2015年9月22日火曜日

無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2014年12月

あっ、言っちゃった! 横山やすしの「チョンコ」発言~気違い部落のエリートは差別を嫌う

地雷のような使用禁止用語

  我々は自由主義社会 に住んでるようで、実は共産主義社会のような窮屈な状態にあるのかもしれない。マスコミはとかく差別用語や放送禁止用語に敏感だ。匿名視聴者や特殊圧力団 体からの抗議がよほど怖いのだろう。たとえば、朝日・毎日新聞で、きだみのる著『気違い部落周遊紀行』(富山文庫)などはタイトルだけで広告拒否になるん じゃないか。たが、この本はユーモラス作品として評判になったし、元々はあの岩波雑誌『世界』に連載された文であり、毎日出版文化賞までもらったのだ。民 放の生放送番組なら、偶然出演した一般人が「キチガイ」を口にしてしまうだろうが、藝人なら冷や汗をかいて何とか誤魔化すだろう。お上品ぶったテレビ局の 重役たちは、もめ事や厄介事をことのほか嫌う。彼らこそ特殊な部落民である。例外は漫画の『釣りキチ三平』くらいだ。今年の流行語大賞なら「ヘイト・ス ピーチ」が日本人にとって一番注目すべき言葉である。巷では「だめよ、ダメダメ」という漫才師のギャグが話題になっているようだ。しかし、実際は朝鮮人が 日本人に対して「ダメだ、ダメダぞ、てめェら倭人(チビ)め」が流行語だろう。

Wakayama 1  (左:若山富三郎)
    昭和40年から50年代のTVドラマ黄金期では、現在ほど言論・表現規制が厳しくなく、意外とドラマ制作者に自由があった。たとえば、『唖侍 鬼一法 眼』(1973年放送/日本テレビ系)では、若山富三郎が主人公柳田健之介を演じた。健之介はイスパニア出身のゴンザレスに許嫁を殺され、自身も喉を切ら れて声を失う。後に賞金稼ぎ「鬼一法眼」になり、宿敵へ復讐するための旅に出る筋書き。勝新太郎の『座頭市』が盲(めくら)の按摩(あんま)なら、若山の 柳田は唖(おし)の剣士である。(ちなみに、このドラマは勝プロの作品) アニメでも『佐武と市捕物控』(石ノ森章太郎原作/1968年虫プロ作品)が放送され、ツル禿(はげ)の市は盲の按摩師で居合抜の達人。仕込み刀市を座頭 市が真似したのだろう。現在のテレビ局では放送禁止だろうし、仮に放送できても役者のセリフに制限や禁止が多くてドラマが成立しないはずだ。ちなみに、若 山富三郎主演の『子連れ狼』(外国ではLone Wolf and CubやShogun Assassinのタイトルで紹介された)は、物凄い殺陣(たて)のシーンがあり、敵の鮮血が吹き出す死闘があるから地上波では放送できない。しかし、外 国の映画監督には好評で、クウェンティン・タランティーノ監督は影響を受けている。 

      以前、筆者がNHK-BSで『海のトリトン』を懐かしく観たが、「唖(おし)」というセリフは消音されていて、視聴者には会話が理解しづらくなっていた。 アニメ『巨人の星』でも、星飛馬が「俺のとうちゃんは日本一のXXXXだ」と言ったとき、「土方(どかた)」という声が消されていたことがある。「土方」 が差別用語だったからである。今は「建設作業員」ないし「土木作業員」と言い換えられ、「日傭人夫(ひやといにんぷ)」でさえ使用禁止になっているはず だ。こんな規制で雁字搦(がんじがら)めでは、アニメや時代劇など作れない。まるでドラマの脚本家は、あちこちに地雷が埋まっている野原を走るようなもの で、放送禁止用語集を片手に創作に取り組まねばなるまい。アニメ論になると、けっこう詳しく論じることができるのだが、長くなるのでまた今度。

子供の喧嘩にも言葉狩りが

Yokoyam   今は亡き天才漫才師・横山やすしは子供の頃から、その性格が変わっていなかったみたいだ。ある時期は、久米宏と一緒に『TVスクランブル』に出演して、 社会問題について発言していた。知識人ぶって斜(はす)に構えてコメントしていた久米よりも、学歴はないが正直な意見を述べていた横山の方が好感をもて る。そんな横山のやっさんが『まいど! 横山です』(徳間書店 1981年)を出して、少年時代を回顧しているのだ。(やっさんの本名は木村雄二) 昭和26年の頃小学一年生だった木村雄二少年は、給食の時間にお茶碗を持参したという。当時のクラス・メートは皆アルミ製の食器をもってきたそうで、雄二 少年だけ違っていたのである。クラスのみんなはミルクの配給時に、雄二がお茶碗を出したことを笑ったが、彼は気にしなかったらしい。下校時には梅田君とい う友だちと一緒だったが、帰る途中にやんちゃ坊主の金山に喧嘩をふっかけられたのである。金山は雄二の腕をつかんでのしかかってきたが、茶碗を壊したくな かった雄二は必死で胸に抱え込んだ。抵抗できない雄二に対して金山は、容赦なく殴りつけてきて、雄二は歯を食いしばって堪えるしかなかったという。喧嘩の 弱い梅田君は助太刀できぬことを謝り、破れたシャツを見て事情を聞いた母親は、よく我慢したと褒めてくれたそうである。

  しかし、腹の 虫が収まらぬ雄二少年は、翌日目が覚めると怒りがムラムラと込み上げてきた。一目散に家を飛び出て、梅田君と一緒に登校したところ、水道で水を飲んでいる 金山を発見したのである。雄二はその辺で探した棒きれを握りしめ、憎き金山に近づいた。彼の背後に忍び寄り、突如「金山ッ」と雄二が叫ぶや、彼は振り向い た。そこへガッつんと一撃を加え、「くそッ、昨日の仕返しじゃ、このチョンコ」と大声を上げながら、滅多打ちにすると、金山は背中を丸めて逃げまどった。 雄二は構わず追いかけて更なる攻撃を加える。お茶碗を持たぬ雄二は思う存分の復讐を果たしたのだ。そこへ先生が駆けつけて、二人の喧嘩を止めに入ったそう である。二人とも罰として廊下に立たされたという。(上掲書 p.47)

  気取らぬ横山やすしは、たんに少年時代のエピソードを語った だけである。しかし、当時のマスコミは日本人による差別を糾弾する在日朝鮮人どもに阿(おもね)っていた。やっさんが朝鮮人の金山(通名?)を「チョン コ」呼ばわりしたのを許さなかったのである。日本語には罵倒語が少ないから、朝鮮人を侮蔑しようとすれば、そんな言葉しかないのだ。朝鮮語や支那語なら豊 富にある差別語・侮蔑語が、日本語にはほとんどみられない。だから、雄二少年が激怒したときに、思わず発した言葉を容認できぬ日本のマスコミは大人げな い。朝鮮人が日本人を倭人(チビでつまらぬ奴)と呼んだり、豚の足みたいな足袋をはくから「チョッパリ」とからかうのは問題ないのか。根拠もなく日本人を 朝鮮人の弟分にしている小中華思想の朝鮮人が何をぬかすのか、と怒りたくなる。ヘイト・スピーチ規制法は必ずや朝鮮人と左翼勢力が濫用する法律になるだろ う。温厚な保守派国民は朝鮮人相手に、そんな法律で対抗しようとはしない。裁判沙汰にするのは、圧力組織を背景にした朝鮮人の方だ。日本人に罵倒されるの が嫌なら、さっさと南鮮へ帰ればいいのだ。病気になっても南鮮へ戻らず、日本で上等な治療を受ける在日朝鮮人は、図々しいとしか思われない。鮮人が賤民と 言われる所以(ゆえん)である。

