2015年9月22日火曜日

無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2014年10月

礼儀正しかった日本人娼婦 ロゲン神父の回想

日本を愛したドイツ人神父

roggendorf 1 001   日本はキリスト教文化を輸入したが、その信仰心は拒絶するので、西欧文化がよく分からない。カトリック教会の精鋭修道会たるイエズス會(Society of Jesus)は一般人に馴染みがないだろう。聖フランチェスコ・ザビエルなら、教科書で習ったから知っている人もいるだろう。ヨゼフ・ロゲンドルフ (Joseph  Roggendorf)神父は、ドイツ出身のイエズス會士で、上智大学教授を務めた有名人であった。かの高名な渡部昇一・上智大学名誉教授の恩師といった 方がいいだろう。ロゲン(ロゲンドルフ)神父は古き良きヨーロッパの教養人であって、まさしく西歐紳士の名にふさわしい知識人であった。渡部先生もロゲン 神父にたいへんな學恩があったらしく、先生がドイツに詳しいのはドイツ留学をしただけではなかった。戦前の日本に派遣されたロゲン神父は日本を愛し、神父 から感銘を受けた多くの日本人は心から神父を愛した。日本人には本物の人格者が分かるのだ。こんな日本通のドイツ人神父が体験した回顧録が面白い。(ヨゼ フ・ロゲンドルフ/ 聞き手 加藤恭子 『和魂・洋魂』 講談社 1979年)

  ロゲン神父は米国のプロテスタント宣教師とは違って、 たいへん頭が良く心掛けが素晴らしかった。ドイツでイエズス会に入って日本を宣教先に志願したとき、日本について勉強することにした。普通なら、語学教科 書と能や歌舞伎といった伝統芸能などを学ぶだろう。しかし、ロゲン神父は意外な勉強をする。日本にいた叔父から歴史書とともに雑誌や絵本を送ってもらった のである。そのなかには、当時子供に人気があった講談社の『キング』が含まれていた。ロゲン神父はその大衆雑誌に載っている絵や写真を見て、日本文化の高 さを感じたのである。( 『上掲書』p.36)

  典型的なアメリカ人のプロテスタント宣教師は聖書を布教したいだけで来日する。日本語 を習得するが、日本人の心には関心がない。温かい知識人家庭に育ったロゲン神父は、日本の庶民や子供がどんなことに興味があって、どう物事を感じるのかを 知りたかったのである。日本についての学術書などいくら読んでも、子供の日常生活は外国から分からない。マンガ雑誌の『少年ジャンプ』やテレビの『仮面ラ イダー』を見た方が、よっぽど日本の子供を理解できる。

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(右側 若き日のロゲン神父/ 右側 ロゲン神父の兄弟姉妹)








  ロ ゲン神父の日本語能力もすごい。ロンドン大学で日本文学(例えば島崎藤村など)を専攻された神父は、終戦の玉音放送を直立して拝聴した。昭和天皇の御詔勅 は聞き取りづらかったので、鈴木貫太郎首相が喋ったのを聞いて理解したという。これは無理もない。日本人でさえ、陛下が何を仰っているのか分からなかった ものも多かった。あまりも古典の教養が卓越していた陛下は、庶民的会話が不得意でいらした。だから、国民のなかには戦闘継続の放送かと勘違いした者がいた くらいだ。ロゲン神父によると、玉音放送を聞いて泣いている外人神父もいたという。日本の敗戦を聞いて、掠奪・強姦・暴力に走った朝鮮人と対照的である。 こんな鮮人が「日本国民」であったことを我々は肝に銘じるべきである。

  ロゲン神父は戦中日本人が叫んでいた「鬼畜米英」は本心でな かったことを語っていた。当時の日本人が敗戦で、「鬼畜米英」の国粋主義者からアメリカ万歳の「民主主義者」に豹変したのではないことを指摘する。「鬼畜 米英」は戦時プロパガンダで、政府から押しつけられた思想だから、終戦で日本人の頭から消えてしまったのだ、と。それよりも、民衆政国家のアメリカ人やイ ギリス人の方が、悪質な戦時宣伝から抜け出せないのである。ロゲン神父は日本人について語る。

  「日本人はね、口では何とかいっても、実際のアメリカ人に出会うと、悪意を持ち続けられない国民ですよ。こういうのは全アジアで日本だけ。」 (p.86)

ロ ゲン神父のおっしゃる通り。日本人の国民性をよく理解している。戦争が終わっても、ことある事にねちねち怨みを叫び続ける朝鮮人や支那人とは、根本的に、 生物的に、人格的に違うのだ。神父は日本人が「ひとさま」という風に他人に「様」をつけ、他の人間に対して暖かみがあると説明する。また、日本人は勘がい いし、好奇心もある。アジア人と違って、外国人に敵愾心を持たず、他国をあまり挑発しない。戦争相手のアメリカ人に対しても憎悪をもっていなかった、と神 父は語る。ロゲン神父に乾杯。中曽根康弘や田中真紀子、加藤紘一、二階俊博はよく聞け! 日本人はアシ゜ア人じゃないんだ。

