない。ジェマは祖母として孫を再び抱くこと ができたのに、タラとジャックスの復縁を知らなかったので、ついカッとなって殺してしまったのだ。更に悪いのは、殺人現場に警察署長エリが現れ、ジェマの 殺人を目撃してしまった。すると偶然居合わせたジュースがその署長を射殺してしまう。ジャックスとタラの復縁を知ったジェマは後悔の念で体が震えてしまう のだ。自分が犯した取り返しのつかない嫁殺しをジャックスに秘密にすることにした。そこでジュースは一緒になって秘密を守ろうとする。しかし、裏切り者の ジュースはクラブの仲間から追われる逃亡者となってしまう。ジェマも秘密を守るためジュースの逃亡を助ける。
一方、ジェマたちが殺人現場を後にしたところで、ジャックスはタラの惨殺死体を見つけるのだ。血まみれのタラを抱くジャックスの姿が痛々しい。せっかく まっとうな人生を送ろうと決意した矢先に、こんな残酷な結末を迎えるとは想像していなかった。号泣するジャックスが哀れでならない。復讐に燃えるジャック ス。愛する妻を殺されたジャックスは抜け殻となるも、タラを殺した者への復讐心で体がいきり立つ。
ジェ マという女はどうしてこんなにトラブルばかり起こすのか分からなくなる。ジェマは息子ジッャクスに、タラを殺したのは彼が昵懇にしていた支那マフィアのリ ンが雇っている部下の一人だ、という嘘を囁く。ジャックスは策略を用いてその支那人部下を捕まえてしまう。暗いキッチンでその支那人を縛り上げ、じっくり とリンチを加えながら殺してゆくジッャクス。支那人の体をナイフで刻んだら、その傷口に塩を入念に塗り込む。もがき苦しむ支那人を充分i痛めつけてから、 トドメの一撃を加えて殺してしまうのだ。復讐を終えたのに、荒寥(こうりょう)たる虚しさしか残らない。
最 愛のタラを殺されたジャックスは支那マフィアのヘンリー・リンと黒人ギャング組織のボスであるアウグスト・マーカスを一気に打倒しようと策略を練った。し かし、リンら支那人ギャングは、ジャックスが囲っている売春宿の女たちを鏖(みなごろし)にしてしまう。惨殺屍体の山を見て、ジャックスは呆然としてしま うのだ。そこで、ジャックスは支那人ギャングを騙して、まんまと罠にはめたのだが、リンを殺す前に警察が彼らを逮捕してしまい、リンは刑務所に逃れること ができた。
問題は狡猾な黒人ボスのマーカスである。ジャックスらはマーカスが、ある教会を使って資金洗浄をしようとする情報を掴ん だ。その教会の牧師ジョナサン・ハデムはある依頼ですでにジャックスとクラブの者が殺していたのである。表は善人面の牧師が、裏では淫乱生活を送っていた ので、ジャックスらが射殺して屍体をもっていた。そうとは知らぬ牧師の妻レティシアと義理の息子グラントはジャックスに協力することになった。ジャックス は彼らがマークスに脅かされて、書類にサインを強要されたとの話をでっち上げる。そうして牧師の遺体をマーカスが所有する工事現場に埋めたのである。そう すれば警察の捜査が始まったとき、マーカスが牧師を殺して自分の所有地に隠したことになる。牧師の未亡人を恐喝したマークスは、遺体が発見され逮捕される という筋書きをジャックスはつくった。
ジャクスはレティシアとグラントをクラブの隠れ家に避難させると、マーカスに対して遺体の写真 や強要された書類を見せつけて、彼を追いつめようとした。ところが、ジャックスはマーカスを甘く見ていた。前々からジャックスが陰謀を練る策士だと見抜い ていたマーカスは、ジャックスより一枚上手であった。( ここからはシーズン7第7話 「Greensleevs」を参照)
ジャック スがマーカスとの交渉を持ちかけたとき、マーカスはその交渉の場に現れなかった。じつは、マーカスの護衛部隊(security team) が既に、クルマを一人で運転していたクラブ・メンバーのボビーを拉致していたのだ。護衛部隊リーダーのモーゼスが、ジャックスとクラブ・メンバーが待つ会 談の場所に小包をもって現れた。そしてマーカスは来ないことを告げると、ジャックスらにその小包を手渡してその場を去ったのである。その包みをジャックス らが開けると、中には電子タブレットが入っており、その映像を再生した。
(左: ボビー)
クラブのメンバーらは画面に映し出されるボビーを目にした。捕まったボビーは縛り付けられ、右目をえぐられている。ボビーの地底から発せられるような呻 き声が響く。右目からは血が流れ、ボビーは地獄の苦しみを味わう。これではまた、オピーのリンチを見ているようなジャックス、チブス、ティグである。彼ら の心臓はちぎれそうだった。またもや仲間が残酷な目に逢ってしまったのだ。ジャックスは小包に入っていた小箱を開ける。するとボビーの摘出された眼球が 入っていたのである。愕然とするジャックス。彼はマーカスを甘く見ていた自分を責めた。自分の方が賢いと高をくくっていたのである。