「チョン」は差別語か?
kosaka kenji (左/小坂憲次議員)
   2009年9月6日のフジテレビ『新報道2001』に自民党の小坂憲次衆議院議員が出演した。小坂議員は一度自民党を離れて、新生党に入り、その後は新 進党、太陽党、民政党を経て、自民党に復党した経歴を持つ。2010年には参議院に鞍替えした。番組中に自分のことを語る小坂氏が、「お前はバカでもチョ ンでも・・・」と口を滑らせてしまい、「ああ、いや失礼!」とあわてて訂正した。CMの後で、司会者が訂正のお詫びをしていたが、何がいけなかったのか、 筆者には分からなかった。おそらく「チョン」が朝鮮人をバカにする侮蔑語と勘違いしたのだろう。「バカでもチョンでも」は朝鮮人に関係ない。「チョン」は 「わずかな」とか「しるし」を意味するから、朝鮮人に適用するときは、「チョーセンジン」の省略形としてであろう。英語でチャイニーズを「チンク (chink)」と縮めて呼ぶのと同じだ。しかし、小坂氏は俗語として発言したのではないから、謝罪する必要はなかったはず。

 
Peter Milward 1 (左/ピーター・ミルワード神父)
  今ではコンパクト・カメラを「ばかチョン・カメラ」と呼ばなくなった。この小型カメラは、一眼レフのプロ用高級カメラと違って、誰でも簡単に撮影できるカ メラとして人気を博したのである。「ばかチョン・カメラ」が廃語となったのは、朝鮮人への侮蔑を連想させるからであろう。しかし、筆者は差別心が全くない のに「ばかチョン・カメラ」を発言したカトリック神父を知っている。英文学科出身の日本人ならピーター・ミルワード(Peter Milward, SJ)神父の名前を聞いたことがあるだろう。日本で随一のシェイクスピア学者で上智大学教授を務めたイギリス紳士だ。20年くらい前に、ある聖書クラスで 筆者はミルワード先生から、旅先で撮った写真を見せてもらった。先生がイスラエルに旅行したときに、ご自身で撮影されたものだという。ミルワード神父は得 意げに「私がバカチョン・カメラで撮りました」と筆者に明言した。笑顔で語る先生の心に朝鮮人への侮蔑はひとかけらもなかった。英語が母国語のミルワード 神父は、政治的な正しさ(political correctness)という言語規制を知っていたはず。朝鮮人に対して過剰に配慮する日本人が異常なのだ。尊敬されない民族のままでいる朝鮮人の方 が、日本人の侮蔑心を招いていることに気づかないのである。もっとも、朝鮮人にはロクでなしでアカンタレが多すぎるので、まともな朝鮮人も迷惑しているの だろう。それなら、彼らは日本人保守派と協調して不逞鮮人追放運動に参加すればいいのに。朝鮮人につける薬を誰か発明してくれないかな。ノーベル賞がもら えるのにねぇ。

  ああ、今年もこんな話題で締めくくるなんて、嫌だけどしょうがない。お正月は何かもっとすがすがしい話題でブログを書 きたいなぁ。でも、すばらしいニューズって人気が出ない。猫に語っても「ニャ~ん、ご飯」としか反応が返ってこないのだ。今年始めたブログを読んでいただ いた方々に感謝します。皆様よいお年を。

  
  

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デーブ・スペクターはアメリカ人じゃなくてロシア系ユダヤ人

本当のアメリカ人は西欧系白人だ

  正常な日本人なら 「我が国は日本人の国である」と言うだろう。(鳩山由紀夫は違うが。)両親、祖父母、曾祖父母が日本人であるし、皆が日本語を話し、天皇陛下も日本人だか ら当然に思うだろうが、外国人には驚きだ。移民が溢れるアメリカの雑種国民が、日本人を理解できなくても仕方がない。日本人だってアメリカを理解している ようで、誤解しているのだ。各人が勝手な「アメリカ人像」をもってアメリカ論を語っているのだ。日本の主流民族は日本人だが、アメリカの主流民族は誰か? 今は曖昧になっているが、昔はワスプ、すなわちプロテスタント信徒のアングロ・サクソン系白人が共和国の主体だった。たいていの人が「当たり前だ」と怒る だろうが、日本人が意外と気づいていない視点である。

Dave Spector (左:デーブ・スペクター)
   日本人はアメリカの事情や文化、世論などを誰から聞くのか? テレビ局や新聞社の在米日本人特派員は誰から情報を得ているのか、一般国民は確認せずに鵜呑みにしている。逆に在日米国人ジャーナリストが日本の社会事件 を取材するとき、誰にインタヴューして記事を書くのか、日本人なら興味があるだろう。ニュー・ヨーク・タイムズ紙やニューズウィーク紙、CNN、ロイター の在日社員は、しばしば我々だって名前を聞いたこともない日本人から話を聞いて記事を発信しているのだ。たとえば、「従軍慰安婦」の件だって、朝日新聞の 社員や左翼学者にインタヴューをして記事を書いているアメリカ人が普通だ。悪質なのは、植村隆や下村満子のような朝日人に聞いたり、英語で答えてくれる日 本人に尋ねるだけ、という手抜き取材をしたりするのだ。日本人の視点から答えるような人物、たとえばジャーナリストの水間政憲さんや上智大学名誉教授の渡 部昇一先生に尋ねるようなことは、まずないだろう。だから我々が米国メディアの日本報道を聞くと、とても違和感があるし、的はずれな取材だと分かる。もっ とも、日本担当のアメリカ人記者だって、怪しい素性の人物だったりするから尚更いかがわしい。

  日本人にとりアメリカの社会問題や芸能 ニューズを伝える在日アメリカ人で、もっとも有名なのはデーブ・スペクターだろう。フジテレビやTBSの情報番組で、流暢な日本語を駆使して一般日本人が 知らない情報を伝えるので、普通の視聴者は彼の意見や解説をアメリカ人の主流だと勘違いしてしまう。芸能ニューズなら我々にとっては、実際どうでもいい。 しかし、政治・文化・経済といった分野になると、スペクター氏の発言や分析に注意せねばならない。彼は左翼思想のロシア系ユダヤ人であって、建国の民であ るアングロ・アメリカ人の子孫ではない。ちょうど民主党の白真勲・参議院議員や福山(陳)哲郎・衆議院議員が、日本を代表する国会議員とは思えないのと一 緒。彼らは在日朝鮮人や反日分子の代表者であり、伝統的日本人からすれば異質な存在である。したがって、彼らのような朝鮮風反日議員が、米国で日本人論を 語るなど、保守的な在米日本人にしたら絶対許せない。