「失礼しました」と謝る売春婦

   終戦直後の東京をロゲン神父は回想する。新宿の闇市や赤線(売春地帯)附近で電車を待っていたときの事であった。赤線からある娘が出てきて、白い背広を 着ていたロゲン神父に後ろから抱きついてきた。「ねえ、いらっしゃいよ」とその娘が神父を引っ張って誘う。ロゲン神父が振り返った瞬間、彼女は「あ、どう も失礼しました。すみません」と頭を下げて立ち去ったという。(p.93) 神父のローマン・カラー(襟首のカラー)に気づいた娘は、善悪をちゃんとわきまえていたらしい。もしかしたら、敗戦で没落した一般家庭の女性だったのかも しれない。しかし、パンパン・ガール(娼婦の俗称)が、やって良い事と悪い事をわきまえていたのだから、昔の日本人女性はたいしてものだ。東京や神奈川、 大阪で客を引いている南鮮淫売など、本当に下品の塊みたいな動物である。いかにも朝鮮人らしい顔を整形して、勝手に密入国してくる盛り場の南京虫が朝鮮娼 婦である。役所ははやく駆除すべきである。
 

  日本の独特な法意識についてもロゲン神父は言及している。神父の知っている外国 人が、慎重にクルマを運転していたら、自転車に乗った出前持ちにぶつかってしまった。怪我はなかったが、自転車が壊れてしまった。出前持ちの方が交通規則 違反で、外人には罪が無いと警察官は言った。しかし、現場に集まった日本人からは、その外人に対して「五千円くらい払ってやったらどうです」という意見が 出てきた。近所のおばはんも割り込んできて、「だって、かわいそうだもん」と言ってくる。その外人は「私には落ち度がないのに、なぜ罰金を」と戸惑う。警 察官も「罰金じゃないんで。あの青年がかわいそうじゃありませんか」と言ってくる。( ヨセフ・ロゲンドルフ『ニッポンの大学生』 主婦の友社 昭和54 年 p.79)

  警察官も野次馬も法の正義を持ち出しているのではなく、人情を話していたのである。出前持ちがお店に帰ったら、叱られ るかクビになるかもしれないからだ。その外人は日本人に好意をもつ在日外国人であり、日本人にも理解があったのだが、その意見にはビックリした。大岡裁き みたいな人情判決は理解できまい。

roggendorf 1 003   ロゲン神父は日本人の奇妙で不可思議な考えを話している。ある外国人か貧しい家庭の息子にお金を与え、進学から就職まで世話をしてやったという。ところ が、その日本人はやがてその恩人たる外国人と疎遠になり、絶縁にまで発展する。外国人には何が起こったのか、何をしたから絶縁したのか見当もつかない。じ つは、支援されていた日本人は、受けた恩が重なってきて返しきれないと感じ始めたのである。そこで、年賀状を送らないとか、引っ越しをしても新住所を教え なかったりして、その外人を遠ざけた。彼は、恩返しを期待していたのではなく、一般的な慈善のつもりだった。ところが、義理堅い日本人は受けた恩に報いね ば、という気持ちが強い。恩返しの義務が心の負担になってしまう日本人。外国人はこうした日本人に驚いてしまうのだ。日本政府から奨学金を貰って何とも思 わない支那人留学生があちこちにいる。中には犯罪者になって日本に報いる奴も大勢いるのだ。まったく、支那人なんかに入国を許したうえに、奨学金をくれて やるんだから、日本の政治家は脳が異常である。雀にその脳を移植したら後ろ向きに飛ぶだろう。猫なら背泳ぎで川を渡るんじゃないか。東北の子供たちは進学 を断念して、税金を払いながら苦労しているのに。

ロゲン神父を排除した言論界
   こんなにも立派なヨーロッパ紳士の鑑(かがみ)であるロゲン神父は、一般人に知られていないのは何故か。その答えは、ロゲン師の政治思想や不屈の精神に あった。ヨーロッパ知識人であったロゲン神父はヒトラーにも、スターリンにも反対していたのである。ロゲン神父について弟子の渡部先生が説明している。

   「ヒトラーとスターリンこそ、断固抵抗しなければならぬおそるべき全体主義者である」という確信をえて、ロゲンドルフ師は三年間にわたるロンドン大学で の日本学の研究成果を終えた。 ( 渡部昇一 「ロゲンドルフ師の思想と現代」 『一粒の麦 ヨゼフ・ロゲンドルフ師追悼文集』 南窓社 1983年 p.15 )