マーカスの護衛隊を率いるモーゼスは傭兵部隊に所属していた元軍人で、拷問には馴れていた。ジャックスとの交渉には応じない。牧師の遺体を埋めた場所を吐 けとボビーに要求する。しかし、ボビーは屈しない。ジャックスはボビーを救出したいが、監禁場所がどこかつかめないでいた。マーカスに遺体場所を教えねば ならぬ期限が刻一刻と迫っている。計画を断念してマーカスに屈服することはできないジャックス。しかし、要求に応じなければボビーの命が危ない。クラブの リーダーとして仲間を統率して守るはずのジャックスが、反対に仲間を危険に晒しているのは皮肉である。マーカスの脅迫は、ジャックスの家族にまで及んだ。 ジェマが家で飼っている鳥は殺され、ベッドの中に置かれれていたし、息子アベルの部屋には、ぬいぐるみがナイフで壁に突き刺さっていた。ジャックスはもう マーカスに手も足も出ない。時間だけが無為に過ぎている。
建物の屋上で挫けそうになるジャックスをチブスが励ましていた時、マーカスの要求した期限が過ぎてしまった。ティグがまた例の小包を抱えて屋上にやってきた。モーゼスは部下に命じてボビーを押さえつけさせ、ボビーの左指をナイフで切断したのである。小包の中にあるボビーの指をジャックスは見ることとなった。もうジャックスには堪えられない試練である。
サ ンズ・オブ・アナーキーも最終シーズンに入り、サム・クローの運命は果たしてどうなるのかファンには楽しみである。ジャックスがクラブのためにしているこ とが、次々と裏目に出るのである。リーダーというものは、常に孤独であり、部下の命が掛かった決断を下さねばならない。たんにボス面をして威張っているの はバカ猿だ。予期せぬ結果にも責任を持たねばならず、辛い局面でも逃げることはできないのだ。重責を担う者には嘆く時間すら無いのだ。どんな小さな集団で あっても、指導的立場にある者には、ぜひ見て貰いたい作品である。
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シー ズン6で愛する妻タラを殺されたジャックスは復讐の鬼となる。日本ではまだ放送されていないので、ストーリーを少し振り返ってみる。サム・クローの裏ビジ ネスでいつも危険と隣り合わせの生活に嫌気がさしたタラは二人の子供アベルとトーマスを連れてどこか遠くの州に逃げてしまおうと計画する。警察しにクラブ にとって都合の悪い証拠を渡す代わりに、保護を受ける取引であった。しかし、タラはジャックスに見つかる。二人は話し合い、理解して仲直りをした。だが、 ここで運命の悪戯が起こる。
ジャクスの母ジェマは二人の孫をタラに奪われると勘違いし、激情に駆られてつい刃物を手にしてタラを殺 してしまうのだ。タラは殺される前、ジャクスと和解してヨリを戻したので、アベルとトーマスの孫はどこにも行かない。ジェマは祖母として孫を再び抱くこと ができたのに、タラとジャックスの復縁を知らなかったので、ついカッとなって殺してしまったのだ。更に悪いのは、殺人現場に警察署長エリが現れ、ジェマの 殺人を目撃してしまった。すると偶然居合わせたジュースがその署長を射殺してしまう。ジャックスとタラの復縁を知ったジェマは後悔の念で体が震えてしまう のだ。自分が犯した取り返しのつかない嫁殺しをジャックスに秘密にすることにした。そこでジュースは一緒になって秘密を守ろうとする。しかし、裏切り者の ジュースはクラブの仲間から追われる逃亡者となってしまう。ジェマも秘密を守るためジュースの逃亡を助ける。
一方、ジェマたちが殺人現場を後にしたところで、ジャックスはタラの惨殺死体を見つけるのだ。血まみれのタラを抱くジャックスの姿が痛々しい。せっかく まっとうな人生を送ろうと決意した矢先に、こんな残酷な結末を迎えるとは想像していなかった。号泣するジャックスが哀れでならない。復讐に燃えるジャック ス。愛する妻を殺されたジャックスは抜け殻となるも、タラを殺した者への復讐心で体がいきり立つ。
ジェ マという女はどうしてこんなにトラブルばかり起こすのか分からなくなる。ジェマは息子ジッャクスに、タラを殺したのは彼が昵懇にしていた支那マフィアのリ ンが雇っている部下の一人だ、という嘘を囁く。ジャックスは策略を用いてその支那人部下を捕まえてしまう。暗いキッチンでその支那人を縛り上げ、じっくり とリンチを加えながら殺してゆくジッャクス。支那人の体をナイフで刻んだら、その傷口に塩を入念に塗り込む。もがき苦しむ支那人を充分i痛めつけてから、 トドメの一撃を加えて殺してしまうのだ。復讐を終えたのに、荒寥(こうりょう)たる虚しさしか残らない。