  スペクター氏が『たかじんのそこまで言って委員会』などに出演して、アメリカの 政治問題に言及する場合、彼は民主党左派、有色人種、ユダヤ人といった反米側(反西欧系保守派白人)からの視点で発言しているのだ。たとえば、9/11テ ロ事件について彼は、イスラム教徒のテロリストが起こした犯罪と思っているが、南北戦争以前から続く旧家の南部白人や親子代々軍人家系の保守派なら、単純 にそうとは思わない。ジェット燃料でビルが崩壊したり、ペンタゴンで監視カメラが1台しか作動していなかった、など信じられぬ事実が噴出すれば怪しむのが 普通だ。しかも、WTCビルに勤務するユダヤ人社員には、自宅待機の指示が出されていたり、ビル所有者のラリー・シルヴァースタインが巨額の保険金を手に したのだから、イスラエルのモサドはテロを事前に知っていたのだろう。こんな当り前の推測すら否定するスペクター氏は、西欧人の血を引くアメリカ白人を代 表して語っているのではない。大統領選前のオバマを支持していたのも、ユダヤ人という立場からで、アメリカ建国の父祖を崇敬する白人なら、あんなに大は しゃぎはしないだろう。

  また、スペクター氏は日本語についても、でたらめな根拠で語っていたのである。どんな議題だったか思い出せな いのだが、彼がテレ朝の『朝まで生テレビ』に出演していたのを観たことがある。そこでスペクター氏は、日本人の女性蔑視を取りあげ、日本語では「嫁にや る」とか「嫁にもらう」とかの表現があり、女性をモノ扱いしている、と批判していた。筆者はちょっと言語学や英語の歴史を勉強したことがあるので、語源に も多少の知識はあった。英語の「妻/ワイフ(wife)」は古フリージア語で(wif)、古ノース語で(vif)、古ドイツ語で(Weib)と言い、これ らが語源となっている。妻(嫁)とは夫(新郎)のために“包まれた女性”を意味していたのだ。古代ゲルマニアでも、政略結婚や他家との融合を謀るために娘 を差し出すこともあっただろう。しかも、女は男に従うものだったから、父が娘を新郎への移譲することを意味しても不思議ではない。まあ、ロシアからの異質 なユダヤ移民の子孫だから、アングロ・サクソン人の言葉について無知でもおかしくはないだろう。黒髪を金色に染めたって、スペクター氏はゲルマン人になる 訳じゃない。我々日本人は大目に見てやればよい。ただし、彼の発言を鵜呑みにせぬことだ。

あいつもこいつもユダヤ人

Francoise Morechand  Donald Kean
 Arthur Waley







(左:モレシャン/中央:キーン/右:ウェイリー)
   日本人は外国人タレント(才能不明な藝人もしくは有名人)が日本語を喋るだけで、その人物が母国の事情にくわしいと思ってしまう。むかしは、フランソ ワ・モレシャンというフランス出身の有名人が、よくテレビ番組で「私の国では~」という枕言葉で、フランスについて語っていた。専門のファッション業界や 料理くらいについてならいいが、政治や経済について彼女の意見など傾聴に値しなかったし、尋ねる日本人も馬鹿だったと思う。また、逆のこともあった。帰化 したドナルド・キーン教授は、一般の日本人から「日本語や日本文化にお詳しいですね」と感心されることが度々あったという。でも、キーン氏は、『源氏物 語』といった日本の古典を研究している学者なのだから、顔は外人でも日本語の知識は普通の日本人より遙かに高い。それに考えてみれば、日本人だから日本語 に詳しいとは限らないだろう。

  日本語はCIAといった諜報機関でも難解な言語とみなされるくらい、外国人が習得するのが難しい言語で ある。だから、日本人配偶者をもつ外国人かキリスト教の宣教師などの特殊な人々を除いて、日本語を習得しようとは考えない。(工作員としての新聞記者や商 売人は別。) 日本について詳しい外国人を挙げようとすれば、なぜかユダヤ人が多い。『源氏物語』を英訳したアーサー・ウェイリー(Arthur David Waley)は、元々シュロス(Schloss)というユダヤ姓であったが、第一次大戦中父方の祖母の姓に改めた英国のユダヤ人東洋学者であった。『ジャ パン・アズ・ナンバー・ワン』を書いたエズラ・ヴォーゲル(Eza Vogel)・ハーバード大学教授や、もと米国陸軍諜報局で日本研究をしていたハーバート・パッシン(Herbert Passin)教授などもユダヤ人である。

Charles Kedes  beate sirota gordonHarry Dexter White 2 









(左:ケーディス/中央:シロタ・ゴードン/右:ホワイト)

    日本人にとって有害なユダヤ人は、ニュー・ディーラーだったGHQ民政局のチャールズ・ケーディス(Charles Louis Kades)課長であり、その部下で共産主義者のベアテ・シロタ・ゴードン(Beate Sirota Gordon)であろう。我々にとって腹立たしいのは、ゴードンが日本国憲法に女性の権利といった左翼思想を盛り込んだことである。日本に亡命してきた音 楽家の娘で、達者な日本語だけが取り柄の単なる秘書であった。こんな赤いユダヤ人小娘が我が国の憲法作成に一枚噛んでいたのである。また、GHQ労働部長 のテオドル・コーエン(Theodore Cohen)ユダヤ人で、日本共産党が労働組合に細胞を作っていたことを知りながら、容認というより支援していた節がある。最大の敵はハリー・デクス ター・ホワイト(Harry Dexter White)だ。大東亜戦争でハル・ノートは有名だが、それはモーゲンソー試案に基づいていた。ユダヤ人財務長官ハンス・モーゲンソーのもとで対日提案を まとめていたのが、ソ連のスパイたるホワイトであったことは今では周知の事実。京都産業大学の須藤眞志教授が『ハル・ノートを書いた男』(文春新書)でホ ワイトのことを詳細に述べている。しかし、須藤氏はホワイトがロシア系ユダヤ人であることには触れていない。日本人学者は共産主義者の調査が甘い。共産主 義者にはユダヤ人が多く、日本にとってもことのほか有害であった。

Marty Friedman steven seagal 1Peter Barakan









(左:フリードマン/中央:シガール/右:バラカン)