  まさ しく国家社会主義のナチ党と国際共産主義のソ連は同じ穴の貉(むじな)である。ヒトラーもスターリンも共に全体主義を掲げる独裁者である、とロゲン神父は 喝破していた。今では常識でも、戦後の左傾化した日本言論界では、ロゲン神父は少数派に属していたのである。神父はアテネ文庫やアテネ新書に執筆するくら いの教養人だったから、戦後しばらくの間は自由な雰囲気の中で、師の著作が良心的出版社で歓迎されたのである。(p.20)  ところが、昭和20年代が終わるころ、良心的だった出版社が共産主義あるいは社会主義的風潮に傾いた。コミュニズムとファシズムを同じ分類に入れるロゲン 師の考え方では都合が悪かった。(p..21) 『ヨーロッパの危機』を出版していたロゲン師なら、いくらでも出版社からの依頼がきたはずである。

   その後、安保闘争や、ベトナム戦争、カンボジアでの大量虐殺が起こって、左翼全体主義の残虐性が世間に知られるようになった。文藝春秋社の『諸君!』が発 刊されてようやく、ロゲン神父の登場となった次第である。昭和30年から50代の言論界は、ほんとうに真っ赤に染まっていたのだ。防衛大学校長になった猪 木正道などは、スターリンが大好きであった。日本の青年に国防を教える者がスターリンを尊敬していたのである。日教組の槙枝元文委員長は金日成崇拝者だっ た。日本の学校を朝鮮総連専門学校にするつもりだったのだろう。日本人なのに反日左翼の知識人がテレビや雑誌で持て囃される中、ドイツ人なのに親日で偉大 な知識人が疎外されていたのだ。まったく嫌になってしまう我が祖国である。


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帰化支那人は日本人か?

支那帰化人の子孫 永六輔
  日本も移民の津波に襲われ て民族的変質に直面している。世界でも稀な同質民族の立憲君主国だったのに、アジア移民の流入を受け入れてしまったばかりか、国籍までくれている。国籍取 得の審査はクレジット・カード審査より甘く、運転免許証取得より簡単だ。運転免許を取るとき大金を要するのに、日本国籍は無料で配られる。こうした杜撰な 審理で日本国民になった帰化人に、歴史ある国家の一員たる自覚を求めるほうがどうかしている。簡単に定義すれば、日本人とは日本人の両親から生まれた者で ある。

  日系日本国民は外国で日本を罵倒されたり、批判されれば反論する。しかし、帰化人がもし外国で我が国を誹謗中傷されたら、いか なる態度をとるのか。国籍をばらまいている日本人は考えたことがない。たとえば、米国で「日本軍は朝鮮女性を性奴隷にした」と濡れ衣を着せられたら、たい ていの在米日本人は腹が立って反論したくなるだろう。自分の祖国と祖先を侮辱されて平然としている方が異常である。ただし、外務省官僚は別人種。ワインの 銘柄に詳しくても、日本の名誉になるとチンプンカンプン。高等文官試験の秀才は、テストで「日本が好きですか?」という質問がなかったから「愛国心」を知 らないのだ。

  しかし、日本語しか喋れれない永住在日鮮人や帰化鮮人、結婚による日本国籍取得の支那人、日比混血児などはどういった態 度をとるのか。朝鮮人や支那人なら、日本の朝鮮植民地化や支那大陸侵掠、帝国陸軍による民間人の大量殺戮を喧伝するかもしれない。しかも、天皇陛下に対し て微塵も敬意をもたないアジア帰化人は、米国人以上に日本を罵るかもしれない可能性がある。こんな不安がよぎるのは、永六輔と辛淑玉(しんすご)の対談本 『日本人 対 朝鮮人』 (光文社 1999年)を筆者が覚えているからであるei rokusuke。  永六輔は司会業をこなす一方で、著書『大往生』もベストセラーになった有名人である。娘麻里がフジテレビのアナウンサーになったから知っている者も多い と思うが、坂本九の「上を向いて歩こう」の作詞者として覚えている国民が一番多いのではなかろうか。名前から分かるとおり、永六輔は支那人の子孫である。 本人によれば、祖先が「上海から徳川家に来た学僧」だったそうで、結婚しても名前を変えなかったという。(「大往生と蛇腹の思想」 佐高信の時代を読む  『サンサーラ』 1995年9号 p.170) 


  江戸時代から続く支那人の家系に生まれた六輔は、どこかに非日本人の意識を 持ち続けている。戦争中は疎開先で「永」という姓を持つことでイジメにあったそうである。(p.169)おそらく、近所や学校の子供らが「チャンコロ」や 「シナポコペン」などと呼んでからかったんじゃないか。そんなイジメを六輔は「明日は、どうやってイジメられようかな」と思いました、と対談の中で回顧す る。普通なら「悔しくって泣きたかった」とか「仕返しに殴ってやろうと思いました」とか答えるだろう。子供の頃から六輔は精神が歪んでいたのだろう。