最 愛のタラを殺されたジャックスは支那マフィアのヘンリー・リンと黒人ギャング組織のボスであるアウグスト・マーカスを一気に打倒しようと策略を練った。し かし、リンら支那人ギャングは、ジャックスが囲っている売春宿の女たちを鏖(みなごろし)にしてしまう。惨殺屍体の山を見て、ジャックスは呆然としてしま うのだ。そこで、ジャックスは支那人ギャングを騙して、まんまと罠にはめたのだが、リンを殺す前に警察が彼らを逮捕してしまい、リンは刑務所に逃れること ができた。
問題は狡猾な黒人ボスのマーカスである。ジャックスらはマーカスが、ある教会を使って資金洗浄をしようとする情報を掴ん だ。その教会の牧師ジョナサン・ハデムはある依頼ですでにジャックスとクラブの者が殺していたのである。表は善人面の牧師が、裏では淫乱生活を送っていた ので、ジャックスらが射殺して屍体をもっていた。そうとは知らぬ牧師の妻レティシアと義理の息子グラントはジャックスに協力することになった。ジャックス は彼らがマークスに脅かされて、書類にサインを強要されたとの話をでっち上げる。そうして牧師の遺体をマーカスが所有する工事現場に埋めたのである。そう すれば警察の捜査が始まったとき、マーカスが牧師を殺して自分の所有地に隠したことになる。牧師の未亡人を恐喝したマークスは、遺体が発見され逮捕される という筋書きをジャックスはつくった。
ジャクスはレティシアとグラントをクラブの隠れ家に避難させると、マーカスに対して遺体の写真 や強要された書類を見せつけて、彼を追いつめようとした。ところが、ジャックスはマーカスを甘く見ていた。前々からジャックスが陰謀を練る策士だと見抜い ていたマーカスは、ジャックスより一枚上手であった。( ここからはシーズン7第7話 「Greensleevs」を参照)
ジャック スがマーカスとの交渉を持ちかけたとき、マーカスはその交渉の場に現れなかった。じつは、マーカスの護衛部隊(security team) が既に、クルマを一人で運転していたクラブ・メンバーのボビーを拉致していたのだ。護衛部隊リーダーのモーゼスが、ジャックスとクラブ・メンバーが待つ会 談の場所に小包をもって現れた。そしてマーカスは来ないことを告げると、ジャックスらにその小包を手渡してその場を去ったのである。その包みをジャックス らが開けると、中には電子タブレットが入っており、その映像を再生した。
(左: ボビー)
クラブのメンバーらは画面に映し出されるボビーを目にした。捕まったボビーは縛り付けられ、右目をえぐられている。ボビーの地底から発せられるような呻 き声が響く。右目からは血が流れ、ボビーは地獄の苦しみを味わう。これではまた、オピーのリンチを見ているようなジャックス、チブス、ティグである。彼ら の心臓はちぎれそうだった。またもや仲間が残酷な目に逢ってしまったのだ。ジャックスは小包に入っていた小箱を開ける。するとボビーの摘出された眼球が 入っていたのである。愕然とするジャックス。彼はマーカスを甘く見ていた自分を責めた。自分の方が賢いと高をくくっていたのである。
マーカスの護衛隊を率いるモーゼスは傭兵部隊に所属していた元軍人で、拷問には馴れていた。ジャックスとの交渉には応じない。牧師の遺体を埋めた場所を吐 けとボビーに要求する。しかし、ボビーは屈しない。ジャックスはボビーを救出したいが、監禁場所がどこかつかめないでいた。マーカスに遺体場所を教えねば ならぬ期限が刻一刻と迫っている。計画を断念してマーカスに屈服することはできないジャックス。しかし、要求に応じなければボビーの命が危ない。クラブの リーダーとして仲間を統率して守るはずのジャックスが、反対に仲間を危険に晒しているのは皮肉である。マーカスの脅迫は、ジャックスの家族にまで及んだ。 ジェマが家で飼っている鳥は殺され、ベッドの中に置かれれていたし、息子アベルの部屋には、ぬいぐるみがナイフで壁に突き刺さっていた。ジャックスはもう マーカスに手も足も出ない。時間だけが無為に過ぎている。
建物の屋上で挫けそうになるジャックスをチブスが励ましていた時、マーカスの要求した期限が過ぎてしまった。ティグがまた例の小包を抱えて屋上にやってきた。モーゼスは部下に命じてボビーを押さえつけさせ、ボビーの左指をナイフで切断したのである。小包の中にあるボビーの指をジャックスは見ることとなった。もうジャックスには堪えられない試練である。
サ ンズ・オブ・アナーキーも最終シーズンに入り、サム・クローの運命は果たしてどうなるのかファンには楽しみである。ジャックスがクラブのためにしているこ とが、次々と裏目に出るのである。リーダーというものは、常に孤独であり、部下の命が掛かった決断を下さねばならない。たんにボス面をして威張っているの はバカ猿だ。予期せぬ結果にも責任を持たねばならず、辛い局面でも逃げることはできないのだ。重責を担う者には嘆く時間すら無いのだ。どんな小さな集団で あっても、指導的立場にある者には、ぜひ見て貰いたい作品である。
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