   政治や経済から離れたユダヤ人なら目くじら立てずにすむ。たとえば、元メガデスのギターリストであるマーティー・フリードマン(Marty Friedman)は、メガデス脱退後に大学で日本語を勉強するなど感心する。相川七瀬という女性歌手のギターを担当したらしい。(可愛らしい女の子らし いが、あいにく筆者はよく知らないので何とも言えない。) ハリウッド・スターのスティーヴン・シガール(Steven Seagal)は合気道を世界に広げてくれたし、日本人に対する偏見が無いからいい人だ。(ユダヤ人の父をもつ。) ただし、元夫人の藤谷氏にしたら、女房と娘を捨てた悪い外人かもしれない。音楽評論家のピーター・バラカン(Peter Barakan)はちょっと微妙。ポーランド系ユダヤ人の父とビルマ人の母を持つバラカン氏は、イギリス人というより、根無し草のユダヤ人在日外人といっ た方がいいだろう。TBSでCBSドキュメント番組のコメンテイターをしていたが、どこの国の視点からか分からなかった。はっきりとしたことは、放浪ユダ ヤ人が解説者になっていたのである。

Henry Kissinger 1 (左:ヘンリー・キッシンジャー)

   日本人はユダヤ人がよく分からないし、いい加減な評論家宇佐美某や「イルミナティーの世界支配」だなどと吹聴する輩が居るから、よけいにややこしくな る。本当は真面目にユダヤ人の研究して、彼らの正体を暴く学者が必要なのだ。日本人はアシュケナージ系(東欧系)ユダヤ人と西欧系アメリカ人を区別して議 論しないのである。白人は皆アメリカ人と見なす日本人は、米国を知っているようで知らない。デーブ・スペクターなどをひと目見て、「こいつ西欧人と違う ぞ」と識別できなければ、とても欧米社会の歴史や政治は理解できない。むかし、ジョン・F・ケネディーは、ヘンリー・キッシンジャーと会ったとき、彼が 去った後、このユダヤ人学者について弟ボブと話したそうだ。その時、アイリス人兄弟はあの男は「違うよな」という意見で一致したらしい。下品さが滲み出る キッシンジャーの顔を見たら、違う種類の人間ということが分かったのである。日本国民も、ケネディー兄弟のように、デーブ・スペクターを観たら、「こいつ 異質なアメリカ人だぞ」と判断できるよう修行せねばならない。



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ブスだと卒業できる 卒業顔の怨念は不滅です

ブスへの慰め

   霞ヶ関官僚には元左翼学生がごまんといる。とりわけ法務省や厚労省で、女性の社会的待遇や地位向上を担当するような女性官僚には、フェミニズムの黴菌に 感染した人が多い。試験秀才だから中央官庁に入れたのだろうが、出世競争になると男の官僚に劣るから、怨みを持つ女性が結構いるのだ。有能な女性なら、 ファッション・モデル業界といった民間企業に就職したり、独力で自営業でも営めば、嫉妬心や不平を持たなくて済むのに、と筆者はつい思ってしまう。親方日 の丸の役所だと、平等思想の建前があるから、異常な性格の持ち主でも容認されるのであろう。役所勤めの女性は結婚よりも職業を高く評価しがちである。外で 他人のために働くより、家で子供や夫のために働く方が素晴らしく、重要なことなのに、それが分からない。結婚できなかったり、男から求愛されぬ醜女の怨み としか思えない。家族より仕事を優先する思想の淵源には、ブスのひがみが見え隠れする。それに、学校で男女平等という左翼思想で洗脳されているから尚更で ある。そこで、勉強して馬鹿になる女性を少し考えてみたい。

  むかし、国際日本文化研究センターの井上章一・助教授が『美人論』を出版 した。(リブロポート 1991年) 井上氏は、昔の日本では醜美について解説する教科書があったことを紹介した。明治の修身教科書は、「美人は徳を失いやすい」と書いたそうである。たとえば 「瀧鶴台(たきかくだい)の妻」の物語は、修身科目書が愛用したストーリーであったという。長州の碩学、瀧鶴台の妻は、容姿は醜かったが、心は極めて美し かった。夫に従順でよく家を治めたので、鶴台も彼女を重んじたそうである。心掛け次第で夫に愛される立派な妻になれることを教えたかったのである。修身教 科書は「みめ形いと醜かりしが、心ざまは極めて美し」と彼の妻を褒めた。現代の我々には驚きだが、当時の教育界では「容貌(みめ)より心」を強調する美人 排斥論、醜婦(しゅうふ)奨励論が盛んだった。

  しかし、深尾韶という小学校教師が『家庭雑誌』(明治40年1月号)に投稿した文章に よれば、美人排斥論は現実社会と食い違うらしい。深尾は不美人を褒める修身教育を現実にそぐわないと批判するのだ。彼の教師生活に照らし合わせれば、美人 に属する子供の十人中八九は、皆極めて善良な性格を有していた。彼は「自分は世間の美人排斥論、醜婦奨励論に対して此の現象を甚だ不思議に感じました」と 述べている。深尾の長年の観察からすると、修身教科書が推奨する良妻賢母の卵は、理想とはかなり離れているのだ。彼は容姿(みめ)よろしかぬ将来の婦人 は、「容姿より心」どころか、容姿も心もメチャメチャで、猜疑、嫉妬、意固地、残忍、その他将来婦人の悪徳たるべきものの質量を多く備えているという。そ うして深尾は長年の経験上、美人は善人で、醜婦は悪人である、ということを知るに至ったらしい。修身教科書がなぜこんな嘘をつくのかを考察して、教科書執 筆者が醜男醜女(ぶおとこぶおんな)なので、苦し紛れに偶然たる美人の毒婦をとらえて、毒婦はすべて美人で、美人は皆品性下劣なる者とコジつけたのであろ う、と結論づけた。(p.20)

  深尾氏の見解は我々にも納得できる。昔は、スケ番という不良の女子生徒がいて、派手な化粧に髪にパー マを当てて、長いスカートを引きずっていた。美人も少しは居ただろうが、たいていブスだった。不良だから真面目に勉強せぬ。もとから性格が悪い上に成績も 悪くなる。そうすると勉強ができて可愛い女の子は、男子生徒からちやほやされるから、スケ番のイジメの対象になってしまう。なぜか美少女は素直で、ちょと 上等な階級の家庭や良家の娘が多かった。一方、ブスのスケ番は荒んでいる家庭の子が多いような気がする。容姿と性格が比例するように思えるのは、筆者ひと りだけではないだろう。

  井上章一は深尾氏の結論に部分的異論を唱える。醜い者が美しい者を妬む気持ちは昔も今も変わらない。もし、醜 男醜女の嫉妬心による教科書なら、どうして現代には同じ道徳教科書がないのか、と。井上氏は、明治大正期には美人が勉強を継続しにくかったからだ、と考え る。当時の平均結婚年齢はとても低く、十代半ばの娘が結婚することも珍しくはなかった。だから、女学校在学中に嫁に行く女子もいたのである。もちろん卒業 する女生徒もいたが、結婚で中退せぬ子には不美人が多かったのも事実であった。そこで当時の人々は、勉学を続けて卒業するような女の子を“卒業面(そつ ぎょうづら)”、と呼んでいたのである。三輪田元道という教育者も、醜い顔の卒業面に言及していたのだ。今は美人学生だって卒業するのが当然であるが、こ れは学歴が身分になる現代の特徴からきているから、卒業は容貌との関係は薄いとみてよいだろう。