   作詞家や司会者の分際で、六輔が革新自由連合に参加して参議院選挙に出馬(落選)したり、反権力の政治姿勢をとったりしたのも、出自が日本人でないとこ ろから由来しているのかもしれない。しんぶん赤旗を応援し、共産党のイベントに出演したりするのも、マルクス・レーニン主義を研究して共鳴したからという より、どことなく日本人の根源が嫌いという感情が胸の奥底にあるからではないか。「永」という支那名を馬鹿にしてイジメた日本人に対する怨念が、時折ふと 心の奥深くで蠢動(しゅんどう)するのかもしれない。

日本に飛来した朝鮮蟲の辛淑玉

辛淑玉   在日鮮人が日本で不届きな事を発言すると、それに激怒・反発する日本人が出てくるのは自然なことだが、そもそも朝鮮人というのは「火病(突発的感情の爆 発)」を起こすことで有名だし、嘘でも何でも自己利益になれば発言する恥知らずである。真面目な気質の日本人だと、いちいち激怒・反論する度に疲れてしま う。馬の耳に念仏、鮮人の耳に学問。(筆者の造語)朝鮮人は対等の人間と思う日本人の欠点である。

  在日朝鮮人がどんな屁理屈こねよう が、聞く耳をもたずに、「はいはい、そうですか。朝鮮に帰って存分にどうぞ」といえば済む話である。だが、辛淑玉(日本での偽名は「新山節子」)のような 在日北鮮人をテレビに出演させ、有名にしてあげる日本人テレビ局制作者が一番悪い。言論・出版の自由がある日本だから、どんな対談本が出ようが仕方ない が、解毒剤を読者に提供しないのは言論人の怠慢である。しかも、永六輔がまるで日本人代表みたいな本なら尚更である。

  永六輔は我が国の歴史的人物かつ英雄を朝鮮人に貶(けな)されても黙っている。永が熊本の歴史的英雄に言及すると辛は、

   「あっ、いやなヤツですよね。」(永六輔/辛淑玉  『日本人対朝鮮人』光文社 1999年 p.27)

と 言い放つ。加藤清正は太閤秀吉の重臣で、有能な武将にして築城の名手。熊本城を見学したことがある観光客なら分かるはず。この清正公が朝鮮征伐を行ったこ とが辛淑玉にとってはシャクに障るのだろう。朝鮮では豊臣秀吉は極悪人のトップに挙げられるから、家臣の清正を肯定的に評価するはずはない。ただ、六輔が 一言も日本人の立場から反論しないのだ。せめて「いやなヤツとは何だ。このヨボ! 清正公は我が国の英雄的武将なるぞ」くらい言ってやれ。清正公は豊臣恩 顧の大名であり、秀頼の後見人となり豊臣家の存続を切望した忠臣であった。朝鮮征伐では勇猛果敢な戦ぶりに我々は胸がすく思いである。
  加藤清正について弁護反論もしない六輔は、また辛淑玉の罵倒に対して卑屈な態度をとる。六輔が伊藤博文や西郷隆盛に触れると、辛がまた言う、

   「いやなヤツですよね、西郷、伊藤。」 『上掲書』 (p.28)

こ の発言に対し六輔は「つい最近も関東大震災でご迷惑をかけたり」と謝っている。震災時、朝鮮人を虐殺したというデマを信じていたのである。歴史的事実に無 知な六輔は、当時日本に不逞鮮人が多く住み着いていたり、機会があれば犯罪者に変身する平凡な鮮人の危険性があったら、自警団が存在した事を知らなかっ た。不気味な朝鮮人が共存する当時に、日本の庶民が持つ恐怖感を理解しない支那系日本人永六輔。鮮人を暴漢の群衆から助けたり、哀れな鮮人に手を差し伸べ た日本人がいたことを知らぬだ。(中島司 『震災美談』 参照)

  我々が腹立たしいのは、永六輔が維新の元勲たる伊藤博文や西郷隆盛を 「いやなヤツ」と言われて反論しないばかりか、大震災で朝鮮人を迫害したことを臭わせたことである。明治維新の英雄、陸軍大将、至誠の人西郷南洲を六輔は 何と思っているのか。我が国の初代総理大臣が暗殺されて平気なのか。この支那系人は辛に対して「お前こそ、いやなヤツだ」と言い返さない。こんなヤツが日 本人代表面して対談しているのだ。

  我々はここで別の場面を想像してしまう。もしも辛淑玉が昭和天皇や鮮人娼婦について言及したら、六 輔はいかなる言葉を発するのか、と。怨念の固まりたる朝鮮人が何と言おうが、外国人の勝手である。しかし、それを聴く日本人は反論すべきで、「お説ごもっ とも」などと迎合する奴は売国奴とは言わないが、非国民である。現在の日本人は法務省で外国人が、簡単に日本国籍を取得していることに対して無関心であ る。国家という大きな家族の一員になっているのに、まるでアフリカかアラビアで起きている他人事みたいに考えているのだ。我々の祖先が噛みしめた苦難や、 自慢してもよい栄光を共有しない外人が、日本国民を気取って住んでいることに怒りを覚えない。我々の血管に流れる祖先の血は、国土にも染みている。国家存 亡の秋(とき)に蹶起奮闘(けっきふんとう)した英雄が土に還る我が国を愛さない日本人は国民ではない。日本国籍は単なる印刷物にあらず。祖先の命が凝縮 された遺産である。


  
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ルパン三世 (1) 小栗旬かよ! 魔術師パイカルが懐かしい

子供向けの大人のアニメ


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こ の夏2014年8月に実写版『ルパン三世』が公開されたらしい。筆者は観ていないのだが、予告編を宣伝動画で見たところ、時間とお金の無駄と判断した。映 画の評価はかなり酷いものらしい。映画評論家前田有一は100点満点で3点の評価を下した。やはりね。小栗旬とかいう若手俳優が主役だったが、この兄ちゃ んが人気者だったので、興行収入はあったのであろう。しかし、作品の質は最低で、駄作との評判である。まあ、ハリウッド映画に憧れた香港映画くらいの出来 じゃないか。せいぜい高級ワインの空き瓶といった映画作品だろう。香りはしても中身がない。アニメを実写化して一儲け、というのが映画会社の腹だろ。日本 人のファンなら、「やめとけば」と警告するだろうが、人気コミックを実写化して大儲けしているハリウッドが羨ましいのだろう。ドラゴン・ボールだって実写 化して惨敗したのに、懲りない銀幕の人々だ。

 ル パン三世はやはり第1シリーズが一番いい。その後のシリーズは二流作品か駄作のどちらか。視聴率を上げることに主眼を置かず、表現したい伝えたいことを自 由に作れた良き時代だった。1971年から1972にかけての作品だったから、スポンサーより視聴者を重視したところが立派。1970年代のフランス映画 を意識した雰囲気の脚本とキャラクター設定は、子供にとって新鮮であった。しかも、大人の女が妖艶な色気を出したり、悲しい男女の関係を盛り込んだ。手抜 きをしてもよさそうなのに、ゼロ・コンマ刻みの正確な腕時計や、ワルサーP38といったドイツ製拳銃や銃身8インチのマグナム44を作画に挿入したのであ る。

  子供用アニメでも制作スタッフは変な妥協や媚びを売ることがなかった。逆説に聞こえるが、子供に媚びなかったから人気があったの だろう。あのころは博打的度胸がスタッフにあった。おかしくなったのは、『カリオストロの城』がヒットして、大金が転がり込んできたの頃だろうか。映画会 社が利益追求型になってしまったのである。左翼嗜好の宮崎駿がアニメ界から骨太のハードボイルドを内側から破壊したのである。ルパンにクールで大人の面が なくなり、五右衛門からも悪党面が消えてしまった。それまでは次々といろんなジャンルのアニメが放送され、秀作駄作が混じりながら多彩な黄金時代を築いて いたのに。少年のようなチャレンジ精神に富んだプロデューサーが、札束のビンタで駆逐されていったのである。


lupin 4lupin 5 (左側: パイカル/ 右側: 不二子)





   第二話『魔術師と呼ばれた男』は最も印象深い。パイカルという虚弱にみえる青年が、超硬質皮膜成分の薬品を体に塗っているので、機関銃やバズーカで攻撃 されても死なない。次元のマグナムでもびくともしないパイカルは、笑みを浮かべて指先から火炎放射を行い、ルパンと次元を黒こげにしてしまう。自分の愚か さを自覚しないで、銃を撃ってくる彼らにパイカルは優越感をもって炎を浴びせかける。観客はこの冷酷さにしびれる。
  彼の目的はルパンが介抱している峰不二子の奪還。まったく手も足も出ないルパンは、不二子をあっさりパイカルに奪われてしまった。自分の不甲斐なさに悔しいルパン。男が愛する女を目の前で奪われる屈辱は耐え難いのである。こんな大人のプライドを子供に示してくれたのだから有り難かった。

   不二子の狙いはパイカルが塗っている薬品の成分を記したスライド3枚を盗むことであった。色仕掛けでパイカルをベットに誘って射殺しようとしたのであ る。彼女の白くなめらかな太ももがうぶな少年にはたまらない。何度も言うが、子供向けアニメである。裸になってもパイカルの体には薬品が塗られていたから 大丈夫。弾をはじいて殺されなかった。いっぽう、ルパンはスライドの謎を解き、同じ薬品を作ってしまう。ルパンは不二子を取り戻しに、パイカルの山小屋に 向かう。滝のそばに建つ小屋には不二子とパイカルがいた。ルパンが謎を解いたことを知らぬパイカルは炎をルパンに向ける。だがルパンが炎に包まれても平気 な姿にパイカルは焦る。そこでルパンがもっていたスライドも一緒に燃えてしまった。ルパンは薬品の欠点、つまり薬品の効果は長時間もたないことを暴露す る。ルパンの薬の方が新しいから、耐火性が強い。ルパンが噴射する炎に包まれたパイカルは、最後の力を振り絞って滝壺に垂らしたロープを降りるが、途中で ロープが炎で燃えて切れてしまう。空しく滝壺に落ちるパイカルには哀愁が漂う。