  著書の中で井上氏は卒業面の代表例を 紹介している。廃娼や婦人参政権獲得で指導的立場をとった久布白落美(くぶしろおちみ)という婦人活動家は、娘時代(明治29年)母親に連れられて、大叔 母の矢島楫子(やじまかじこ)が院長をつとめる女学院を訪れた。面接試験で、矢島院長は落実をひと目見るなり、母親に「この人はあまり器量がよくないから つづくでしょう」と語ったそうである。(p.23) 矢島院長は偉い。よくぞ言った。あっぱれ。いまなら母親と娘が激怒して裁判沙汰になるだろう。昔の日本はかなり現実容認主義が浸透していたのだ。矢島院長 の予言通り、落実は無事ご卒業になったそうである。

  そこで疑問だが、人脈がたいして広くもない小娘が、どうやって嫁ぎ先を見つけたた のか、である。その疑問を解く鍵は授業参観であった。明治・大正時代には、近隣の有力者がしばしば、息子の嫁探しのために女学校を訪れていたのである。彼 らは授業参観を通じて、適当な嫁の候補を容姿で選んでいたのだ。顔だけで判断しても大丈夫なのか、と心配になるが、恋愛は容姿から始まることがよくあるか ら、多分支障は無かったのであろう。それに、授業を聞いている女学生を見ただけで、性格や思想を分かるはずがない。現代の見合い縁談いだって、相手方の写 真を見て本人が会うかどうか決めるだろう。当時の学校では、美しい子から順々にクラスを離れることになった。ひとり抜けふたり抜け、最後に残るのはブスば かり。こうした物色参観は昭和の初めまで続いたという。(p.25)

Nozu Hiroko   (左/末広ヒロ子)

   醜女(しこめ)が辛い目に遭うのは分かるが、美人の女学生にも不幸があったらしい。明治40年に時事新報社主宰の美人コンテストがあり、素人娘のみが審 査の対象となった。そこで末広ヒロ子という女学生が一位になったのだが、本人が応募したのではなく、彼女の義兄が内緒で写真を送ってしまったのである。彼 女は福岡県小倉市の末広直方・市長の娘で、学習院中等部に通っている16歳の乙女であった。写真取り消しは無理だったが、義兄に頼んで名前だけでも匿名に してもらい、ヒロ子の写真は末広トメ子という名で掲載された。しかし、時事新報を見たクラス・メートがヒロ子だと気づいてしまった。当時の学習院は乃木希 典大将が院長を務めており、謹厳と質素を旨としていたから、ヒロ子は放校処分になってしまった。だが、温情厚い乃木院長はヒロ子の嫁入り先を斡旋したので ある。なんと乃木院長は、かの有名な英雄、野津道貫(のづみちつら)・陸軍大将にヒロ子を紹介したのである。すごい。さすがは乃木大将。やることが違う。 公爵の野津家にご子息がいらしたから、退学処分になった美女を紹介したのである。どうせ勉強したって公爵夫人にはなれないのだから、不幸中の幸いであろ う。


Mutsu Ryoko (左/陸奥亮子)

   明治から昭和初期にかけての日本では、女が勉強して出世するのは非常に困難だったし、職業婦人が専業主婦より素晴らしいとは思われなかった。それでも勉 強したい女性は少数ながら存在したら、彼女たちは師範学校に進み、教員になったりしたのである。だが、美人だって日本のために貢献したのである。とたとえ ば、陸奥宗光外務大臣のお亮(りょう)夫人は美人で評判であった。江戸時代までの日本は、身分社会であったため、女性は容姿よりも家柄で上下が決まった。 直参旗本の娘と単なる町娘とでは比較にならない。ところが明治になって維新の元勲らが、西洋人相手に舞踏会や晩餐会を開くに当たって、困ったことが起き た。政府高官の夫人が公家や武家の女性では、西洋的社交に不向きだった。しかも、容姿だってたいしたことはなかったのである。そこで藝者上がりの社交的夫 人の方が、変な気位の高さがなかったし、西欧文化に適合するのも上手だった。陸奥宗光が再婚した亮子夫人は、元藝妓で「小鈴」と呼ばれていた美女だった し、社交界の華であったという。日本女性の容姿批評で厳しかったイギリス人外交官アーネスト・サトウでさえ、陸奥夫人のお亮さんには「美女」の評価を与え たくらいである。カミソリ陸奥と呼ばれた外務大臣は、女性の趣味も一流だった。

  明治の頃は、人々が醜女(しこめ)を割と平気でから かっていたから、教育者は不美人な女学生を励ますつもりで、あえて「醜婦奨励論」を書いたのではあるまいか。教科書執筆者は、卒業面の女生が世間の嘲(あ ざけ)りを気にせぬよう、現実を曲げても「美人排斥論」を唱えたのではないか。井上氏は、不美人でも熱心に勉強して修養を積もうとする子が、劣等感を抱か ぬよう、世間の冷笑からガードするバリヤーだった、と結論づけている。(p.37)

社会に害をもたらす醜女

    世間が何と言おうとも、結婚できぬ卒業面の女学生が、自立して生きていくために勉強するなら良い。しかし、伝統を重んずる高度倫理社会の日本に、社会 主義やマルクス思想が浸透してきたから問題なのである。共産主義者は人間の醜い情念につけ込むのが得意だ。赤い革命家は国家転覆のために、まづ社会の基礎 である家族を崩壊させようとする。モラル無き人間を大量生産し、革命の駒に使うのである。まともな家庭に育つ若者は、共産主義に惹(ひ)かれないので、左 翼活動家はふしだらで下品な親を生産するか離婚家庭をつくるよう仕向ける。そうすれば性格の歪んだ子供を増やすことができるのだ。共産主義の煽動に靡(な び)くような者には、性格がひねくれた下郎が多いのはそのためである。

tajima yoko tajima yoko 2(左:田嶋陽子/右:若き田嶋氏)

   フェミニストになるような女学生には、滅多に美人を発見できない。「恨み」や「憤慨」を意味する英単語「resentment」とは、「(嫌な)感情を 再びもつ」ことからきている。フェミニストに共感する女子生徒は、鏡を見る度に自分の顔を不快に思い、世間に対して憤りを感じるようになるのだ。特に男ど もは女性を外見あるいは性(ジェンダー)で差別するから許せない。男社会は女性の敵である、との怨念に炎がともる。田嶋陽子や大澤真理、上野千鶴子を見れ ば、たいていの男は彼女らがなぜフェミニストになったかが分かる。こんな卒業面の女学生なら、さぞかし勉強に集中できたであろう。(だだし、有害な勉強内 容だが。) デートなどの煩悩フリーだ。

  フェミニストは女性の地位向上のためなら、物理学や数学を熱心に学ぶよう女子に言えばいい。 理系ならジェンダーに関係なく出世ができるし、ノーベル賞だってもらえるではないか。しかし、彼女らはクズ同然の「女性学」を学生に吹き込み、子分を増や すだけである。しかも、大学などの教育機関で給料を取りながら有害科目を教え、誰も読まない駄本を図書館に買わせているのだ。一般国民はテレビに出演して 叫(わめ)いている田嶋陽子は知っているが、彼女の著作を読んだ者はまずいないだろう。卒業面のフェミニストが目指す社会は恐ろしく荒(すさ)んでいる。 美女の幸せを叩きつぶして、醜女の天下を築こうとしているのだ。男が女性の魅力にうっとりしない「男女平等」社会など、女性にとっても忌まわしい。ファッ ショナブルな服や化粧が要らない世界が面白いのか。結婚よりも仕事の方が上等なのか。フェミニストが主導する“女性が輝く社会”とは、卒業面の行かず後家 が、大いばりできる社会だろう。老婆になったフェミニストを見ると、干からびた水商売のバアさんみたいで、思わずゾッとしてしまう。男に怨念を抱きながら 老いるババアを見てもフェミニスト講座をとる女学生は、僻み根性の暗い子だろうし、明るい家庭も築けないだろう。卒業面にシワが寄ったらもっと醜くなるの にねぇ。これ以上言うと背中を刺されそうなので、今日はここでお開きに。




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畳に大便をする朝鮮人オヤジ

朝鮮人との結婚は恐ろしい

  朝鮮人と結婚する日本人女 性は本当に苦労する。惚れて結ばれたのだから仕方ないが、実家の両親は溜息をつきながら、「何もあんな朝鮮人と結婚しなくったって」と愚痴をこぼしたくな るだろう。せっかく日本人に生まれ育ったのに、よりにもよって朝鮮人を結婚相手に選ぶ日本人は、やはり心が病んでいるとしか思えない。小屋孫が朝鮮系とい う汚点(stigma)を背負いながら生きていくことに罪悪感を感じないのだ。昆虫だって、みずから進んで蟻地獄に入ったり、蜘蛛の巣に突入しないのに、 人間たる日本人が朝鮮人家庭に堕ちていくのだ。朝鮮人と結婚するという過ちを選択してしまった斉藤博子さんの体験を述べてみたい。

Saito 1 (左/斉藤博子)

   朝鮮人と結婚して家族揃って北朝鮮に渡った斉藤博子さんは、北朝鮮から脱出した経緯を語る手記を発表した。(斉藤博子 『北朝鮮に嫁いで四十年』 草思 社 2010年) 北朝鮮での悲惨な暮らしには同情するのだが、ご亭主の家族がすごいのだ。そこに述べられているご主人の家族は、典型的な朝鮮人家庭に思えてならない。いか にも朝鮮人らしい粗暴さと惨めさが、意図せぬ斉藤さんの記述から臭ってくる。

  1958年(昭和33年)福井県の鯖江市に住んでいた斉 藤さんは、東洋レーヨンに努める会社員だったが、ダンス練習所で夫となる坂倉正二(通称)という朝鮮人青年と出会う。男女の仲は本当のところ他人には分か らないから、どんな経緯で惚れ合ったのかは省略する。恋仲になった正二は斉藤さんを両親の元へ連れて行き、両親に紹介したそうだ。初めて会ったのにもう朝 鮮人恋人の家に泊まることになったそうである。初めて紹介された女性に、いきなり泊まるよう進める朝鮮人の親って、やはり朝鮮人は感覚が違う。

   正二と知り合ってからしばらくして、斉藤さんは二人で住むために家を探すことにした。ある貸家を見つけたのだが、旦那が朝鮮人だということで大家に断ら れてしまった。その大家の息子と正二は中学生の時、同級生だったそうで、よく喧嘩していたから仲が悪かった。それが拒絶の理由だったそうである。それでも なんとか部屋を探したら、そこはネズミが出る貸家であった。毎日多くのネズミが出没する部屋に、2ヶ月ほど暮らしてから正二の実家に引っ越したという。

典型的な朝鮮人オヤジ

   亭主の実家に同居することになれば、何かと問題が起こるのは日本人夫婦の場合でもよくあることだ。しかし、朝鮮人家庭のトラブルはかなり違う。というよ り、桁違いで異質な厄介事だ。舅、つまり正二の父親が典型的朝鮮人オヤジであった。オヤジがトラブル・メーカーなら、その倅(せがれ)も問題児である。亭 主の正二も朝鮮人らしく、仕事が終われば酒を飲みに行くのは当然で、酔っぱらって喧嘩することも度々あったという。しかも正二には兄貴がいてロクでなしの 穀潰し。ある時など、正二の給料を取ってどこかに姿を眩(くら)ますこともあった。斉藤さんも呆れたというか、腹立たしかったんじゃないか。朝鮮人は縦社 会に住んでいるから、弟は兄貴に逆らえないし、息子は親に服従せねばならない。嫁は下女か家庭内奴隷だ。こんなのは朝鮮で珍しくないが、日本人女性にとっ たら刑務所みたいなものだろう。

  ある夜の出来事だ。亭主の正二と外出先から帰宅した斉藤さんは、家の中で異変が起きていたことを姑か ら聞くことになった。斉藤さんが部屋に入ると、そこには酔っぱらって寝ている舅(しゅうと)が居たのである。部屋には酒の瓶が転がり、畳の上には大便が あったのだ。(p.30) えぇ何? そう人間の糞。斉藤さんは初めての光景で驚愕したらしい。そりゃそうだ。斉藤さんに気づいた義父は、大きな声を出したり、布団や酒瓶を蹴飛ばし たりしたが、彼女に注意され、おとなしく従ったという。しばらくすると、そのオヤジは着ている服を脱ぎだした。驚いた斉藤さんは、離れの家に籠もる正二を 呼びに行った。姑はなぜか畑に隠れていたという。義母は裸で大声を上げているオヤジは、まだ酒が抜けていないから、ダメだと言ってしぶるが、斉藤さんが説 得して家の中へ連れて行ったのである。姑と一緒に部屋に戻った斉藤さんは、脱糞の畳を掃除し始めた。しかし、あの酔っぱらいオヤジが大便を踏んだ足で歩き 回ったから、糞が畳の目に詰まってどうしようもない。斉藤さんには、大便と小便と酒の臭いが混じって何の臭いか分からない。ただ口の中に唾か込み上げてき たという。

  斉藤さんが一生懸命部屋を片づけていると、酔っぱらいオヤジが目を覚まして起きてきた。そこで姑が「お父さん、恥ずかしく ないのかね。嫁の前で裸になって。本当に恥ずかしいよ」と不満をぶちまけた。するとそのダメおやじは、姑の頭に手をかけ、髪の毛をぐるぐると巻いて姑を引 きずった。声も出せずに引きずられていく義母を見かねて、斉藤さんは義父を止めに入った。そこへ正二が部屋に入ってきて、舅を押し飛ばしたのである。それ でも姑の髪を話さぬ舅の手を叩いたり、つねったりして、やっと手を離したそうである。(p.31) 正二は暴れる父親を外に連れ出し、小屋の柱に縛り付けてしまった。気違いオヤジが大声で騒ぐので、正二はラジオを持ってきて、最大音量にし怒鳴り声をかき 消そうとした。縛られたはずのオヤジは不思議にも縄を解いて家の中に戻ってきたのである。斉藤さんは布団を掛けてやったそうだ。