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  何 てことのないストーリーでも妙に印象深い。不二子が自分を愛していないのを承知していながら、彼女の肉体を求めてしまう純粋な暗黒街の殺し屋。惚れた女を 取り戻しに行くルパン。二人の男を色気で天秤にかけ、スライドを盗んで大金を得ようとする性悪女。こんな大人の三角関係を、よい子のアニメに盛り込むんだ から、制作者大隅正秋は信念の男であった。視聴率が振るわず、スポンサーから苦情がきたとき、東京ムービーの藤岡豊社長に対して「子供用のアニメをつくる 方針なら俺はもうやらない」といって制作から降りてしまったのである。第1シーズンの前半が哀愁に満ちクールであったのに、後半になると作風が変わってし まったことの裏事情である。「大人のアニメを作っただけ」と喝破した大隅氏は偉い。アニメーターの鑑だ。いまのアニメのように陽気な場面をつくってより多 くの幼年視聴者を獲得しようといった下心が無かった。だから邪魔なギャグや下らないどうでもいいような会話がなかった。惚れた女を奪い合うだけのために、 命を張る男二人の対決に焦点を絞っている。

  声優もキャラクターにピッタリの人物を選んでいた。有名というだけで素人の芸人や女優を採 用しない気骨が制作者にあった。峰不二子には二階堂有希子の声が最適だったし、次元や銭形警部の声も作画と性格に良く合っていたから違和感など感じなかっ たのである。プロの制作者の作品とはこういうものである。ルパン、次元、パイカルに妙な甘ったるい感傷を持ち込まず、プロの気質や暗い雰囲気を格好良く描 いているから何年経っても色褪せない。夕日を背景にして不二子がバイクに乗って、颯爽と走るエンディング動画と、そこに流れるチャーリー・コーセーの気怠 いテーマ・ソングが、いかにも1970年代の音色を奏でていて心地よい。
 
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(マリアンヌ・フェイスフル)














 
  ついでに、峰不二子がバイクに乗るときのレザー・スーツ姿は、『あの胸にもう一度』(1968年作品)のレベッカをモデルにして設定されたのかもしれな い。レベッカを演じたのはマリアンヌ・フェイスフル(Marianne Faithful)で恋人のダニエルに会いに行くとき、裸になってそのままレザースーツを着るシーンはとても印象的である。裸になって皮のスーツを着るな んて当時の日本人女性には発想すら無かった。ダニエルを演じたのは、日本でも有名な二枚目俳優アラン・ドロン。可憐な美女レベッカを演じたマリエンヌは、 ミック・ジャガー(ローリング・ストーンのヴォーカル)の元女房。大隅氏も彼女に惚れ込んだのではないか。

  毎年夏休みに作られる日テレの「子供用『ルパン三世』特番」はもう別物である。幼稚園児のお遊戯並のストーリーだと、作画を見ただけて推測がつく。山田康雄が草葉の陰で泣いている。


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(アラン・ドロンとマリアンヌ・フェイスフル)












 

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ローラに隠れている遺伝子

アジア人になってしまう日本人
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  10月24日バングラディシュ国籍のジュリップ・エイエスアイ・アルが詐欺の容疑で逮捕された。彼は人気藝人のローラという女性の父親で、国民健康保険の 海外療養費約99万円を騙し取った疑いがある。警視庁組織犯罪対策課が動き逮捕となった。ジュリップ容疑者の逮捕は二度目で、前回も海外療養費制度を悪用 して約87万円を騙し取った。普通の日本人なら、海外滞在をする時は、空港や旅行代理店で民間の海外保険に入るだろう。この海外療養費制度を知っている一 般人はまずいなかったはず。高い国民保険料を払っている一般国民は、この事件がテレビで大々的に報道されて、「エッ! そんな制度があったの?」と驚いたことだろう。一連の詐欺事件を考えれば、この制度の盲点に気づいた裏社会の組織が存在したはずだ。日本人の間抜けさが在 日アジア人の噂になって、詐欺行為が発生したのだろう。