  斉藤 さんは姑に事情を尋ねると、舅は酒を飲むといつもこうなると答える。それは、姑が若い頃、友だちの家で遊んでしまい、帰宅が遅くなったとき、親戚の家で遊 んだと嘘をついたことがあった。それ以来どうして嘘をついたのか、と酒を飲む度に姑を責めるのだという。そして姑の頭を叩いたり、髪の毛を引っ張ったりす るのである。(p.33)まったく、朝鮮人は精神が異常だ。たった一度の嘘を何年も酒を飲む度に責めるなど、朝鮮人の男というのは執念深いというか、人間 の器が小さいというか、とにかく日本人なら係わりたくない人種である。

   1961年は運命の年であった。斉藤さんには長女・弥生が生まれており、満一歳になった頃である。あの問題オヤジが突然北朝鮮に帰ると言い出した。ちょ うど新聞で北朝鮮が地上の楽園と持て囃されていた時代である。在日朝鮮人の帰国事業が盛り上がっていたから、正二の父親も浮かれて帰国したくなったのであ ろう。突然家族揃っての朝鮮渡航に、斉藤さんは困惑したそうである。正二は斉藤さんの首に縄を付けてでも連れて行く、と意気込んでいた。弥生と離れて日本 に残るわけにも行かなかった斉藤さんは、北鮮行きに同意してしまう。斉藤さんの実家では反対もあっただろうが、本人が決めてしまえば両親は反対できないだ ろう。かくして斉藤さんは地上の生き地獄、金日成の北朝鮮に渡ることとなった。斉藤さんが北朝鮮に行って帰れなくなって、家から仕送りをしてもらっていた という。しかし、父親が亡くなって仕送りも止まってしまった。やがて彼女は支那から脱北することになる。

  現在では朝鮮人と結婚する日 本人女性でも、日本人らしい生活を望めるようになっただろうが、それでも大変だろう。息子や娘が朝鮮人と結婚するなんて、日本人の親は立ちくらみどころ か、心臓が恐怖で縮んだり、哀しみで張り裂けそうになるだろう。朝鮮統治時代だって、日本人の親なら娘が朝鮮人ごときと結婚するとなれば、有無を言わさず 大反対だった。どうしても結婚したい場合は、駆け落ちか、親子の縁を切って強行するしかない。結婚式に両親兄弟が不在なんてこともあったらしい。一等国の 日本人が劣等民族と結婚するのだから、まともな親なら拒絶するのも当然である。しかも、生まれる孫が朝鮮人になるのだから、尚更反対したくなるだろう。朝 鮮人の家庭に入って、我が子が奴卑扱いでは、日本の士族だったら伝家の宝刀をもって殴り込みをかけてしまう。朝鮮人を日本から排除する必要があるのは、日 本人の親が安心して子供を育てられる環境を作るためである。どこに在日・帰化朝鮮人が潜んでるのか分からない環境では、親は不安で子供を自由にさせられな い。一般国民は朝鮮人排斥を極端な右翼思想とみなすが、安全な社会を維持するためには、社会の汚物処理を誰かがしなければならないのである。外来種動物に よる被害は、何も農作物だけとは限らない。一戸建て住宅だってノミやシロアリ駆除のために家ごと薫製消毒するだろう。社会も朝鮮人駆除をせねばならないの だ。



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盲(めくら)にされた女郎 冷酷残忍な朝鮮女衒

残酷な女郎作り
Korean Prostitutes 2   支那人や朝鮮人といったアジア人は、我々では想像もつかぬ残虐性をもつ。特に支那人の拷問や処刑は年季が入ってると言うより、民族性が凝縮されていると 言った方がよいだろう。支那人の酷刑についてはいずれ話すとして、今回は“盲妹”を紹介したい。この盲妹(もうまい)と呼ばれる淫売芸妓は元々、瞽妓(こ ぎ)とも呼ばれ、座敷に呼ばれて民謡を歌ったらしい。しかし、女伶(にょうれい/音楽を奏でる人)という目明きの女芸者が出てきたので、仕事を取られた盲 妹は次第に体を売るようになったという。一部ではこの盲妹は都市伝説と思われているが、上海などの淫乱で怪しい都会にいたらしい。(筆者は学術書でも読ん だことがある。) 日本人はこんな酷(むご)いやり方で女郎を作らないから、普通の人が信じられないのもうなずける。でも、支那人は人間といっても、別世界の生物だから、日 本人と一緒に分類してはならない。無知な日本人と西洋人は、日本人と支那人を同じアジア人と見なす。ちょうど子供がイルカを見てサメと同じ魚類と勘違いし てしまうのと似ている。イルカがネズミと同じ哺乳類と聞いて驚く大学生もいるだろう。(日教組による白痴化教育のせいである。) だから、支那人には「キンチョール」を噴射すべし。空気銃を使う人には座布団一枚おまけ。

  内容の信憑性に疑問はあるが、『性の報告書  ある死刑囚の性歴』に盲妹の話が記されている。(河出書房新社 2004年) 筆者の日沼エイスケ(本名/蓑内宗一)は、ちょっとした罪で宮城拘置所に服役し、ある死刑囚監房の遺品を整理する雑役をしていたという。その際に紙の束を 見つけ、その内容を基に書いた、と説明している。しかし、日沼氏による作り話の可能性があるので注意せねばならない。そうはいっても、何の根拠もない全く の空想とは思えないので、彼が何らかの噂話を聞いて書いたのではなかろうか、と勘ぐりたくなる。小説だとしても多分ネタ話があるのだろう。

   主人公の路村三郎は幼いときに戦争で家族を亡くし、戦争で焼け野原になった上野をうろついていた。空腹でふらついていた三郎少年は、ある親切なオバはん から、着ている服でも朝鮮人のヤミ屋に売れば握り飯でも売ってくれるよ、と聞いたらしい。そこで崔という朝鮮人の親分にであったという。この朝鮮人ヤミ屋 の家で飯を食わせてもらい、そのまま崔親分に養われる小僧となってしまった。崔という朝鮮人親分に最初に会ったときは、裸になった少女二人と寝ているとこ ろで、その少女は二人とも十一、二歳くらいだったという。ふてぶてしい朝鮮人のオヤジが小学生くらいの少女と真っ裸で寝ているなんて、考えただけでもおぞ ましい。だけど、終戦時の闇市に蠢(うごめ)いていた第三国人ならやりそうなことだ。この親分に抱かれていた少女の一人は圭子といい、後に壮絶な運命に飲 み込まれることとなる。

  日沼氏の本は、昭和34年に光書房から出版されれたときは、『泥棒日記』というタイトルであったが、内容が卑 猥で残忍なことから発禁処分になったらしい。読んでみれば理由が分かる。たとえば、崔親分は変態オヤジみたいで、処女の娘や情婦とセックスした後、三郎少 年を呼びつけて自分の性器を舐めてきれいにさせたという。三郎は崔の獣臭い部分の掃除をさせられた上に、自分の尻に親分のモノを突っ込まれたそうだ。三郎 少年は吐きそうになるし、涙がこぼれて辛かった。こんな朝鮮人は本当にいそうだし、想像の人物にしては、かなり現実味がある。