  国民健康保険や国民年金とは日本国民を対象にした社会福祉制度だと、一般の日 本人は思い込んでいた。じつは、相当な数のアジア人が加入して利益をむさぼっていたのである。だいたい、在日朝鮮人が国民年金や健康保険に加入できること がおかしい。生活保護まで貰っている南鮮人は韓国に帰れ。奴らに生活保護を渡した役人は、退職金の没収で処罰すべきだ。以前、来日してすぐ大阪市に生活保 護申請した支那人48名がいて、役所のスキャンダルになった。( 産経新聞 平成22年7月1日) しかし、これが2名か3名の支那人なら役所で問題にならず、新聞にも報道されなかったであろう。それが100組別々に申 請すれば、200から300名の詐欺が発覚せず、そのまま黙認されたに違いない。

lola father 2  ローラというモデル兼藝人は可愛らしいし、天然ボケの無邪気なところがあるから、日本人も好きなのだろう。この女の子が仕事に困らないことを願うだけだ。 しかし、このジュリップという父親は、クズである。娘にとっては苦労して育ててくれた親だろうが、本当に娘のことが可愛いのか、疑いたくなる。娘が人気商 売で活躍しているのに、詐欺事件を続け、発覚したら海外逃亡するなど、とてもまともな父親とは言えない。娘が世間で恥をかいているのに、直ぐ警察に自首し ようとしなかったのだ。

  娘を愛していると公言しているようだが、バングラデッィシュ人の常識でもそう言えるのか? 娘を愛しているな ら、詐欺の金を二倍にして返金し、テレビ・カメラの前で土下座しろ。心から謝罪すれば、世間も許してくれるかもしれない。娘と別れるのが辛くても、故郷の バングラディッシュに戻って蟄居(ちっきょ)すべきだ。二度と日本の土を踏まぬことを皆の前で誓って去るなら、娘も世間の同情を引いて仕事を続けられるで あろう。だが、この薄汚い外人は、逮捕されて釈放された時、「OK」サンイをして日本人を侮辱したのである。「この、たわけ!」と怒鳴りたくなる。ローラ という娘が陰で泣いているかもしれないのに、何を浮かれているのか。日本には「羞恥心」というものかる。バングラディッシュにはないのだろう。彼女が不憫 である。

  詐欺事件より更に深刻なのは、日本人の遺伝子が変質してしまうことだ。二千年以上同じ民族で暮らしてきたからこそ、日本人は 心が優しく、他人に対して思いやりがあり、情けと義理と掟を微妙なバランスで維持し手きた。法と正義と人情の均衡(equilibrium)が素晴らし い。アジア人やアフリカ人には、「気配り」といった高度な能力はない。日本は世界に類を見ない幸福な社会であった。江戸時代には身分社会であったが、深刻 な階級社会ではなかったし、人種別の階層(hierarchia)でもなかった。これは皆同じ人種で、文化が多彩なのに民族的に統一された同質社会だった から。尾張中村郷に生まれた木下藤吉郎が、後に太閤殿下の豊臣秀吉になれるくらい流動性が高い社会であった。偉くなっても他人を蔑むことが少なかった。皆 が大きな家族の一員だから、他人は「よそさま」といって尊重しなければならない。しかも、天皇陛下の元では皆平等。下層民、水呑み百姓、漁夫、足軽、家 老、大名であっても、みな天皇陛下の日本国民である。昔は天皇の赤子(せきし)と呼んだ。

  第20世紀後半からアジア人がどんどん日本 に入ってきて、住み着いたり、日本人と結婚して日本国籍を取るようになった。特に、農民と離婚経験者、モテない中高年男性などが、アジア人と結婚したり、 姦通したりして問題を起こしている。嫁不足とか言ってアジアから女を買ってきて、女房にしている農民は人身売買をしている自覚がない。自分が不細工か、魅 力のないダメ男であるだけなのに、「農業」という職業のせいにしてアジア人女を買っている。大金を払えば、若い女を毎晩タダで抱けるし、両親の世話や介護 を任せることができる。アジアという後進国の妻だから、家庭で先進国の夫として威張れる。西欧人の妻なら絶対に見下せないだろう。支那や朝鮮、タイ、フィ リピンからの女だから優越感を持って亭主関白を続けられるのだ。

  だが、こうした下種な日本人にも子供が生まれると困ったことが起き る。恥ずかしい売買結婚(金銭の見合い婚)で生まれた子供は、混血児として生きていかねばならない。半分は日本人でも、半分はアジア人である。しかも、人 種的・文化的に劣ったフィリピンや朝鮮の血統をもつ「合いの子」である。母親が金と国籍を目的に来日し、父親と結婚したのである。学校やクラブの友だちに は、自分の母親を自慢できない。大好きな母親を友だちに紹介するのが苦痛になるのだ。父親は世間が悪いと言い聞かせるだろうが、子供はそんなことを信じな い。子供といえども、成長するにつれ厳しい現実を自覚し、建前と本音が存在することくらい分かる。友だちも遠慮してアジア人には言及しない。混血児も母親 の出身国の話が出ると何となく嫌になる。日本人の両親から生まれたかった、と告白する子共に、日本人の父親は何と言えばよいのか。髪の色を変えることが出 来ても、遺伝子まで変えることは出来ない。

  さらに嫌なことは、混血児が成人して日本人と結婚するときに起きる。結婚相手の両親が、笑 顔の隙間にみせるちょっとした言葉遣いや表情に気づく。名前は日本人でも見れば、アジア人との混血児と分かる。縁組みする相手の両親が「なにもあんな人と 結婚しなくったって」と愚痴をこぼすことだってある。何の社会的地位もない一般家庭なら、諦めて混血児との縁談を認めるかもしれない。しかし、上流階級の 家庭や社会的地位が高く、世間体を気にする名家だと、いい顔をしないし、混血児の両親に破談を持ちかけるかもしれない。世間の差別を糾弾することはたやす いが、現実は倫理の教科書通りにならないのだ。

  アジア人女を安いから女房にする日本人男性は、せめて不幸な子供を作らないくらいの自 戒をもつべきだ。どうしても子供をつくって幸せな家族を持ちたいなら、女房の祖国に移住して楽しく暮らして貰いたい。日本国籍を捨てて妻の国籍を取れば、 日本人は何ら文句を言わないだろう。日本国の遺伝子プールに変なアジア人の遺伝子を混ぜるな。アジア人が増えて、嘗ての素晴らしかった日本が静かに崩壊し ているのである。第22世紀の日本人は、平成の日本人を見て「ヘェー、こんな民族が棲息していたんだ」と驚くようになるだろう。


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岡崎久彦 日本が誇る外政官

アングロ・サクソンとの同盟を重視

Okazaki  
岡 崎久彦大使が平成26年10月26日に永眠された。非国民・売国奴がたむろする外務省にあって、本当に紳士的外政官であり真の國士であった。ここで「外交 官」ではなく「外政官」と表記したのは、ディプロマット(diplomat)とは君主の名代として外国で政治を行う官僚であるからだ。外国で要人と交際す るだけの「外交官」は、親善役人である。岡崎大使は外務省の役人、あるいは政治家の手下としてではなく、日本の国益を第一に考えた勅任官であった。つま り、天皇陛下の外政官という自覚を持っていたのだ。

  冷戦終結後、米国の一極支配やグローバル経済が巷(ちまた)で騒がれて、アメリカ 人に追従する日本がダメとか、「アメリカのポチ」は止めて米国からの独立だ、と息巻いていた知識人・評論家が大勢でてきた。精神的におかしい副島隆彦や、 全共闘後遺症を引きずる西部邁を思い出せばよい。日本人自身が狂っているのに、まづ先に米国を非難攻撃し、日本をロシアや支那に貢ごうとしていた左翼勢力 があちこちにいたのである。

  日本国は無防備に近い貧相な自衛隊しか持たないのに、日米同盟無しでどう国家を守っていくのか、具体的に 考えた形跡がない。核兵器はもちろん、通常兵器だって充分に持っていないのだ。例えば、戦闘機は過去の研究や蓄積がないので、独自開発は困難。爆撃機もな いし、原子力潜水艦もない。現代戦は、ハイテク戦争を想定しているのに、日本の通信システムは貧弱。米軍の支援がなければ、戦闘機も飛ばせず、宇宙戦争な ど不可能だ。諜報活動なんて日本独自では絶対無理。国防を無視続けてきた国民が悪いのに、米国を叩く進歩的知識人には下心があった。日米安保闘争を懐かし む左翼人士が、どうしても在日米軍を駆逐したい。その後は? 何もない。朝日新聞やNHKの反米屋は、日本の防衛など考えたことがない。自分の給料と天下 り先しか心配していなかったのだ。非武装中立を言っていた社会党の石橋政嗣や平和憲法を連呼していた土井たか子は、ソ連の日本侵攻と占領を望んでいたの だ。

  「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」を実践していたのが、岡崎大使であった。歴史を振り返ればよく分かる。日英同盟を結んで いたことは、我が国にとって国運を左右する利益があった。日露戦争は英国の支援で勝てたともいえる。つまり優れた諜報活動で定評がある英国から対ロシア情 報を貰えたし、軍事・兵器の面でも支援を受けていたのである。日英同盟無くして日露戦争は戦えなかった。第二次大戦後の日米同盟がなかったら、ソ連の日本 占領が実現していただろう。どんなにアメリカ人が横柄で、日本のお金をむしり取っても、ソ連の衛星国になって塗炭のの苦しみを味わうよりマシである。それ より合衆国政府を批判する前に、朝日新聞を購読したり、NHKに受信料を払っている日本国民の方を非難すべきだ。反日機関にお金を払って繁昌させている国 民の方が、外国人よりはるかに悪いのではないか。岡崎大使は、マスコミに重宝される反米屋から何と言われようとも、日米同盟堅持を言い続け、アングロ・サ クソンとの同盟を重要視した。だが、それは英米に媚びたからではない。日本の国益と安全保証を優先したからである。日本の独立を阻んできた左翼的日本人や 無関心国民の方が、米国人より更に悪質であった。

  岡崎大使は『陸奥宗光』(上下巻)を書いて、混迷する日本の外政を憂いた。読者は陸奥宗光と岡崎久彦が重なって見えてくる。岡崎大使の永眠は、日本からまたひとり、明治気質の偉人が消失したことを意味するのである。
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