  崔親分 にはチンピラの子分どもがいて、棍棒や麻縄をもって強盗をはたらくのだ。ある30歳くらいの未亡人宅を襲ったときは、金目の物が見当たらず、しょうがない から彼女の服や下着を奪った。シュミーズやズロースまではぎ取られた未亡人は、ついでに強姦されてしまったのである。盗人あんちゃん等は、彼女のスカート をズリ下ろして、下着を取ろうとしたとき、「ズロースを洗えば巻きずし一つくらいになるぞ」と口にしていたという。三郎少年は、兄貴分のあんちゃんが子分 二人に彼女の足を押さえつけるよう命令して、じっくり強姦するのを端で見ていた。彼女の目からは悔し涙が流れていたという。(p.87)朝鮮人による強姦 は結構多かったみたいで、山口組の田岡一雄組長も日本人女性を朝鮮人強姦魔から助けた事がある。(最近亡くなった高倉健は映画でこの田岡組長役を演じた が、地上波では放送されることはなかった。追悼番組でも、さすがに放送できない。朝鮮人視聴者からの非難が怖いのだ。日本の映画評論家は知らぬ振りを決め 込んでいたから、まったく情けない奴らばかりである。)

針で目玉を潰せ

   昭和22年になると先ほどの少女圭子と三郎に悲惨な転機が訪れる。崔親分が二人を「丁」という大親分の屋敷へ連れて行くことこととなった。横浜にある大 きな邸宅に連れられた二人は、崔でもペコペコする丁親分が待つ応接間に運ばれる。そこで圭子と三郎は服を脱ぐよう命じられた。圭子は嫌がったが仕方なく服 を脱ぎ、歯を食いしばって堪(こら)えていたという。崔と丁が値段交渉し、二人は6万5円で丁親分に売り渡された。三郎は支那へ渡航する密輸船の雑用係と して売られたのである。一方、圭子は娼婦として売却されたのであった。

  丁という朝鮮人の親分は麻薬の密輸船でもうけていたらから、つ いでに女も販売していたのだろう。親分宅の女性が圭子に対して泣きそうな声で、「可愛い目をしているわね。美しいお母さんだったんでしょうね。」と言って いた。翌日が圭子にとって凄惨な瞬間となる。丁親分は圭子に裸になるよう命じた後、子分らに圭子の手を掴んで長椅子の上に押さえ込ませたのである。本能的 に危険を察知した圭子は「サブちゃん助けて」と叫んだが、三郎はどうすることも出来ない。丁親分はあの女の人に「いつものように針とペンチを持ってこい」 と厳しい口調で命令した。彼女が例の箱をもってくると、恐ろしい手術の始まりである。

  見るからに険悪そうな子分が箱から靴の縫い針く らいの大きな針を取り出した。親分は圭子に「泣くんじゃねえ」と叱りつけ、彼女を押さえつけている子分に「動かすんじゃねえぞ。顔に傷がつくからな」と念 を押したのである。手術係の子分はその針を電灯の光にかざして眺め、先端がきれいに尖っていることを確認すると、ニヤリと笑みを浮かべた。そして恐怖に包 まれた圭子の顔を子分に押さえさせ、両まぶたを上下に大きく開くと、瞳の中心に向かって、グサリと刺した。「アアーッ」と圭子は魂が消えるような悲鳴を上 げた。屋敷内に響いた絶叫は外に漏れるはずもない。瞳に刺された針が抜かれると、血が流れてきた。片目の流血が止まらないのに、もう片方のまぶたを指で大 きく広げて、またグサリと刺した。圭子は必死でもがくが、男らに押さえつけられているからどうしようもない。目つぶしを楽しむ男は、その針を抜くと濡れタ オルを圭子の眼にかぶせた。その分厚いタオルはみるみるうちに血で赤くなった。

  恐怖で身震いした三郎は、これで手術が終わったものと 早合点した。実はまだ次の手術が待っていたのだ。泣き出す気力もなくなった圭子の口を、あの残忍な男が開けて、手に持ったペンチで、いきなり彼女の前歯を つかんでガリガリ動かした。圭子は悲鳴を上げたが、男は平然と前歯を根もとから抜き取ったという。すると圭子の口からは血が流れてきたが、男は隣の歯を抜 きにかかった。こうして男は上下の前歯4本、計8本抜いてしまったのだ。彼女は余りの激痛に失神して動けなくなっていた。彼女の口には雑巾のように血で汚 れたタオルが押し込まれていたのである。丁親分は圭子の無顔をのぞきながら、男に「大丈夫カ。タマを死なせちゃイケナイヨ」と言った。(p.116) こんな朝鮮人に対しては「鬼畜」という侮蔑語さえでさえ生ぬるい。

  ビクついた三郎は、自分も同じ事をされるのか不安で親分に聞くと、 船で働かせるつもりだから、という答えを得た。親分によると、圭子は広東か香港で盲妹として売られる予定らしい。「盲妹」について三郎が尋ねると、丁親分 は笑いながら「めくらのパンパンのことさ」と説明した。盲妹はどんないやらしい客でも、眼が見えないから、決して選り好みをしない。それに目が見えない盲 妹は、しつこくなってお客が喜ぶ。おまけに、盲じゃ逃げることも出来ない。歯を抜いたのは、尺八をさせるためだという。口で男の体を可愛がるとき、歯があ ると邪魔だから、前歯4本を抜いておけば丁度いい。ソファーで呻(うめ)く圭子を見つめると不憫に思う三郎であったが、自分じゃなくて良かったと思ったら しい。

  こうした残酷な手術はフィクションだろうが、これを描くにあたって日沼氏は朝鮮人社会に詳しい誰かから裏話を聞いたのかも知れ ない。もっとも、支那人がかつて盲妹をつくっていたくらいだから、朝鮮人が真似したって不思議じゃないだろう。敗戦後には、警察官をも殴り倒す兇悪な朝鮮 人がうじゃうじゃ居たのである。神戸の高齢者は、敗戦後に麻薬を密輸したり、ヒロポンを密売していた朝鮮人や支那人を覚えているだろう。現在だって、芸能 界には朝鮮系人物が裏方や表舞台で幅を利かせているだろう。可愛い娘が芸能界に入るのを許している親はどうかしているのだ。得体の知れない朝鮮系事務所社 長とか、ヤクザまがいの関係者、大物俳優や歌手が一皮剥けば、闇市朝鮮人と同じ性癖を持っていたりする。仕事を得るために体を売る女優や人気低迷でポルノ 映画に売り飛ばされる歌手など、表沙汰にならないだけで、結構いるんじゃないか。朝鮮人に買われた日本人女性で、支那や東南アジアに売られていった輸出商 品は、誰も追跡調査できないから実態は闇の中。「性奴隷」狩りとは、朝鮮人の方がしているのではないか?


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